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短編集18(過去作品)

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 由里という女と知り会ったのは半年くらい前だっただろうか。出会いは私の行きつけの喫茶店だった。たまに休日出かけては、モーニングを食べる。それが休日の午前中の日課だった。
 店の名前は喫茶「アマリリス」。淡いピンクの入り口が清潔感を感じさせてくれそうな雰囲気の佇まいである。仕事を離れることが本当の休息になるかどうか疑問を持っていた私が見つけたオアシスだった。 
 最初から由里がいたわけではない。私が見つけたオアシスとしてゆっくりとした気持ちになれることが嬉しく、常連として通い始めた時だった。
――こんなゆったりできるなんて――
 気持ちの余裕が導いた出会いなのだろうか?
――ひょっとして素敵な出会いがあったりして――
 という思いが確かにあったと感じたのは、少し後になってからだ。そう感じれば感じるほど、思いは確実なものになってくるような気がしてくる。気持ちの中にある余裕のほとんどが、由里と共有できることに喜びを感じるようになっていた。
 あれも冬だった。急に冷え込んできた頃で、いつものように喫茶「アマリリス」のピンクの扉に手を掛けると、いつもガラス越しに中を窺うが、見えてくるはずの店内が、まるで擦りガラスのように曇っていてまったく見えない。
「うう、寒い」
 不思議なもので、表が寒く、暖かい店内に入ったのだから暖かいはずなのに、出てくる第一声は必ず、
「寒い」
 という言葉なのだ。
 暖かさに慣れてくるまでは、寒かった表の冷気が身体に沁み込んでいるのか、震えが止まらない。そのうち熱気が身体に馴染んできて薄っすらと汗を額に浮かべるようになってくると、すっかり中の空気に慣れてくるようになる。そこまでにそれほど長い時間掛かるわけではない。入り口からいつもの指定席であるカウンターまで歩いてきて、腰を下ろす頃には落ち着いているのだ。
「いらっしゃいませ」
 身体が、中の空気に馴染んできたことを感じたはずなのに、
――幻を見たのかな?
 と一瞬感じた。今までカウンターの中には中年のマスターか奥さんがいるだけだったはずなのに、囁くような小さな声が、私の耳に届いたのだ。その声は湿気を帯びた店内に乾いて響いているかのようで、私よりも若い女性の声に思えて仕方がない。入り口からカウンターまで気付かなかったのは、空気に馴染んでいなかっただけだろうか?
「谷上さん、この娘は私の知り合いの娘さんで、由里ちゃんと言います。由里ちゃん、こちらは馴染みの谷上さん」
 そう言って、マスターがお互いを紹介してくれた。夫婦だけでやっている店なので、手伝いに来ているのだろう。咄嗟にそう感じたが、間違いではなかったようだ。
 由里の掛けている真っ赤なエプロンに目が釘付けになっていた。長い髪を後ろで結び、初心者とは思えない慣れた手付きでサイフォンを操っている。その仕草をしばし見ていると、いつもよりコーヒーの香りが甘美に感じられたも気のせいではないだろう。
「お待たせしました」
 いつものトーストにボイルエッグ、熱いパンの香ばしさにバターが溶けた甘い香り、すべてがいつもと変わらないが、コーヒーだけはなぜか香りが違うようだ。コクがあって濃い匂いが漂っているのだが、甘く感じるのである。
――表が寒かったからだろう――
 そう感じながら一口コーヒーを口に含む。
――やはり、少し甘いコクを感じる――
 だが、嫌いな味ではない。コクの中に感じる甘いコーヒー、
――他で由里を思い出すとすれば、きっとこの香りに違いない――
 と感じるほど私に強い印象を植え付けた。店内にはサイフォンから湧きたっている湯気が充満していくようだった。
 宿は萩城の近くにとった。このあたりを拠点にレンタサイクルを借りるというのもいいものである。修学旅行で泊まった宿は、駅から反対方向で、どちらかというとまわりに何もないところである。松下村塾、明倫館、武家屋敷といった主要な観光地と、少し離れたところにある半島で、非常に珍しい休火山が現存する、笠山の観光は翌朝からにしようと計画している。今日は、萩城のあたりをゆっくりと観光するに留めておくことにしているのは、ゆっくりと見て回りたいからだ。
 大したカバンではないが、荷物はあるよりないに越したことはない。カメラに手帳、それくらいなら、カバンはいらない。
 海岸線にあるホテルから少し歩けばそこに広がる萩城跡、指月城とも呼ばれ、中国地方の盟、毛利輝元の築城によるものである。規模としては天守閣の残る大きな城ほどではないが、毛利家の城ということもあり、萩の重要な観光のひとつである。
 ゆっくり歩いていくと、後ろからレンタサイクルの集団が追い越していく、やはり大学生の団体が多く、私のような年齢は中途半端かも知れない。気ままな一人旅とはいえ、やはり仲間がいないと寂しいものだ。
 とはいえ、近づくにつれて迫ってくる指月城は、お濠を中心に壮大さを感じさせてくれる。ゆっくり見て回れば半時間はゆうに掛かるだろう。観光地を一気にまわることが嫌いな私は、お濠から中心に向けて見上げた風景と、城内からお濠を中心に街を見下ろす風景とをゆっくり堪能してみたかった。
 少し風が吹いている。西日が次第に眩しくなってくるのと反対に、風が強くなってくる。レンタサイクルなら寒さを感じるに違いない。目の前にある喫茶店がどうやら萩の名物、夏みかんジュースを飲ませてくれるお店らしいのだが、帰りに寄ることにした。きっと冷えた身体に、暖かい精気を注入してくれるであろうと想像できるからである。
 夏みかんジュースは修学旅行で飲んだ記憶がある。断片的にしか覚えていない修学旅行であるが、夏みかんジュースを飲んだことだけはハッキリ覚えている。味が忘れられないのだ。
 普通に歩けば、十分も掛からないであろうところを、十五分かけてゆっくり歩いた。お濠の表から見た景色は、想像していたよりもこじんまりして見える。これも学生時代の記憶と比較してである。後ろを振り向けば私の足元から伸びた影が、長く伸びているのを感じたが、平坦な道に写っているわりには立体感を感じ、浮かび上がってきそうで気持ち悪い。普段これほどゆっくりと自分の影を見ることなどなかった。
 案内板も修学旅行の時にゆっくりと見た記憶がない。集団行動した班は、案内板などに興味のある連中でもなく、とりあえず観光してみる程度だった。私もあまり文字を読むのは好きな方ではなかったので、ほとんど素通りだったと思う。
 今は文字をゆっくりと読む時間が贅沢で、落ち着いた気持ちになれる時間だ。趣味に読書を選んだのがその証拠で、学生時代の私からは信じられない。
 今でもそうなのだが、私はせっかちな性格だ。すぐに結論が出ないと面白くないタイプで、ミステリーを読むにも最初の方を少し読んで、我慢できずにラストをチラリと見に行く方である。もちろん、順を追って読んでいないのでラストは分からないが、それでも安心した気分になれる。ラストを知っていれば、それなりに安心して読み込んでいけると感じていた。
作品名:短編集18(過去作品) 作家名:森本晃次