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短編集18(過去作品)

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 夜になると眠れない。急に目が冴えてくる。それも夜行性というわけではなく、ただ目が冴えるだけで、何かをしたいとも思わない。ただ漠然と眠れないのだ。
 夜が来るのが怖い。特に夜歩いていて、長い影を見るのが怖いのだ。街灯だけの明かり、それが身体を中心にクモの巣状に広がっている。しかも、歩いていると街灯からの距離が微妙に変わり、いつも見ているはずの影が、不気味なものに感じられる。
 長さが少しずつ変わり、長い影は細さをさらに強調している。元々痩せ方の私なので、自分の影の細さにはそれほどビックリしないが、他人の影が次第に細くなり、太めの人でさえ、原型が分からないくらいいびつに歪んでいる。
――普段であれば気にすることもないのに――
 いつも見ていて、いびつなのは感じているはずだ。気にしているから見ているのだろうが、見ているのは漠然としてである。
 しかし、それが意識としてあるのは、きっと鬱状態の時に気にして見ているのが頭にあるからだろう。
 普段は本当に無意識なことが多い。昼であれ夜であれ、鬱状態ではない時はあまり意識しないようにしているのは無意識にだろうか?
 夜は寝るものだと単純に思っていた。躁鬱症だということを感じ始める前に、不眠症ではないかと思ったくらいである。
 しかし不眠症というのとも少し違う。気がついたら、寝ていることが多い。夢を見ているのだが、あまりいい夢ではない。はっきりと理解できないのは、夢だという意識がないからで、それだけ鬱状態で見ている夢は自然なのかも知れない。
 夢だという意識がない中で見る夢なので、覚めた時に違和感がなく、まるで寝ていなかったような感じがするくらいだ。眠れなかった時でさえ、まるで不眠症になった夢を見ているのではないか、と思ってしまう。
 鬱状態と不眠症。私は二つの厄介なものを背負い込んだ気持ちでいたが、どちらも同じところに起因しているのかも知れない。
 どちらもそれまでの自分にはなかったものだと思っていた。しかし、それは間違いだったのようだ。心の奥に封印していて、それは無意識であって、存在にも気付いていなかったもう一人の私。ただそれが現われるだけなのだ。
 時々思うのは、
――今こうして考えている自分は、どっちの自分なのだろう――
 と感じる時がある。
 もう一人の自分を意識し始めると、時々私の分からない間に入れ替わっているのではないかという妄想のようなものを感じる。「物忘れが激しい」というのも、もう一人の自分の存在を考えれば、無理のないことのように思うのだ。
 そこで繋がってきた。
 やはり鬱状態に陥るのは、普段の私がもう一人の私に封印されることで起こるのかも知れない。見ることや聴くことの感覚は一つの身体で味わっているので、後は感じ方なのだ。感じ方が違えば、世界が違っても当たり前なのだろう。
 そう考えれば躁鬱症というのは私だけにあるものではない。きっと他の人にも潜在的にあって、表に出ていないだけなのか、それとも本人が気付いていないだけなのだ。
「あいつは急に怒り出す。変なやつだ」
 などと他人に感じたことがある。それはきっと本人の無意識の中でもう一人の自分が暴れているのかも知れない。
 鬱状態に陥った私が時々感じるのは、ふっと我に返った時に、
「あれ? どこかで見たことのある光景」
 を感じることだ。本当に一瞬で、感じたあとに光景を徐々に忘れていく。思い出したわけではなく、頭を掠めて通り過ぎていったと言った方が正解かも知れない。
 その感覚は鬱状態の時にだけ感じるわけではないが、明らかに鬱状態の時が多い。それこそ私の中の別人の記憶が存在すると考えれば辻褄が合う。
 それを「デジャブ」と言って、まるで擬似記憶のようなものだという。自分にだけあるものではなく、皆の中にも存在するものだとも言われる。
 そう、私が急に立ち止まったのは、そんなデジャブを思い出したからに違いない。

 この街にやってきたのはいつ以来だっただろう。あれは小学生の頃、親に連れられてきたのが最初で最後だったような気がする。
 親戚のおじいさんが急遽入院したらしいということで、初めてやってきた診療所。子供心に、のどかな田舎風景に、
――こんなところに病院なんてあるのだろうか?
 と感じていた。
 それにしても母親の顔が印象的である。いつになく緊張した面持ちで、顔が心なしか赤くなって見える。どちらかというといつも冷静な母親の顔に浮かんだ異変、すぐに気付いたのは、いつも表情を気にしているからかも知れない。
 いつも気にしているのは、顔色を窺っているからで、とても厳しい母親だったのを覚えている。曲がったことは嫌いで、それが子供にも影響し、無言のプレッシャーを感じる。もちろん、自分にも厳しい人だった。だからこそ感じるプレッシャーで、学校にいるよりも母親といる方が辛い時があった。
 そんな母親が見せる緊張感である。私が怯えるのも無理のないことだった。
 あれは夏の暑い時期だったと記憶している。
 まだ舗装もされていない田舎道、車が通るたびに湧き上がる砂埃にケホケホ咳をしながら歩いていた。身体に汗がへばりついてきて気持ち悪い。その汗に染み付くような埃が、また気持ち悪かった。
 小さな虫が無数に飛んでいる。見えないのだが、思わず手で払い除けたくなるほどの大量発生なのだ。まわりの雑草が茂っているところを通ると余計に感じる。田舎道はこれだから嫌だ。
 果てしなく続く一本道、まわりには田んぼしかなく、緑が鮮やかだ。かなり先の方にこじんまりとした丘があり、林のようになっている。きっと目指す診療所はさらに先にあるのだろう。それを考えると歩くのがウンザリしてきたのだ。
 こんな辺鄙なところにある診療所なのだ。普通の診療所でないことは察しがつく。だからといって母親の顔に走っている緊張感の理由にはならないことはすぐに分かった。
 日傘を差している母親は、その傘を手でクルクルと回している。
 もちろん無意識だろう。それが緊張感から来るイライラであることはすぐに分かった。いつもそんなイライラすることなどないだけに、イライラしてくると無意識にいろいろなことをしてしまうのかも知れない。
 そういう意味でその時の私は落ち着いていた。母親がイライラすればするほど、私が落ち着かなければならないと感じるのである。
 弄ばれる日傘はさらにクルクルと廻っている。進めば進むほどその速さは増してきて、歩くスピードも少しだけ上がってきたような感じがしている。
――一体あの母を何がここまでさせるのだろう――
 考えていたが分かるはずもなく、流れ落ちる汗に気持ち悪さを感じながら歩いていた。
 丘の上の林をやっとの思いで抜けると、そこには思ったとおり、診療所があった。今までこれほど長く一本道を歩いたことはないと思えるほど疲労していたのに、目的地が見えた途端に引いていく汗を感じていた。
 砂埃をそれほど苦痛とは感じなくなっていた。きっとまわりの光景に慣れて来たせいもあるのだろう。
 最初は、初めてなので見るものすべてが不思議だったが、ここまで歩いてくると、
――今日初めて来たなんて信じられない。まるで以前から知っていたようだ――
作品名:短編集18(過去作品) 作家名:森本晃次