鏡の中に見えるもの
「なるほど、なるほど。確かにそうだね。そう考えると、他にもいろいろな発想が思い浮かんでこないかい? 例えば、他の人も同じように記憶の欠落に関係があるとすれば、大きく三つに分けられると思うんだ」
「どういうことだい?」
「一つは、記憶が欠落していると思っていて、本当に欠落している人。二つ目は、記憶が欠落していると思っているけど、本当は記憶は欠落していない人、そして、三つ目は、記憶の欠落を意識することなく、記憶が欠落している人。もちろん、記憶の欠落とはまったく無縁な人もいるんだろうけどね。その人の割合がどれほどか分からないけど、俺はそれほどいないって思うんだ」
「理論的に考えればそうだね。ということは、俺たち二人は、一つ目か二つ目のどちらかだということになるね。俺はどっちなんだろう?」
久志がそういうと、
「俺は、今はずっと一つ目だと思っていたんだけど、こうやって話をしていると二つ目じゃないかって思うようになってきた」
「どういうことなんだい?」
「確かに記憶が欠落しているような意識はあるんだけど、でも、どこが欠落しているかって分からないんだ。記憶の中で辻褄の合わないところを探してみるんだけど、よく分からないんだ。でも、今考えていることは、さらに進んだ、いや、不可思議なことを考えていると言ってもいい」
「どういうことなんだい?」
「俺の欠落していると思っている記憶は、本当に俺の記憶なんだろうかって感じるんだ。何か映画やドラマで見た意識が自分の中の妄想と絡み合って、勝手な記憶として格納されてしまったんじゃないかっていうものなんだ」
「それはあるかも知れないね。実際にそれは俺にもあると思うんだ。だから、記憶が欠落しているのは自分だけではなく、他の人も結構いるんじゃないかって思ったのは、記憶の欠落を人に話せないことだと思いながらも、落合君に指摘された時、恥ずかしいという思いよりも、やっと分かってくれる人がいたんだという思いが先にあった。記憶の欠落というのは、ある意味、都合よく発想できるものではないかと思えたりもする。それが曖昧なことに辻褄を合わせようとする感覚なのかも知れないな」
久志は、自分の意見が、人に話をしながら、どんどん固まってくるのを感じた。この思いは誰にでもできるものではなく、相手が落合だからではないだろうか。落合と知り合えたことを本当によかったと感じる久志だった。
それを聞いた落合は、さらに自分の発想を話してくれた。
「久志君と話をしていると、俺はどんどん発想が豊かになる気がしているんだ。本当であれば、自分ならこんな発想絶対にしないと思っているようなことでも、久志君の話を聞いていると、打ち消そうとした思いも、本当はそうなのかも知れないと感じることができる。そういう意味で、本当の会話って素晴らしいと思うんだよ」
「そう言ってくれると嬉しいよ」
「そこで、今も、少し突飛な発想が頭をよぎったんだ。俺は確かに記憶の欠落を意識しているが、本当は欠落なんかしていないって思っている。自分の中で矛盾が生じたわけだが、その解決法として、もう一つの発想が浮かんだんだ。それは、記憶が欠落しているのは本当で、記憶が繋がっているのも本当なんだ。でも、欠落したと思っている部分の記憶が果たして自分のものなのかと思うと、そこで不可思議な発想が浮かんでくる」
久志は、少し頭が混乱してくるのを感じた。
「ということは、君は自分の記憶の中に他人の記憶が含まれているということかい?」
「ああ、そうなんだ。最初はそれを自分の前世で起こったことの記憶だったり、幼少の頃の、本当なら覚えていないはずの記憶だったりが、欠落した部分に埋め込まれたんじゃないかって思ったんだけど、それだと、記憶の欠落という意識はあっても、記憶が繋がっているというのは不思議な気がするんだ。何しろ時系列が合っていないことになるからね」
「確かに、時系列というのは、記憶のつながりには必要なものだよね」
「でも、実際に記憶の中で、時系列が混乱しているものがあるのも事実なんだよ。でも、それってまるで夢の世界のようじゃないか。夢の世界の出来事は、ほぼほぼ時系列に合っていないという意識が強いからね」
「ということはどういうことなんだい?」
「夢を自分の記憶の中で混同はさせられないと思うんだ。夢の世界で起こったことを記憶として残してしまうと、夢の中が重複してしまいそうな気がするんだ。夢というのは、潜在意識が見せるものだっていうだろう? 俺もそう思うんだ。つまり、潜在意識の中には記憶というものがあって、限られた記憶の中から潜在意識がもっとも気になっていることを夢として見せる。もちろん、記憶の中には意識というのも含まれている。大きな意味での記憶は、現在意識している感覚と、記憶として格納されている潜在意識とでできているんじゃないかな? だから、俺は記憶の欠落と夢というものの共存はありえないと思うんだ」
なかなか、結論を言わない落合に、久志は少し苛立ちを感じていた。
「だから?」
少し、突っぱねるような言い方になったかも知れない。
「俺は自分の欠落した部分の記憶は、俺のものではない他人のものだって思う。それは前世であるはずはない。本当に他人のものなんだ」
「それこそ、奇抜な発想なんじゃないかい?」
「そうでもないと思うんだ。その証拠に、他人との夢の共有はありえないだろう? でも、完全にありえないわけではないと思う。夢を見ている人は意識していないだけで、自分の夢に出てきた人が、同じ夢を見ていないとは限らない。でも、夢の共有はありえないと思っている以上、違う時間の他人の夢と共有しているかも知れないと思うんだ。特に俺なんか、よく学生時代の夢を見るんだけど、俺はとっくに卒業しているという意識はあるのに、まだ学生なんだ。まわりの友達は皆卒業していて、自分だけがまだ学生をしている。そんなシチュエーションを当然のごとくに感じているから、まわりの友達も社会人なのに、キャンパス内を当たり前に歩いていることが違和感であるにも関わらず、感じているのは、まだ自分だけが学生だという後ろめたさなんだ。俺は実際には留年していないので、その夢を見たのは、卒業も就職も決まったあとだったんだ。その話を夢に出てきた友達に話すと、その友達は同じ夢を一年前に見たっていうんだ。だから俺だけが卒業できないんじゃないかって思っていたらしい」
久志は、その突飛な話に、
「君はその友達の話を信じているのかい? 君の話を聞いてその場で考えたシチュエーションかも知れないよ」
と久志に言われた落合は余裕の笑顔を浮かべて、
「俺も最初はそう思ったんだけど、実は友達と話をしたその夜、その夢の続きを見たんだ。内容は、友達が話したことをそのまま言われただけなんだけど、俺にとってそれが問題ではないんだ。普通なら、夢の続きなんて見ることはできないだろう? それなのに、夢の続きを見ることができたということは、その友達の話したことが本当のことだと思えたからなんだ」
久志は、少し分からなった。
「いや、夢の続きを見るということは、それだけその夢が印象深かったからなんじゃないのかい?」