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鏡の中に見えるもの

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 しかし、考えてみればこんな態度は久志ならではだと言える。人から質問されたり、相談されたりしたことでも、あまり深く考えることなく答えているのが自分だと思っていた。実際に相談されたりしたことはなかったが、相談された時の受け答えは自分ならそれ以外にはありえないと思っていた。そういう意味では、彼女は久志によく似たところがあるのだ。
 モテキの泥沼から解放されると、久志はその時期がまるで夢だったかのように思えていた。
 意識はだんだん薄れていき、記憶の奥に封印されたようだ。
――俺に女性からモテた時期なんて、今までにはなかったんだ――
 それが本当のことのように真剣に感じられたから不思議だったのだ。
 その時の彼女とは、それから仲が深まったということはなかった。久志はいつも一人でいたし、彼女も一人だった。相変わらず久志を好奇の目で見ていたのだが、今までの経緯から、彼女への思いはもはや芽生えることはなかった。
――この人も、一人が似合うんだ――
 お互いに男女の違いこそあれ、本当に似た者同士なのかも知れない。似た者同士という意識が、彼女に好奇の目を向けさせるのかも知れない。
 だが、久志が底なし沼に入り込む瞬間を助けたのは、紛れもなく彼女だったのだ。久志はそのことだけは忘れることはなかった。意識の中に持ち続け、記憶の奥に封印などさせなかった。
 久志が、
――俺の記憶には欠落した部分がある――
 と思うようになったのは、その頃からだった。
 そのことを誰にも知られたくないとずっと思ってきて、学生時代、誰にも知られることもなくやり過ごせた。就職し、完全に環境も変わり、まわりは知らない人だらけ、やっと記憶の欠落について気が付く人などいないと思われた。
 しかし、いとも簡単に落合から看過された。それもそのはず、落合は、
「人は誰でも、一生のうちに記憶を欠落させる瞬間を、何度か持っているものなんだ」
 という信念を抱いていた。
――社会に出れば、学生時代に出会うことのなかったすごい人に出会うというのは、まんざらでもないんだ――
 それが人の成長とともに、さらには環境の変化も伴って、今まで表に出ていなかった能力を、やっと発揮することができるようになる人が増えてくるのかも知れない。
 久志はしばらくその彼女のことを忘れていた。
 最初は記憶の欠落だったんだと思っていたが、記憶の奥に封印されていたと思った方が自然だった。そのため、
――途中から記憶の奥に封印されていたんだ――
 と思っていたが、思い出したことが、何かの辻褄合わせであると思うようになると、今度は、
――やっぱり、記憶の欠落だったのかも?
 と考えを元に戻した。
 その話を落合とこの店でしたことがあった。
 元々、この店に来るようになってから彼女のことを思い出すようになったのだから、この店に最初に来ていた落合に話をしてみたくなった心境は、何となく後から考えても分かる気がした。
――落合だったら、自分一人の考えに凝り固まっている部分があれば、解きほぐしてくれて、さらに新しい発見を与えてくれるかも知れない――
 と感じたからだった。
 また、なぜか落合も彼女のことを知っているのではないかという思いも頭をよぎった。落合と一緒にいると、想像がとどまるところを知らないように思えてならない。
 ただ、それは彼女にも言えることだった。どれだけ自分が影響を受けやすいか、やっと最近自覚できるようになった。しかも、無意識にのことである。
 落合に彼女のことを話すと、まるで分かっていたかのように何度も頷く落合を見ていると、
――この男は、どこまで俺に関わっているんだろう?
 と思わせた。
 自分の知らないところで、勝手に結び付いてくる。それは落合の意識の中にあることなのか分からない分、望む望まないにかかわらず絡みついてくる相手は、自力で払いのけることは不可能に思えた。
――ひょっとすると、お互いに共有できる何かを持っていて、三人だけの秘密の部屋が用意されていて、誰にも犯すことのできない世界がある。そしてその世界では、想像したことが目の前で繰り広げられる世界。ただし、実態のない掴もうとしても掴むことのできない世界が存在している――
 という思いを抱くようになった。
 そんな思いの行き着く先は決まっていた。夢の世界である。
 久志が、夢の中で見た亜衣という淫靡な女性。いろいろ頭の中で想像や妄想を繰り返しているうちに、結局は元に戻ってきた。
――堂々巡り――
 という一言で表されるのだろうか。迷ったうえで結局戻ってきたわけではない。そういう意味では、
――袋小路に迷い込んだ――
 という発想とは明らかに違っている。
 堂々巡りを繰り返すということは、それだけ人間の頭には明確な限界が存在しているということであろう。
 落合は自分が思いつきで行動する人間だという意識を持っていた。久志もそのことは分かっている。
――自分にはできない――
 できないことができる人は、それがいいことであれ、悪いことであれ、一定の評価を持っていた。いい悪いの評価を自分ができるなどと考えるのはおこがましい。何しろ自分にできないことができるのだから、それだけで尊敬に値すると思っていた。
 もちろん、明らかに悪いこともあるだろう。法律に抵触すること、人道的に許されないと一般的に考えられることなど明らかに悪いことだと分かるが、それでも悪いことと分かっていてもしようとするのであれば、そこに何かの理由があるはずだと思う。久志は落合に対しては、
――疑ってみるよりも、まずは信じることから始めたい――
 と思っている。
 落合以外の人に対しては正反対だった。
 まずは相手を疑ってみることから始める。どんなにもっともなことを言う人でも、人のために何かをしている人でも、その裏に何かが潜んでいるように思うからだ。
――昔は、っそんなことはなかったはずなのに。いつから変わってしまったのだろう?
 記憶が欠落している部分に、何かがあったような気がする。
 子供の頃には、
「まず人を信じることから始めなさい」
 と学校の先生から言われて、それを忠実に守っていた。
 逆らうよりも、忠実に守る方が楽である。大人のいう通りにしていれば褒められる。逆らえば怒られる。当然の摂理である。子供が抗うことをしないのは、逆らって怒られるのが怖いというよりも、怒られた後のことが怖いからではないだろうか。それを思うと、忠実に守っている方が怒られるどころか褒められる。しかも、そこにおだてが入るのだ。
 必要以上なおだては、子供には嬉しい以外の何ものもない。子供の頃は、楽だという意識はないのだが、それは無意識に、
――楽だと思うのは、卑怯なことだ――
 と思っていたからだろう。
 大人の教えの中にも、教科書などのテキストにも、
「楽をして手に入れても、それは本当の力ではない」
 と言わんばかりの教訓が含まれている。
 子供の頃は、そういう教訓を素直に聞くのが本能のように思っているから、
「楽をするのは悪いことだ」
 というのが、自他ともに暗黙の了解のように思うのではないだろうか。
――いつ頃から、楽をするのを覚えたのだろう?
作品名:鏡の中に見えるもの 作家名:森本晃次