小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

短編集18(過去作品)

INDEX|10ページ/22ページ|

次のページ前のページ
 

 そう感じながらの仕事が楽しいわけはない。しばらくすると会社の業績はまた伸びを示したのでリストラの嵐は収まったようだが、この仕事は需要に波があるようだ。いつまたリストラの嵐に巻き込まれるか分からないが、そんなことを気にしていては仕事にならない。
 しかし私はそれを気にするタイプの人間だった。だからといって何をすればいいという具体的なことが分かるわけではない。ましてや営業などと違い、成績が表に出ない職種である。営業は営業で数字が出るだけに大変なのだろうが、我々は人事の判断に委ねるしかないのだ。
 いつまでも怯えているわけではなかったが、徐々に神経質になっていった。
 その頃からだろうか? 私が躁鬱症ではないかと感じ始めたのは……。
 気が付けば年齢だけが増えていく。年月の流れは早いもので、三十歳近くになるまで、あまりいろいろなことを考えないでおこうという毎日を過ごしていた。もちろん彼女がいるわけでもない。会社で悩みを打ち明けられる人がいるわけでもない。仲がよかった連中の数人は転職していった。最初こそ少しだけでも連絡を取り合っていたが、転職した会社がロクなところではなく、すぐに辞めてしまった人が多い。もう、こうなると連絡もつけにくくなり、彼らの成功を見れば私も転職を考えたのだろうが、動くことが却って悪い結果を及ぼすことが分かった以上、完全に身動きが取れなくなった。時間だけが余り、考えなくてもいいことを考えるようになってしまっていた。
「何か趣味でも持てばいいのに」
 そう話してくれる友達がいたので、読書を始めた。本を読んでいると余計なことを考える時間が減ると考えたのが最初だった。
 最初は恋愛ものを好んで読んでいた。社会人になってから忘れていた何かを思い出したような気がしてきたのが、ずっと読み続けられた理由である。しかし読み込むうちに今の自分との隔たりというものを感じ始めるようになったことで、少しずつ読むことに重たさを感じるようになった。
 だが、読書で感じた思いはなかなか消えるものではない。それからの私は妄想を描くようになり、新しい恋を知らず知らずに待つようになっていたようだ。
 旅行を好むようになったのもそれからで、休みが少し重なると、一人でフラッと旅行に出ていた。遠くにいくわけではない。日帰りで行けるところでも、宿を取って泊まることもあった。近場で旅行をしたような気分になれるのが嬉しかった。
 特に温泉は楽しかった。湯に浸かって美味しいものを食べる。それだけでもお金を使う価値があるというものだ。しかも旅行に出ると、
――別人になったようだ――
 と感じる。気持ちがおおらかになれる瞬間である。
 旅行に行くようになってから、また本を読み始めた。列車の中での時間潰しにちょうどいいのだ。恋愛ものはもういい。今度はミステリーを読み漁っていた。電車の中で読むからであろうか、時間が経つのが早く感じ、情景が目を瞑ると浮かんでくる。列車の揺れと線路の音、この二つが私を小説世界に導いてくれているようだった。
 ミステリーでも、サスペンスタッチよりも、さらりと軽く読める小説を好んだ。いわゆるトラベルミステリーと呼ばれるものは、列車の中で読むには最高である。ローカル線であればあるほど想像力が逞しくなり、あっという間に読んでしまうことも希ではない。
 私が本を読む時は主人公になりきるというよりも、第三者的な読み方をすることが多い。本を読んで小説世界に入り込むこともあるのだが、どちらかというと、自分の性格に合っていない登場人物にはなりきれないところがある。夢でもそうである。潜在意識の中でしか見ることができず、
――自分にはありえない――
 と思うことは、夢であってもありえない。それは小説を読んでいても同じなのだ。
 そもそも恋愛小説を重たく感じるようになったのは、自分にはありえない主人公の性格や態度、それが重たかったのだ。読書を始めた頃というのは、どうしても主人公に自分を置き換えて読んでしまっていたので、無理もないことだった。だが、願望がないわけではない。その証拠に旅行に出かけると以前に読んだ小説を思い出して、主人公に思いを馳せたりしたものだ。
 私が躁鬱症だと感じるようになってから、特にその思いが強くなってきた。
 鬱状態に陥った時は、どうしても自分が見えている性格から脱却できないでいる。まわりの人と話すことも億劫になり、顔を見るのも嫌になる。空気の重たさが違い、目の前の色も黄色掛かって見える。しかも、その前兆が分かるのだ。鬱状態へ入る時、分かっていて逃れられないものがある。それだけに自分を自分で閉鎖してしまう……。
 逆に躁状態になると、今度は何でもできるような気がしてくるのだ。ただし、それも潜在意識が許す範囲であるが……。いつも鬱状態が解消したあとに起きる躁状態、黄色掛かっていた目の前がくっきりと晴れ上がり、まるで虹でも掛かっていそうな明るさがとても眩しい。
 そんな時に私はいつも旅に出る。鬱状態が襲ってくる期間というのは大体いつも決まっていた。そしてそれが終われば躁状態……。これだけの条件が揃っていれば、旅行の予定を立てることは苦にならない。計画を立てればその日のうちにでも出発できるのだし、鬱が治らなければ、計画をやめればいいのだ。
 今回の萩への旅もそんな旅だった。
 最初は何も考えず出かけてくる。目的があるわけではなく、とりあえず東京を離れたいという思いが強い。しかし、旅というのは、後から思い出して楽しければそれで満足だと感じるものであり、旅行中に感じなかった楽しさも、帰ってきて思い出すと、それが仕事への活力、生活の糧になればそれでいいのだ。
 そして旅行に来るといつも感じるのが、後になるほど時間が長く感じられるということだ。本当であれば後半になると、
――楽しい時間がもっと続いてほしい――
 と思い、その気持ちを嘲笑うかのようにあっという間に終わってしまうものだと思っていた。実際に高校の修学旅行など、そうであった。最初の頃、小旅行が多かったことが影響しているのかとも思ったが、考えれば考えるほどそれ以外には考えられなかった。
 今回の旅行を萩に決めたのは、その思いを確かめたく、なるべく遠くに行こうと計画したことから始まった。もちろん、今回は今までと違って、泊まるところもすべて予約しての旅である。それまでは、現地で友達になった人と意気投合すれば、その人と翌日行動をともにするというような気ままな旅だった。それが私に一番似合っていそうで、躁状態にはしっくりくる。
 今回は躁状態というわけではない。かといって鬱でもない。何でもない時に出かけてくるのも今までの私からは珍しいことだが、ただ、気持ちの中に空白があったような気がするのだ。寂しさというのは鬱の時にしか感じたことはなかったが、それに近いような感覚かも知れない。
――ポッカリと心のどこかに穴が空いているみたいだ――
 失恋したわけではない。出会いがないのだから失恋しようもないのだが、今回の旅行が出会いを最大の目的としているわけでもない。
 そういえば由里との出会いもそんな気持ちになった時だったような気がする。
作品名:短編集18(過去作品) 作家名:森本晃次