鏡の中に見えるもの
「俺は、美咲さんのように、前世で出会った人に出会えると思っているんだけど、俺も出会うとすれば、相手が気づいてくれる時だと思っていたんだ。美咲さんとの話を総合して普通に考えると、永遠に出会えないような気がするんだけど、逆に相手の素振りを見て、どこか気になるところがあれば、挙動が変わってくるよね。それに相手が気づいてくれるかどうかという、やはり段階的なものが必要だけど、それさえクリアできれば、前世の因縁を見つけることはできるような気がするんだ」
そう言ったのは落合だった。
落合には落合の考えがあるようだが、久志は少し違っていた。
「俺は、前世の因縁というのは分からなくもないと思うけど、因縁のある人とは出会うことができないような気がするんだ。それはいわゆる『タイムパラドックス』のようなものであり、因縁のある人と出会ってしまうと、過去の因縁まで変わってしまうような気がするんだ。あくまでも漠然とした考えなんだけど、前世という発想を誰もが信じていない時点で、何か信じられないと思わせる力が働いていて、その力の存在自体が『パラドックス』の証明ではないかって思うんだ」
「なるほど、君の意見にも一理ある気がするんだけど、でもそこまで君が言うんだから、漠然としていながらも、その『見えない力』が何なのか、分かっているつもりなんだろう? 君はまったく根拠のない意見を口にできる男ではないことは分かっているつもりなんだ。一体、何だと思っているんだい?」
久志は落合に言われて、
――さすがに、鋭いところをついてくる――
と感じた。
久志は苦笑いをしながら答えた。落合もその表情を見て、納得したような顔をしたのは、久志の口から何が出てくるのか、ある程度予想できていたからなのかも知れない。
「俺は、それを夢だと思っているんだ。夢の中では予期せぬ出来事が繰り広げられているように思えるけど、実際には自分が普段から気にしていることが夢の中で出てくる。逆にいうと、夢の中で展開されているのは、普段、信じられないと思っていることや、今までの経験の中で、『どうしてこんなことになってしまったのか?』と自分で納得できないことが夢の中に出てきて、夢の中では納得しているんだと思うんだ。ただ、そんな時は夢の内容を覚えていないことが多かったり、記憶していたとしても、肝心なところが抜けていたりする。そのために、まったく違った記憶として夢を意識しているんじゃないかって思うんだ」
「じゃあ、君は夢を覚えている時というのは、その内容を信じられないというのかい?」
落合は興奮したように、噛みついてきた。
「すべてがそうだとは言わないが、信じられないと思って考える方が、辻褄が合いそうな気がするんだ」
「確かに、信じられないと思って考えれば辻褄が合っているようなことって意外とするかも知れないな」
「どういう意味だい?」
「人間というのは、何でもかんでも辻褄を合わせようとしているところがあると思うんだ。辻褄が合っている方が安心できるからじゃないのかな? ということは、それだけ物事の流れを考えることが怖いとも言える。動けば動くほど不安や危険が増しているように思えるよね。ネガティブな考えだけど、ポジティブに考えようとしている人は、不安を払拭できるからポジティブに考えられるわけではない。不安を払拭したいと思うから、ポジティブに考えるんじゃないかな?」
「それこそ、ネガティブだね」
「そうじゃないんだ。俺は逆に人間の根本はポジティブなところにあると思うんだ。それは加算法か、減算法の違いに由来すると思うんだけど、最初にポジティブなところから始まるのは、百パーセントからの減算法であり、ネガティブなところから始まるのは、ゼロからの加算法だって思うんだよね。まぁ、加算法の場合、本当にゼロからとは限らないとは思うんだけどね」
「じゃあ、君は人間は最初は百パーセントで、減算法だっていうのかい?」
「俺はそう思う。将棋にしても、最初に並べた形が百だとすれば、動かすごとに隙ができていくだろう? 戦の陣地だって同じだって思うんだ。人間というのは、無意識に百の形を知っていて、そこからどんどんと形を崩していく。それが個性であったり、成長であったりする。でもどんな表現をしようとも、結局は減算でしかないと思うんだ。だから、個性や成長には不安がつきものだろう?」
お互いに前世の話から脱線してしまっていることに気づかない。話がヒートアップしてしまうと、まわりが見えなくなるのは二人に限ったことではない。しばらくの間、美咲は蚊帳の外に追いやられてしまった。
美咲は美咲で二人の話を聞きながら、自分の考えと照らし合わせていた。そして、美咲も二人の話に口を挟んできた。
「実は私も人間はポジティブなところからの減算法だっていう考えに賛成なんです。今までぼんやりと思っていたことだったんですが、実際に他人から悟らされたように話を聞かされると、それまでのハッキリしない考えが次第に固まってきたような気がします。やはり、夢というキーワードは大きいのかも知れませんね」
「欠落した記憶が、他人と関係しているとさっき言っていましたが、それが本当の他人なのか、それとも前世の自分が関わっていることなのか、人それぞれなのかも知れないけど、俺の場合は、本当の他人が関わっているような気がするんだ。つまりは今同じ時代を生きているまったくの他人ということだね」
落合はそう言った。
すると、すかさず久志は反対意見を持っているのか、質問してきた。
「その相手というのがまったく自分の知らない相手だということだけど、その人と、今後出会う可能性はあると思うのかい?」
「出会えることはないと思う。もし出会ってしまうと、それはパラドックスに抵触しそうで、許されないことだと思うんだ」
その言葉を聞いた久志は、少し怪訝な表情になった。まるで苦虫を噛み潰したようなやりきれないと言った表情である。
「どうも、君の話を聞いていると、パラドックスということに必要以上に過敏に反応しているような気がするんだ。俺も確かにパラドックスというのを信じていないわけではないけど、そこまで雁字搦めに考える必要はないんじゃないかって思うんだ」
と久志がいうと、美咲が割って入った。
「そうでしょうか? パラドックスという発想を思い浮かべた時点で、私は雁字搦めになっても仕方がないと思うんですよ。逆に言えば、パラドックスという発想を思い浮かべるためには、雁字搦めになってしまうことを覚悟しておかないと、パラドックスを自分に当て嵌めることはできないと思うんです」
いつになく口調が攻撃的な美咲の言葉に、久志は少し圧倒された。
美咲はその表情を見て、少し我に返って、さらに言葉を続けた。
「あ、いえ、パラドックスという発想を思い浮かべること自体が雁字搦めを覚悟しないといけないという意味ではなく、パラドックスを自分に当て嵌めた時点で、雁字搦めを覚悟しないといけないという意味なんですよ」
久志にも落合にもそれは分かっているかも知れないと思っていたが、言い訳をするにはこの表現しかなかった美咲だった。
すると、それを聞いて、今度は落合が冷静に答えた。