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鏡の中に見えるもの

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 初めて感じたギラギラした視線。身体が宙に浮いているかのように感じ、風もないのに左右に揺られるのを感じる。ただ、痛いほどの視線ではなく、舐めるような視線だった。淫靡な感じに思えたが、美咲は嫌ではなかった。心地よさすら感じられるその視線に身を任せることの何がいけないのかと自問自答をしてみたが、返事があるわけでもなく、静かに時間だけが過ぎていた。
 課長のそんな視線を感じ始めてから、少しして、まず課長が部署替えになった。部長代理の肩書が付き、出世したのだ。美咲もそれ以降、会社でその課長とは廊下でっすれ違う程度で、二度とあの時のギラギラした視線を感じることはなくなった。
 その代わり、冷静な目が浮かんでいた。それは一番最初に配属になった時に感じた課長の目だった。
――これまで感じていた課長のギラギラした視線って何だったんだろう?
 という思いである。
 美咲はそれからいくつかの部署を経験したが、美咲に対してのギラギラとした視線を感じることはなかった。
 それなのに、今の部署に移ってきて、最初に対面した時の課長に感じた思いは、ギラギラした視線を感じさせた課長との初対面を思い出させるものだった。
――まるで入社当時に戻ったようだわ――
 と、その時の視線をそう感じた。
 すると、次第に課長の視線が、ギラギラとしたものに変わっていき、その視線を浴びた美咲は、
――この人には逆らえない――
 と感じるようになっていた。
 仕事に関してはシビアではあったが、美咲のやりやすいようにやらせてくれる柔軟なところが彼にはあり、それが美咲にはありがたかった。自由奔放にさせてくれる方が実力が発揮できるということに、美咲自身もその時気が付いた。
 元々、それが理想だったはずなのだが、
――会社というのは、そんなに甘いものではない――
 と自分に言い聞かせ、
――仕事は自分の思い通りになるものではない――
 と思わせた。
 実際にその感覚がストレスに変わりつつあった。元々、自由というよりも、何もないところからどんどん作り上げていくことに造詣の深かった美咲にとって、自由にさせてくれるというのはやりがいがあった。しかし、裏を返せば、責任は自分にあるということでもあった。
 それでも、やりがいの方がいいと思うようになったのは、学生時代に生徒会をやらされていた自分と本当に同一人物なのかという思いを抱かせるほどだった。
 これが成長なのだとすると、本当なら喜ぶべきことなのだろうが、手放しに喜べないところもあった。
――冷静さが失われていないだろうか?
 という危惧があったからだ。
 やりがいを求め、責任を裏で感じているという思いは、冷静さが不可欠に思えた。しかし、冒険を犯すだけの気持ちの中には、熱いものも必要だと思うと、冷静さだけを求めるわけにもいかない。正反対の性格を同居させて、うまく調和させなければいけないこの状況は、表よりもむしろ籠ってしまうであろう内に、問題が含まれてるように思えてならなかった。
 美咲は、今の課長のギラギラした視線に、初めて自分が「大人のオンナ」であるという自覚を持った気がした。最初の課長の視線を感じていた時は、ギラギラの中に、それほど淫靡なものを感じていたわけではないと感じていたのだ。「大人のオンナ」を意識するのであれば、淫靡なものを感じることを避けて通ることができないだろう。
――この人には奥さんがいるんだ――
 という思いと、
――どうして、奥さんがいるのに、こんなに女性社員からモテるんだ?
 という思いが頭の中で交錯する。
 これを一つにして考えると、奥さんがいるからこそ、本当なら手に入らないもの、手に入れるということは、道義に反するということ。この二つを考えると、人間の本性としての、
「ないものねだり」
 という発想が頭をよぎった。
 美咲にも子供の頃に経験があった。友達が持っているものばかりほしくなるという感覚で、親にほしいものがあるとねだってみると、その理由を聞かれた。
「どうして、そんなにほしいの?」
 その時、美咲は当たり前のことのように、
「だって、皆持っているんだもん」
 と答えたが、母親は急にため息をついて、俯いていた顔を上げ、美咲に正対した。
「そんな気持ちだったら、余計に買ってあげられないわ」
 意地悪をしているとしか思えない母親の態度に、号泣して訴える子供がそこにはいた。
「そんな、どうしてそんな意地悪なこというの?」
 母親はそれには答えずに、
「ダメなものはダメなの」
 今から思えば、ほしいと思っていることが自分の意志ではないことが問題だったのだろう。
 美咲が高校時代くらいになるとその意味が分かってきた。そして得た結論が、
「自分の意志をしっかり持って、ほしいと思うことが大切なんだ」
 という思いだった。
 そこには、ほしいものを考える大前提として自分の意志が最初にくる。それが最優先されるのだ。だからないものねだりでも、悪いことではないと思う。ただ、人のものをほしがるという思いが今までの美咲にはなかったことに気が付いた。
「皆が持っているもん」
 というのは、集団意識の表れであり、人が持っているものをほしがっているわけではなかった。
 美咲は、集団意識と人が持っているものをほしがる意識を混乱して頭の中で整理していた。そのために、奥さんのいる課長がどうしてモテるのか、分からなかったのだ。
 そんな課長から、最初に誘われた時のことだった。
 その時は、前の課長が支店長になって転勤していくことと、新しく迎えた課長の歓送迎会の時のことだった。
 課長の名前は黒沢課長。美咲は呑み会の途中、どこか上の空だった。自分が何を考えているのか、どこを見つめているのか分からない。
「美咲、どうしたの?」
 と、同僚の女の子に言われて、
「あ、いや、何でもないわ」
 と、自分が挙動不審であることを、人から指摘されるなど恥ずかしいことだと感じ、顔が真っ赤になるのを感じたが、そんな態度が表に出るわけではなかった。
「心ここにあらずって感じよ」
 と、言われても、言い返す言葉が見つからなかった。
 呑み会の時間があっという間に過ぎると、二次会に出掛ける人間と、帰る人の二手に分かれた。美咲は元々二次会に出るようなタイプではないので、誘われることもなかった。課長の方をちらりと見ると、いつものような涼しそうな表情で佇んでいるだけだった。
――課長は二次会に参加するようなタイプではなさそうだわ――
 まわりの人も誘わない。特に女性社員から誘われるような雰囲気ではなかった。
――女性からモテるはずなのに――
 と思っていたが、課長の方を見いていると、誘いにくそうなオーラが出ているのを感じた。そこには遠慮という言葉ではない単純に近寄りがたい雰囲気があった。会社では決して見せない課長の態度に、他の女性社員もとまどっているのだろう。
「では、一旦解散しましょう」
 という幹事の声が響いた。
作品名:鏡の中に見えるもの 作家名:森本晃次