「透明人間」と「一日完結型人間」
シーンと静まりかえった公園で、声は響くのだろうと思いきや、思っていたほど声が出ていないことに気づいた。ただ、風は顔に心地よく、自分が想像していた快感は十分に得ることができたのだ。
何回か前後に揺られている間、自分が自分ではなくなっていくような錯覚に陥っていた。まっすぐに前を向いて漕いでいると、目の前に広がった公園が次第に小さく感じられてきたのだ。
――目が慣れてきたのかしら?
目の錯覚だとは思いながらも、まっすぐに見ていると、今度は自分がどんどん高い位置に上がっていくような気がしてきた。
――この感覚が、公園の広さを狭く感じさせているのかも知れないわ――
と解釈した。
少し考えなければ理解できないような状況に陥った時、意外と亜衣は冷静だった。
冷静になればなるほど、自分の頭が冴えてくることを分かっているからだ。
だからと言って怖がりではないわけではない。怖いものは怖かった。それでも、冷静になることで自分が考えることに自信が持てるようになると、怖さよりも、好奇心の方が強くなることもあり、急に何も怖いとは思わなくなる。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」
ということわざがあるが、まさしくその通りであった。
冷静になって公園を見ていると、
――昔にもここに来たことがあるような気がするわ――
と感じた。
そもそも児童公園などどこも似たり寄ったりのものであり、昔の思い出の中にある公園と似ていたとしても、それはまったく不思議ではない。錯覚ではあるが、無理もない錯覚であり、錯覚にもいろいろ種類があるのだろう。
公園を見渡してみると、目の前には遠くの方に先ほど座ったベンチがあった。その横にあるのは、滑り台だった。滑り台が砂場に向かって下りてきている。女の子がプラスチックのバケツを横に置いて、同じくプラスチックのスコップで一生懸命に穴を掘っている。どうやら、その横に砂を積み重ねて、お城のようなものを作ろうとしているようだ。その横から男の子が、勢いよく滑り台から下りてきて、砂を蹴っ飛ばす。一瞬あっけに取られた女の子は、すぐに情けない表情になり、泣き出してしまう。それを見ながら当事者である男の子は、まったく悪びれた様子もなく、したり顔で泣きじゃくっている女の子を見下ろしていた。
今までの亜衣なら、その女の子をかわいそうだと思い、相手の男の子に嫌悪を感じていたに違いない。しかし、その日の亜衣は、なぜか二人がいとおしく感じられた。泣きじゃくっている女の子をかわいそうだと思うよりも、男の子を見ているその目は、何かを訴えているようだ。それは、恨みからではなく慕っているかのようで、それを男の子も分かっているから、したり顔なのだと思えた。
「小さい子供にも、子供の世界があって、大人よりも固い絆が存在しているのかも知れないわ」
と感じた。
その時目の前にいる女の子が、昔の自分に思えてならなかった。しかし、思い返してみるが、子供の頃の記憶に、これと似た記憶は存在していない。
――どうしてこんな幻を見たのかしら?
亜衣は、幻と心で感じていたが、実際にはそうは思えないような気がして仕方がなかった。気が付けばブランコを漕ぐのをやめて、何かを考えている自分がいた。
――こんなことに気が付くなんて――
自分の世界に入り込むと、そう簡単に我に返ることのない亜衣だったので、気が付いたことに自分でビックリしたのだった。
亜衣は、滑り台の男の子を意識していることに気付くと、今度はその女の子を見つめていた。
二人は、何事もなかったかのようにすぐに仲直りして、急に亜衣の方を見つめた。
亜衣はビックリして、二人から目を逸らしたが、すぐに元の位置に目を戻すと、そこには誰もおらず、街灯が砂場の中心部分を照らしているだけだった。
――気のせいだったのかしら?
そう思うと、今度は砂場とは反対側にある遊戯具が気になった。
そこにあるのはシーソーだった。
シーソーは二つの組になっていて、それぞれ上下が逆になっていて、こちらから見ると、「X」のようになっていた。この形が横から見た時の基本形のような気がして、
――意外とシーソーというのも、格好がいいものなのかも知れないわね――
と感じたのだ。
すると、手前側のシーソーが急に動き出して、左右が逆になった。「X」が崩れたのである。
「ギーッ」
という音が聞こえたかのように思えたが、この時も夜の闇に吸い込まれたように、静寂がすぐに襲ってきた。
すると、シーソーの上になった部分に一人の男が座っているのが見えた。その人は子供ではなく、いい年をした大人だった。その姿は滑稽で思わず吹き出してしまいそうになったが、考えてみれば自分も誰もいない深夜の公園で、ブランコに揺られているのだから、十分に怪しい存在であろう。
ただ、滑稽に見えたのは、面白いから滑稽に見えたわけではなかった。最初は気付かなかったが、よくよく考えてみると、その光景には大きな矛盾が孕んでいたのだ。
その男性がシーソーの下にいるのであれば別に不思議はないのだが、下には誰もおらず、その男性だけがそこには存在していて、しかも上にいるのである。
――これも幻なんだわ――
その男性は、白いオーラに覆われているように見えた。夜のしじまに襲い掛かっているものは恐怖だと思っていた亜衣は、最初に恐怖を感じなければ、夜のしじまであってもそれ以降恐怖は感じないと悟った。
「あなたは一体誰?」
思わず、亜衣はその男性に語りかけた。しかし、やはり夜のしじまにその声は吸収されてしまったのか、自分の耳に響くことはなかった。
しかし、その男性はリアクションを示した。
それまで亜衣がそこにいることに気付いていない様子だったが、亜衣の呼びかけに彼は亜衣の方を向いた。明らかに亜衣に反応したのだ。
亜衣は、ブランコから降りて、ゆっくりとシーソーの近くに歩み寄った。
それを彼は分かっているかのように、近づいてくる亜衣に微笑みかけている。
「こんばんは」
亜衣は彼に話しかけると、
「こんばんは」
彼も、返事をした。返事をしたということは幻ではない。さっきの砂場で感じた少年と少女とは明らかに違っている。彼はシーソーからゆっくりと下りてきた。
さっきの少年少女のうちの少女は、亜衣の子供の頃だった。自分の中にある思い出が、似たような場所とシチュエーションで、錯覚を見せたのだ。しかし、シーソーに乗っている男性には見覚えはない。ただ、
――どうしても他人のように思えないのはどうしてなのかしら?
自分と似ているというわけでもないし、会社に似た人がいるわけでもない。他人という意識よりも、自分にかかわりのあるのは、肉親のような関係の相手だと思ったからだ。
「あなたは一体……」
亜衣は、相手が誰なのかを聞きたかったのだが、それ以上、声が出なかった。どんなに聞きたいことであっても、一度その機会を逃してしまうと、それ以上聞くことができないというのは、往々にしてあるというものだ。
まさに今がその時で、それ以上何も言えなくなってしまった亜衣を見て、相手の男性はしたり顔になっていた。
作品名:「透明人間」と「一日完結型人間」 作家名:森本晃次