短編集18(過去作品)
そういえば父親の表情。母親の表情までもくっきりと頭の中にあるにもかかわらず、ところどころ表情と状況が繋がっていないところがあるのだ。しかもその時々で、鏡に写った自分の姿や表情が思い出せれるのが、とても不思議だった。
父親と母親のことを考えていると思い出すもう一つの顔がある。
それは男性の顔で、おにいさんというには年を取りすぎていて、おじさんというには、そこまで行っていないような感じの人の顔である。
最初に見た時に、
――どこかで見たことのあるような顔だな――
と感じたのが印象的だった。初めて見たにも関わらず、その人の顔だけはハッキリと覚えていた。物覚えが悪い中でも人の顔を覚えるのが一番苦手な私であるにもかかわらず覚えているのは、その思いが強かったからに違いない。
随所に出てくるその表情はいつも私を見ていた。目が合ったということもあったのだが、相手は決して視線を逸らそうとはしない。私も他の人であれば目が合えば逸らしたりするだろう。それは反射的な行動であって、その後に意識がついてくる。しかしその男に関して言えば、反射的にも逸らすことはなく、ついてきた意識の中でも逸らそうというつもりはない。
きっと最初は金縛りのようなものだったのだと思う。だが、視線を逸らさない理由は自分の中で見たことはあるが、それがいつのことだったのかということを思い出そうとしていたからに違いない。
その男の表情は実に冷静沈着だった。私が誰だか知っていて見つめていたに違いない。私がその人を見つめる視線も、今から思えば知らない人であるにもかかわらず、決して自分に関係のない人物ではないという意識の元見ていた。きっと表情はいつも同じだったに違いない。
今私はあの時母親と一緒に行った診療所のある街にやってきている。
今回は母親を伴うこともなく、もちろん、誰にもここに来ることを話したりもしなかった。まったくの自分の意志でやってきたのであって、そこには何ら他人の意志が入る余地などあろうはずもない。
あれからそろそろ二十年近く経とうとしているのだ。家の近くはかなり変わり、今まで平屋だったところも区画整理などされることにより、マンションが目立つようになっていた。
しかしここの街に降り立った時に感じたのは、
――まるで二十年前にタイムスリップしたみたいだ――
と感じるほど変わっていなかったことだ。
確かに駅を中心に駅前は寂れたまま、当時に見た看板がそのままかかっているように思えるくらいだ。しかし不思議なことに、当時新しい看板で、それが二十年の歳月で朽ちてしまったというのであれば納得がいく。しかし、錆びれた看板が、昔そのままに残っているのを見ると、
――まるで夢を見ているようだ――
とさえ思えてくる。
駅を降りると、真昼には違いないのに、なぜか薄暗く感じる。薄暗いというか、全体的にグレー掛かっていて、そうまるで鬱状態の時に見るあのグレーっぽさを見ているようなのだ。
駅前のこじんまりとしたロータリーを抜けて少し歩いていると、以前来た時にも気になっていた木塀の長屋の前を通りかかった。このあたりから舗装されておらず、長屋を通りすぎるとあとは一本道のはずなのだ。
長屋からは、前来た時と同じように、人の気配が感じられない。表の物干しには洗濯物や布団が干されているにもかかわらず、中からは一切の人の気配を感じることができないのだ。実に不思議なことだった。
木塀に塗られた油の匂いが印象的だった。まるで自分が小学生に戻り、和服を着て日傘を差して歩いている母親の後ろについて歩く感覚はまるで昨日のようだ。母親の後姿を見上げていて一番気になったのが、うなじのところだったというのは、それまで女性に対してまったく異性を感じたことのない私にとっては無意識だったのかも知れないが、この歳になった今思い出すと、その時の母親の妖艶さが今さらながら伝わってくる気がするのだ。
そういえば小さい頃、ここではなかったのだが、舗装されていない木の塀が目立つ油の臭いがするところでよく遊んでいた記憶がある。
夏になると油の臭いがまわりに充満し、本当なら嫌な気持ちになるのだろうが、なぜかその臭いが嫌いではなかった。さすがにシンナーの臭いになるとついていけないものがあるが、この臭いから頭痛がすることもなく、思い出が詰まった臭いとして記憶の奥にあった。
遊んでいたのは近くの小学生仲間、幼稚園の頃からの友達数人と泥んこ遊びなどもしていた。
遊んでいるとまわりが本当に見えなくなるものだ。近くを大人が通っても気になることもなく、
「あなたたち、いつも泥んこで、恥ずかしくないの?」
と親たちは口を揃えて説教するが、遊んでいる子供たちにそんな意識はかけらもない。まわりが見えないのだから、
「そんなのは僕たちには関係ないよ」
というと、
「あまり恥ずかしい遊び方しないでね」
訳の分からないことを言う。それが近所への体裁であるなどということはまだ泥んこ遊びが好きだった頃の自分に分かるはずがない。逆に大人の考えとして、
――訳が分からない方が、きつめに説教すれば聞くだろう――
くらいにしか考えていないかも知れない。しかし、子供であっても理不尽に思えることは納得いくはずもなく、遊びをやめることはなかった。
それでもちょっとした後ろめたさもあり、それが記憶として残っていることが何とも皮肉な気がした。
大人たちの理不尽な説教も記憶に残っていて、なぜか大人の視線から、遊んでいる僕たちを見ている記憶があるのだ。
それだけではない。あれはいつ頃のことだっただろうか、ある大人の男の人が話しかけてきたことがあった。最初はただじっと見つめているだけだったが、何もすることなく見つめられるだけというのは却って辛いものだ。背中に突き刺すような視線を感じながら遊ぶのは、さすがにまわりを気にせずに遊んでいたとしても辛いものがあった。
「君たちはいつもここで遊んでいるの?」
男の視線に意識はあったが、なるべく顔を合わさないように、見ないようにしていたので、男の様子を見たのは声を掛けられて振り向いた時が初めてだった。
黒いスーツにえんじのネクタイ、パリッとした紳士だった。大人の年が分かるほどではないので、大体の想像なのだが、父親よりは若く、お兄さんというにはだいぶ歳を取っている気がした。どちらかというと、お父さんに歳が近いかも知れない。スーツ姿がそう感じさせるのだろう。
「うん、そうだけど、おじさんは誰?」
他の友達は怖いのか、誰も男の言葉に反応するものはいなかったが、ちょうど正面で座り込んでいた私が答えたのは、まるで男が私に話しかけてきたように感じたからである。
「おじさんかい? おじさんはいつも君たちを見ているんだよ」
何となく不敵な笑みを感じたが、最初に返事をした手前、ひるんではいけないと子供心にも感じていた。
「いつも見ていたって、ここで?」
「ああ、そうだよ。いつも君たちは黙々と遊んでいるからね」
と言われても、見られていたら気付くはずである。男の言っていることは明らかに信じられないのだが、説得力がある。言葉に重みを感じるのだ。
「何のために僕たちを見ているのさ」
作品名:短編集18(過去作品) 作家名:森本晃次