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鏡の中に見えるもの

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 それは鏡を見た時に感じることで、左右対称の鏡の世界の向こう側は、こちらの世界を忠実に映し出しているはずだった。しかし、ある時から、鏡の向こうに誰かがいるような気がしてくると、鏡を見つめている時だけ、後ろから熱い視線を感じていた。
「た・す・け・て」
 蚊の鳴くような、それでいて断末魔の声を感じるのだが、金縛りに遭ってしまった美咲はそこから逃れることができなかった。
「亜衣」
 美咲は、語り掛けるが返事はない。
 今の自分が、子供の頃に想像していた、
「将来の自分」
 と、かなり似通っていることに美咲は満足していた。
 真面目で一途な性格は、何事も一生懸命にするという子供の頃の理想の大人になれたと思っていた。
 だが、二十歳になった頃から、それまでまわりから受けていた視線が、急に変わってしまったのを感じていた。
――自覚している自分の性格に対して、まわりの態度はあまりにも冷たい――
 と感じるようになった。
 だが、本当は冷たいのは態度ではなかった。そのことに気が付いた時、初めて鏡の中で自分を見つめる誰かに気づき、金縛りに遭ってしまうようになった。最初は鏡を見るのが怖かったが、次第にその正体を突き止めたいという衝動に駆られるようになった。
――怖いことは大嫌いなはずなのに――
 ということは、美咲の中では鏡の中にいる誰かを怖いと感じているわけではないということだった。
 その頃には、まだ亜衣のことは記憶に封印されたままだった。子供の頃に怖い経験をしたという意識はあっても、それが何だったのか思い出せない。まるで怖い夢を見たのだけれど、怖い夢を見たという意識はあっても、思い出せないような感覚だ。
 しかし、美咲の中では怖い夢ほど覚えていた。怖い夢を見たという時は、ほとんど夢を忘れることはなかった。この気持ちと意識の矛盾を感じた時、
――鏡の中にいるのが亜衣ではないか――
 と感じるようになっていた。
 それからの美咲は、自分の中にある淫靡な部分を意識するようになった。すると、まわりの視線を冷たいものだとは思わなくなった。まわりの視線を浴びることを敢えて全身で感じようと思ったのだ。全身で感じることが、それまで知らなかった快感を美咲に与えてくれた。
――こんな感覚、初めて――
 それからの美咲は男から声を掛けられることも多くなり、その分、男性との付き合いも増えていった。
「楽しかったわ」
 二年くらい前までは、美咲は自分の中の淫靡な部分をオーラとして発散させていたことで、たくさんの経験をした。男性がどういうものなのかも知ることができた。しかし、二年くらい前から、美咲は以前の美咲に戻ってしまった。自分の中にいたはずの亜衣を感じることができなくなった。
 鏡を見ても、何も感じない。それまで快感だと思っていたことを、自分の身体が拒否するようになっていた。それまで付き合っていた男性とも別れた。別れを告げても、相手は美咲に固執することはなかった。
 だから課長と関係ができてしまった自分が信じられなかった。自分の中に亜衣はいないはずなのに、どうして課長は自分を気にしてくれているのか分からなかったからだ。
 課長に抱かれている時、亜衣が出てくることはなかった。それなのに、二人の時間は濃厚に過ぎていく。亜衣がいた時よりも、濃厚にである。
――これが本当の自分なのかしら?
 と思うと、複雑な気持ちになる美咲だった。
 課長は美咲と抱き合ったあと、実にクールだった。美咲もお互いに絶頂を迎えた後、イチャイチャすることに固執しているわけではなく、気だるい気持ちでベッドの中から、課長が鏡を見ながら、まるで朝の出勤の準備を急ぐような形式的に服を着ている姿をじっと見つめていたが、鏡の向こうに誰かがいるのを感じた。
――亜衣?
 いや、その人は男性で、じっと見つめている姿はどこかで見たことがある人だった。
 その人物が久志であることを美咲はすぐに分かったが、久志が現れるのであれば、そこにいるのは落合ではないかと思っていた。
 すると、久志に寄りそうように後ろから抱きついている女性を鏡の中に見つけた。二人は目を合わせて目配せをしている。何も言わずとも分かり合えているようだ。
 久志が亜衣の夢を見たと言って、バーで話をしているところに美咲が現れたのは偶然だったのだろうか?
 亜衣は美咲の前から姿を消したのは、亜衣が美咲に直接干渉できる期間が決まっていて、誰かを介さなければ、美咲に出会うことはできない。そして、その相手が黒沢課長であり、久志だった。
 亜衣は直接黒沢課長の鏡の中に出てくることはできなかった。鏡の中の人物は自分の分身であり、影なのだ。つまりは同性でなければいけない。
 ただ、気になるのは、鏡の中にいる人間は、死んでいなければいけないと思っていた。死んだ人間が生まれ変わるために、影になっているもう一人の自分に関わることで、もう一度人間として生まれてくることができる。そして初めて、その人の影から卒業するのだ。
 美咲にとって亜衣が、課長にとって久志がそうなのかも知れない。
 亜衣と久志は生まれ変われば、きっと一緒になるのではないだろうか。久志が見たのは生まれ変わった自分の夢。美咲は亜衣がもう二度と自分の前に現れないことを分かっていた。
 亜衣と久志は、美咲から卒業したこの瞬間、どこかで生まれ変わっているはずだ。それは赤ん坊からの生まれ変わりではない。ずっと美咲の中で美咲と一緒に成長してきた亜衣が久志と出会うのだ。
 意識や記憶は完全ではないが残っている。いや、一部が欠落した状態だと言ってもいいだろう。
「記憶の欠落?」
 美咲は思わず声に出してみた。
 落合も、久志も記憶が欠落していると言っていた。
 ということは、二人とも生まれ変わりだったのだろうか?
 美咲は自分の記憶の欠落した部分が亜衣のことだとずっと思ってきたが、違っているように思えてきた。
 課長が出て行って一人残ったホテルの一室で、さっきまで課長が見ていた鏡の奥を覗いてみた。
 亜衣がいたはずのその場所に誰か男性が写っているのが見えた。
 そこにいたのは、冷たい笑みを浮かべている落合だったのである……。

                 (  完  )



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作品名:鏡の中に見えるもの 作家名:森本晃次