「透明人間」と「一日完結型人間」
いくら大丈夫だという自信があったとしても、長い人生の中で、いつまでその思いを持ち続けることができるかどうか、分かったものではない。亜衣はそういう意味でも、未来のことを知るということは一番いやだった。
「未来のことを知ってしまうと面白くない」
と、タイムマシンをテーマにしたドラマや映画ではよく聞くセリフだが、実際にはそんなセリフは綺麗ごとでしかないように思えた。
――面白くないなんて綺麗ごとで、知ってしまうと、自分が自分ではいられなくなってしまう。もし、それがいいことであったとしても、もし万が一知ってしまったために、将来が変わってしまわないと誰が言えるだろう――
と考えていた。
亜衣は
――彼のそんな顔見たくなかった――
と感じたが、見てしまったものは仕方がない。
しかも、そのことを相手に暗示させるどころか、単刀直入に聞いてしまったのだ。暗示させる方が、まだ自分を納得させられるのではないかと思ったが、どうしても我慢できない自分がそこにはいたのだ。
「僕は、あなたに哀れみの表情を浮かべたかも知れませんが、この表情は昨日も同じだったはずなんです。僕には、昨日そのことに気付かなかったあなたが、どうして急に今日になって気付いたのかという方が不思議なんです」
と答えた。
「どうしてって、昨日は初対面だったし、今日とでは私もあなたを見る目が違っているんですよ」
と、いうと、彼は意外な顔になり、
「そうなんですか? あなたは昨日とあまり精神状態は変わっていないように思うんですけど?」
「そんなことはないですよ。今日、あなたにもう一度会いたいと思って、昨日の公園に来たら、その公園はなくなっていた。そして、私はそのまま帰宅しようと考えたはずなのに、なぜか、元来た道を歩き始めたんです。明らかに昨日とは精神的にも違っているんですよ」
というと、
「僕にはそうは思えません。あなたが元来た道を戻ったのも、前に進むのが怖かったからではないんですよ。もう一度、あの店の前に戻って、同じ道を歩いてみたいと感じたからではないかって思うんです。きっとその時には、あなたは僕の存在に気付いているんだって感じると思うんですよ」
最後の一言は、きっと彼の気持ちから出た言葉なのだろう。彼は冷静に話をしているようで、最後には自分の気持ちを表現するようなところがあるようだ。しかし、昨日話をしている時はそんな感情はなかった。
――昨日から今日まで一日しか経っていないのに――
と亜衣は感じたが、彼は違う次元の人間である。亜衣が一日だと思っている時間も、彼の中では何度も繰り返してやっと出てきた世界なのかも知れない。
――私は一日完結型なのでは?
と、その時、ふいに感じた亜衣だったが、そう思うと、自分も一日だと思っている時間が、本当に時系列を普通に歩んで感じる一日なのかということを感じた。
「亜衣さんは、透明人間について、どのような感覚をお持ちですか?」
何と答えればいいのか、亜衣は思案した。
感じたことをそのまま答えていいものなのか、それとも、彼は別の答えを期待しているのか分からないからだ。
もし、おかしな返答をすることで、自分の身に危険が及んでしまうとするのであれば、余計なことを口にするのは控えなければならない。
「そうですね。何か普段できないことを、透明になることでできるんじゃないかって考えるんじゃないかって思いますね。例えば、普段入れない誰かの部屋に侵入して、プライバシーを覗くとかですね」
というと、彼は苦笑して、
「本心から言われていますか? 他の人と同じでは嫌だと考えている亜衣さんの答えだとは思えませんね」
「あなたがどういう答えを望んでいるのか分からなかったので、無難な答えをしたまでですよ」
と、本音を簡潔に答えた。
「いいんですよ。答えたくなければ答えたくないと言えばですね。僕にはそれが亜衣さんなんだって思えますからね」
痛烈な皮肉にも聞こえるが、それが亜衣の本性であると亜衣自身が感じていることで、皮肉には聞こえなかった。
「じゃあ、今の言葉は聞かなかったことにしてください」
というと、
「そうですね」
と言って、さらに複雑な顔になった。
「でも、透明人間というのは、本当にいるのかって疑ってはいます。気配を消している人とどこが違うのかって思うんですよ」
これも亜衣にとって本心ではなかった。しかし、今の亜衣にはそれ以上の答えが見当たらなかったというのが、本音でもある。
少し二人の間に沈黙の時間があったが、先に口を開いたのは彼だった。
「僕は、透明人間になどなりたくないんです」
彼のセリフのようには思えなかったが、
――ひょっとすると、これが彼の本音なのかも知れないわ――
と感じた。
彼から言われてみると、自分も彼のいうように透明人間になんかなりたくないと思っていた。
「どうしてですか?」
「透明人間というのは、自分の存在が消えてなくなるということですよね? 相手に自分の気配を悟られないというのとではまったく考え方が違います。この世界の人は透明人間というと、いい方に想像して楽しんでいるところがありますよね。普段できないことが透明人間にはできるという感覚ですよね。でも、それは人に見られない状態になることができるということであって、透明人間と普通の人間を両方できるという前提で成り立っています。でも、一度透明人間になってしまうと、元には戻れないんですよ。自分が誰にも認識されない。そばにいるのに、誰にも気付かれない。そんな状態を嬉しく思えますか? 僕にはそんなことはできない」
「確かにその通りですね。人は死んだから生き返ることはできませんからね・それと同じなんでしょう。でも、人が死んだらどこに行くのか分からないから、二度と生き返ることはできないと思うんでしょう? 透明人間になっても、ただ姿が見えないだけだということが分かっていると、元に戻れるという発想はそもそもの前提になるんじゃないでしょうか?」
「なるほど、確かにそれも言えますね。でも、実際には一度消えてしまうと、その世界では誰からも認識されないんです。行方不明ということになり、いずれは死亡したということになり、その人の人生は終わりです」
「でも、透明人間というのは、見えないだけで、同じ次元の同じ世界にいるんでしょうか?」
「いるんですよ。でも、そのことを認識しているのは本人だけであって、誰も知らない。いや、もちろん、透明人間になれるように施した人は知っているでしょうが、その人は、透明人間とは何ら関わりのない人なんですよ。ただ仕事でやっているだけという感じですね」
「じゃあ、あなたの世界では透明人間にするための仕事があるんですか?」
「ええ、あります。透明人間というのは、なってしまうと、お腹が減るということもないし、年を取ることもないんです。だから、自分たちの世界に及ぼす影響は何もないんですよ」
「でも、どうしてそんな理不尽なことが行われているんです? まさか公式に行われているわけではないんでしゅお?」
「ええ、もちろん、非公式です。でも、この計画には国家が関わっていて、国家プロジェクトの一環なんですよ」
「どういうことなんですか?」
作品名:「透明人間」と「一日完結型人間」 作家名:森本晃次