短編集18(過去作品)
自問自答を繰り返すが結論は出ない。自分の中で譲ることのできぬ許せないことに、いつも憤慨しているようだ。
電車の中での携帯電話の使用、喫煙場所以外での喫煙、いわゆるマナーと呼ばれる範囲のことへの怒りが多い。
――罪になることだったらしないくせに、モラルに関することは平気で破る――
いわゆる確信犯ではないか。そんな連中に無性に腹が立つ。
別に私が腹を立てる必要などないのに、なぜか腹を立ててしまう。これこそ無駄な労力というものだ。そこに頑固さを感じるのだ。
では自分を振り返ってどうなのだろうか?
モラルに反することをしていないと今まで信じてきたが、知らず知らずにしていることもある。それを自覚した時の驚き、そして憔悴……。自分が自分でなくなったような気持ちになり、自分がただ頑固なだけだったことに気付く。そこで気持ちを修正できればいいのだが、それもできない。結局「不器用」なのだ。友達はそのことを言いたかったのかも知れない。
もちろん女に対して一番顕著に現われ、それを一番敏感に感じるのが女というものだろう。私が本気になりかけた時に女から去っていくのも何となく分かってきた。
――そこまで分かっているのに――
唇を噛み切ってしまうほど悔しい。眉間に皺を寄せ、歌舞伎役者のメイクみたいになっているような自分の顔を鏡で何度見たことか……。
袋小路に入り込む。
考えれば考えるほど自分が分からなくなり、何をしていいのか、何をしなければならないのか分からない。きっと頭では分かっていることだろう。しかしそれが整理できないのだ。整理整頓ができず、目の前にあっても探し物を見つけることができない性格が災いしているに違いない。
そんな時期がしばらくは続いただろう。鬱状態ではないのに、人に会いたくない。そんな時期だった……。
由里のことを思い出した。してくるはずのないコーヒーの香りを感じている私は、先ほど感じた寒さで少し指先が麻痺してきたのか、手の平を擦り合わせている。無意識な行動なのだが、由里と一緒にいる時によくしていたことを思い出した。
由里のことを思い出していくうちに眩暈は治まってきて、視界がハッキリしてくる。そのため、余計にあたりの暗さを感じるのだった。
それから私と由里は、しばらく付き合っていた。
学生時代に付き合った女性との最後が頭にないわけではない。教訓とまで行かないが、同じ失敗は繰り返さないという自信はあった。由里とだったら失敗はないだろうという思いがあったのも事実で、それだけ自分の女性を見る目に自信を持っていたに違いない。
学生時代と比べて由里と知り合った時期は、私自身が違うのだ。あの頃のように浮き足立っていないし、しっかり地に足がついていた。何よりも社会人としての自覚が学生時代の自分を理解できるような気がして、気持ちに余裕もあった。
学生時代の頭の中は期待と不安が渦巻いていた。将来にいくらでも可能性があると思うと期待が生まれ、その可能性が見えてこないことへの不安もその裏にはあった。そのどちらを考えるかによって気持ちが不安定になるのだろうが、どちらかといえば不安の方が大きかっただろう。
特に女性と一緒にいる時など、
――こんな幸せがいつまで続くのだろう――
と考えると、後は不安が頭から離れなくなる。考える必要などないのに、考えてしまうと、そこから先は言われなき焦りに繋がってしまっていた。いつもと少しでも雰囲気が違っただけで猜疑心が生まれてくる。表に出さないようにすればするほど相手には分かったのではないだろうか?
その証拠に相手が私を避け始めると、完全に浮き足立ってしまい、今思い出しただけでも最低の男に成り下がってしまう。余裕のなさがこれほど自分を変えてしまうとは、怖いくらいである。
それにくらべて由里と付き合い始めた頃の自分には、少なからずの気持ちに余裕があった。自分に自信があったからだと思っているが、それは入社後すぐのシステム部での成功が与えてくれた絶対的なものだと思っている。その後少し仕事に疑問を持ってしまったが、それでも成功させた事実には違いない。
「僕のどこが好きになったんだい?」
「ふふふ、どこかしらね。でもあなたにはあなたなりの魅力があるのよ。自分で気付いているのかしらね」
由里は私より三つ年上だ。
話をしていて、由里の言葉の端々で「おねえさん」のイメージが醸し出されている。
背伸びしたい年頃というわけではないのだが、私は由里を年上だという意識を持っていない。それだけに、由里が私を年下として意識していることが分かるし、自分を好きになった理由を聞きたいと思うのだった。
だが、本当に意識していなかったのだろうか?
甘えたいと思っていたのではないだろうか?
きっと同い年か年下の女の子にだったら聞かないだろうことを聞くこともあった。女性にいうと、
――嫌われるのでは――
と思うようなことを話したりもした。仕事の話をすれば、無意識とはいえ多少なりともグチが出てきた頃、そんな話は他の女性にできないことを分かっていながら由里には話していた。
きっと素直に聞いてくれたからだろう。私が話している時は意見を変えそうとせず、話が一段落し始めてから徐々に口を開く由里だった。
そういう意味で由里は私に従順だった。
――これが大人のオンナというものか――
と、ずっと思っていた。三つしか違わないが、やはり女性というのは、同い年の男性よりしっかりしていると言われるが、本当なのだと感心したものだった。
――由里は本当に私のことを愛してくれているのだろうか――
そう感じた時である。由里が私から少し遠い存在に感じ始めていたことに気が付いた。――いつもそばにいてくれて当たり前――
それだけに甘えもあっただろうし、気持ちが繋がっていたのだ。
高校時代に母を亡くした私は、母親の温もりを忘れかけていたのかも知れない。
高校時代といえば、期待や不安、そんなものすらなかった頃だ。どちらかとうと何も考えていない時代だったような気がする。
――勉強さえしていればそれでいいんだ――
先生やまわりの大人が納得するのである。それ以外のことをしようとすると、
「あいつは不良だ」
などとレッテルを貼られる。一番自分の行動を理解できる時期であり、ヘンな疑問を持ちさえしなければ、考え方一つで不安なく過ごしていける。ある意味冷静で、合理的な考え方ではなかったであろうか?
城から表に出て、もう一度お濠のほとりから眺めることは難しかった。日は西の空に沈み、先ほどまで浮き上がらせていた影は、今はもうない。街灯の明かりだけではハッキリと見ることはできず、漆黒の闇の訪れを待つばかりであった。
――少し遅くなったかな――
とも感じたが、とりあえず夏みかんジュースの店に行ってみることにした。
まわりを行き交う者などいない。車がライトをつけて向かってくるが、眩しさだけが目に残った。車のライトを見ていると、その瞬間だけ懐かしさがあった。暖かさを感じると言った方がいいかも知れない。
作品名:短編集18(過去作品) 作家名:森本晃次