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「透明人間」と「一日完結型人間」

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 彼女は、もう彼を信用することはなかった。男の方もそれ以上言い訳をしようとは思っていないようで、気まずくなったまま、別れを迎えたのだ。
 友達は、彼の正体を何も知らないまま別れたのだが、他の友達がその男のことを知っていた。
「あの男、相当ひどい男のようなのよ」
 この前まで付き合っていた相手が目の前にいるということを知ってか知らずか、井戸端会議の話題になった。もちろん、彼女は口を出すつもりもないが、その場から立ち去ることもできなかった。その時立ち去ってしまうと、自分がその男と関係があったのではないかと勘ぐられるのが嫌だったからだ。
 だから、会話はその男とは無関係の二人が勝手にしていた。
「どんな男なの?」
「とにかくお金にはルーズで、角度によってはいい男なので、女性が引っかかりやすいのをいいことに、女性を金づるとしてしか見ていなかったのよ」
「それが本当なら、ひどいわね」
 友達がどんな気持ちで聞いていたのか、亜衣には分からなかった。亜衣はその場にいたが、その時の彼女の様子の不自然さに気が付き、やっと彼女が悪い男と付き合っていて失恋したことを知ることになる。
「ええ、その男はたくさんの女性と一度に付き合っていて、最初の頃は皆から適当にお金の無心をする程度で済んでいたんだけど、女から簡単にお金を引き出せるということを覚えてしまったことで、完全に金遣いが荒くなったみたいなの。ギャンブルや株、いろいろなものに手を出していたって話しよ」
「堕ちるところまで堕ちたのかしら?」
「そうかも知れないわね。それで、お金に困ってくると、女たちからの無心もあからさまになり、中途半端にしかお金を持っていない女性とは別れて、明らかにお金を搾り取れるセレブのような女としか付き合わなくなったの。しかも、それは同時に女たちから少しずつなどという生易しいものではなく、一人の女性から金を借りて、他の女性にお金を返す。そして、またその女性に返すために、他の女性からお金を借りるといういわゆる『自転車操業』のようなやり方で女性を騙し続けていたの」
「お金を返すのは誠意からではなく、次に借りるためのものだったのね。それだけに、たくさんお金を持っている人であれば、誰にでも、そしてなるべくたくさんの女を繋ぎとめておく必要があったのよ」
「それで、その男はどうなったの?」
「そんな危ない関係を、たくさんの人とするんだから、相手が増えれば増えるほどリスクが高くなってくるのは当たり前でしょう。彼も次第に女たちだけでは危なくなって、どうするのかと思えば、サラ金に手を出したのね」
「バカじゃないの」
「ええ、その男、相手が女性であれば、それなりに頭が働くみたいなんだけど、女性以外であれば、本当に浅はかな行動しかできないの。もうこうなってしまうと、ここから先はさっき言っていたみたいに、堕ちるところまで堕ちたってわけなのよね」
 その話を彼女は黙って聞いていた。
 事情を知っている人がいれば、
「あんな男と別れて正解だったのよ。騙されかけたのは浅はかだったけど、あなたはしっかり別れることができたからよかったのよ」
 と言われるであろう。
 しかし、彼女が別れることができたのは、セレブのようにお金持ちではなかったからだというのが一番の理由だろう。だが、彼女の中では、
――私が彼をフッたのよ。あの言い訳がすべてだったんだわ――
 と言いたかったことだろう。
 彼女のまわりで、その男と彼女が一時期付き合っていたというのを知っているのは亜衣だけだった。
「亜衣は、どうして分かったの?」
「だって、さっきの話を聞いている時、私はずっとあなたのことを見ていたんですもの」
 と、答えた。
 その日、仕事が終わって彼女を誘ったのは亜衣の方だった。
「ねえ、お時間があったら、一緒に呑みにいきませんか?」
 断わられる確率を半々くらいに感じていた亜衣だったが、
「ええ、いいですよ」
 と、それまでに見たこともないような笑顔を見せてくれたことで、亜衣は少しビックリさせられた。しかも、その時亜衣はもう一つビックリさせられていた。
――あれ?
 一瞬、彼女の姿が見えなくなった。急に消えたわけではなく、次第に透明になっていくようで、気が付けば完全に目の前から消えてしまっていたのだが、強く瞬きをすれば、すぐに彼女の姿は元に戻った。
――夢だったの?
 亜衣は、子供の頃に友達から、
「亜衣ちゃんが時々消えたような気がする」
 と言われたのを思い出していた。
 その日は、彼女が男と別れたことを祝うつもりの二人きりでの呑み会だった。彼女の方も、さすがにここに至って相手の男がどれほどひどい男であったのかということを認識していた。
「亜衣ちゃん、ありがとう。私、これで立ち直れる気がするわ」
「いいのよ。私も嬉しいわ。あなたが立ち直れて」
 そういって、二人は時間を忘れて呑むことになった。
 先に潰れたのは、彼女の方だった。
 何とかタクシーに乗せて、彼女の部屋まで運んだが、すぐに彼女は眠り込んでしまった。少しでも意識が残っていれば、自分も一緒に泊まっていこうかと思ったが、完全に眠ってしまっていて、起こすには忍びない。そんな状態で自分が泊まるというのはルール違反だった。
 いくら親友とはいえ、完全に眠り込んでいるのだから、その時に何かが無くなったといわれるのも嫌だったからだ。そういう感覚は酔っていてもしっかりしている。いや、酔っているからこそ、しっかりしなければいけないと思うのか、亜衣は彼女を大丈夫だと思えるところまである程度介抱し、彼女の部屋を出た。
――こんな中途半端なことになるなんてね――
 少し計算が狂ってしまったことは致し方ないことだったが、さすがに深夜に女一人で家路につくのは少し怖い気がした。
 彼女の部屋は大通りから少し入った住宅街のマンションだった。大通りまで出ればタクシーが捕まるかも知れないと思い、五分ほどの道を歩いていた。
 近くに児童公園があった。
――そういえば大学生の頃、初めて付き合った男性と、夜の公園で話しこんだことがあったっけ――
 と、懐かしい思い出を思い出していた。
 あの時は最初ベンチに座って話をしていたが、急に彼が、
「ブランコか。懐かしいな」
 と言って、ブランコに歩み寄り、両腕と足を使って、大きく漕ぎ出した。
 亜衣も子供の頃、公園では一番ブランコが好きだった。顔に当たる風もさることながら、こぎ上げた後、後ろに下がる時の感覚は、ゾッとするほどの興奮があり、後ろまで行ってから戻ってくる時の感覚は、今でも忘れられなかった。
「酔いを醒ますには、ブランコで風を感じるのもいいかも知れないわ」
 懐かしさと、ほろ酔い気分の中で、公園を見つけたことはまるで運命のように感じられた。
 亜衣はブランコに無意識に近づいていき、気が付けばすぐそばまで来ていた。
「懐かしいわ」
 と言ってブランコに腰を下ろし、足で地面を蹴って、思い切り、ぶら下がっている吊り鎖を両手で引っ張った。
「やっほー」
 思わず声が出てしまった。