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鏡の中に見えるもの

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 歓送迎会の人数は十数人くらいのものだったので、二次会には半数くらいの人が参加するようだった。特に美咲を除く他の女性社員はほとんど参加するようだった。帰宅組に声を掛けながら夜の街に消えていく二次会組は、どこか眩しく見えたが、夜の街に呑まれていくのを見ていると、眩しさが虚しさに感じられた自分の感覚が少し信じられなかった。
 駅に向かって歩いていると、後ろから差すような視線を感じた。思わず振り返ってみると、そこには早歩きで近づいてくる黒沢課長が見えた。美咲は立ち止まって踵を返したが、その場から動くことはできなかった。
「どうしたんですか? 課長」
 声が裏返っていたかも知れないと思うほど、虚勢を張りながら、声を掛けてみた。
「萩原君はこっちだったんだね」
 いつも冷静な課長の声も心なしか裏返っているように思えた。
「ええ、課長も何ですか?」
「いや」
 その言葉と同時に課長は歩みを止めた。美咲に最接近したからだ。
 二人は無言のまましばし立ち尽くした。
「どうしたんですか? 課長。いつもの課長じゃないみたい」
 先に口を開いたのは美咲だった。
 美咲にしてみれば意外だったが、このような張りつめた緊張の中で先に口を開くというのは、それだけ落ち着きがないとも言える。そう思うと、意外でも何でもないに違いなかった。
「いつもの僕だと思うが? どこか違うかい?」
 仕事中は厳しさが前面に出ていたが、その裏に潜む優しさも感じられた。他の人のようにまず自分のことを考えながら話をする人には感じられないものだった。その時の課長じゃ、仕事中の厳しさが取れた優しさだけに包まれたそんな雰囲気だった。
「いいえ、いつもの課長ですわ」
 ただ、この雰囲気が女性にモテる雰囲気であるともいえる。このまま自分が口説かれてしまうのではないかと思うと、どうしても身構えてしまうのだろうが、課長を目の前にして見つめられると、身構えるよりも、この場の雰囲気に包まれている方がどれほどいいかと思うようになっていた。
――恥ずかしい――
 目の前で見つめられると、すべてを見透かされているような気がしてそれが恥ずかしかった。ある意味全裸を見られるよりも恥ずかしいくらいだった。
 全裸というのは、隠そうとすれば隠すことができるが、心の奥を見透かされてしまうと、隠すことはできない。実際にどこまで見えているかというのは相手にしか分からない。まるで目隠しプレイをしているような恥ずかしさだった。
 美咲も人の心の奥を覗くことが時々あった。
 それは、少なくとも相手が自分の心を覗こうとしていない相手でなければできないことだった。お互いの意志や視線がぶつかってしまうと、自分が負けるという意識が強かったからだ。相手との視線が接触することはおろか、相手がこちらを意識していることを感じた時、自分の視線に気づかれることを危惧していたのだ。
 美咲は課長とその時視線を合わせるだけで、課長の心の奥を覗いてはいけないと感じた。しかし、それであれば、課長には自分の心の奥を覗いてもらいたいという意識があったのも事実である。
――私はあなたの視線を感じて、あなたの心の奥を覗くのをやめたのだから、あなたは私の心の奥を覗いてよ――
 と、相手が誰であれ、今まではそう思っていた。
 高飛車な発想を抱いているのは分かっていたが、今までの相手は、自分が思った通り、美咲の心の奥を覗こうとしていた。
 美咲にはそれが分かっていた。そして人から自分の心の中を覗かれることが意外と快感であることも分かっていたのだ。それこそ、
――恥ずかしいことなのに、興奮する――
 という発想だった。
 男性からの舐めるような視線を感じたこともあった。
 遊び慣れている男性は、露骨な視線を浴びせてくる。引っ込み思案な男性は、本当に舐めるような視線を浴びせてきて、どちらの視線も身体に心地よさを感じさせた。
 しかし、課長の場合は少し違った。
 ギラギラした視線ではあったが、露骨な視線でも、引っ込み思案な男性からのヲタクっぽい視線でもない。他の男性の視線が下から見上げるような視線であったとすれば、課長の視線は上からの視線だったのだ。
 下から見上げられると、まるで自分が女王様になったような感覚に陥り、サディスティックな部分が表に出てきていた。しかし、そんな感情を相手に悟られないようにして、あくまでも、自分は清楚で恥ずかしがり屋な女性であることを自分なりに演出しているつもりだった。
 今までは、そんな美咲の「おもて面」に誰もが「だまされて」きたのだ。そんな男性たちを見ながら、
――ふふふ、ちゃんと今の私を見なさい――
 と、心の奥ではサディスティックな自分が表に出ている自分を操るようにまわりの男性を誘惑しているのだ。
 美咲は、そんな自分の本性を、普段は意識していない。二重人格であるという自覚もなければ、自分に本性があるなど、考えたこともなかった。
――私は恥ずかしがり屋で、力強い男性に引っ張って行ってもらいたい――
 と思いながらも、近づいてくる男性は、軟弱でオタクっぽい人が多かったりする。
 それなのに、妥協して付き合い始めても、離れていくのは相手からの方だった。
 元々、軟弱な男性たちなので、美咲から離れていく時も、なるべく波風を立てないように自然消滅を試みる。美咲もそのことが分かっているが、ここで騒ぎ立てるのは、自分のプライドが許さないと思っていた。引っ張って行ってもらいたい性格である反面、プライドだけは非常に高い。いや、そんな女性だからこそ、ある一線から先、許せない部分が存在しているのかも知れないと思っていた。
 黒沢課長の視線が自分の中を覗こうとしているのを感じると、急に今まで表に出てきたことのなかったサディスティックな自分が顔を出してきた。
――あれ?
 美咲はその時、自分がどうなってしまったのか、その状況を理解できないでいた。そんな戸惑いを見せている美咲に対し、黒沢課長はじっと見つめているその顔から唇が歪んで見えるのを感じた。
――淫靡な笑みだわ――
 男性のこんな表情を初めて見たと思った美咲は、男性の本当に淫靡な表情がどんなものなのか、初めて知った気がした。最初は怖いと感じたが、次第に襲ってくる快感から、自分が逃れることができなくなってくることを予感するようになった。
――私はこのまま――
 自分を包み込んでいるのは腕ではなかった。薄い膜のようなものに覆われて、その中でプカプカ浮いているような気がしていた。
――懐かしいわ――
 それが母親の胎内の羊水だと感じるまで、さほど時間は掛からなかった。だが、不思議なことに、遠い過去の記憶ではない。まるで昨日感じたようなごく最近の感覚であったのだ。
――封印している記憶が意識の中に引き戻される時、時系列の感覚ってなくなるのかも知れない――
 と前から感じていたが、きっと今それを感じているに違いない。
 美咲は、黒沢課長に抱かれたことがあるような錯覚を覚えた。それは封印している記憶が意識の中に引き戻されたと思った時、最初に感じた自分を包み込んでいる羊水の感覚が、急に身体の局部に集中してくるのを感じたからだ。
作品名:鏡の中に見えるもの 作家名:森本晃次