「透明人間」と「一日完結型人間」
皮肉を皮肉と受け取ってもらえないと、自分が浮いてしまっているように感じられ、人と同じでは嫌だという自分の気持ちを真っ向から否定されているように思えて、苛立ちを覚えるのだった。
その日も、二十分早く待ち合わせ場所に着いたが、亜衣としては、約束の時間に着いたのと同じ感覚であった。
なぜなら、自分が来てから約束の時間までの二十分があっという間に過ぎてしまうのを感じるからで、約束の時間になれば、自分の頭がリセットされるように思えたからだ。別にリセットされるわけではなく、まわりが自分に追いついただけのこと、その思いは自分だけのもので、亜衣はそれを感じると、勝ち誇ったように心の中でほくそ笑むのだった。
その日も、約束の時間まであっという間に過ぎた。
待ち合わせ場所は駅だったので、彼が電車でやってくるのは分かっていた。改札口の前で、彼が現れるのを、今か今かと待ちわびている自分が、いとおしく感じるほどだった。
亜衣も待ち合わせ場所までは電車でやってきた。
――自分が二十分前に見た光景を、もうすぐ彼も見るのだ――
と思うと、ゾクゾクした感覚に陥っていた。
自分は今度は反対側から彼を探すのだが、同じ瞬間に、彼の目になって先ほどの光景を感じることで、目の前の自分を確かめた時の感情がどんなものなのか、想像するに至っていた。
――きっと、子供のようなあどけない表情を新鮮に感じるんでしょうね――
と彼が自分を見る顔を想像すると、おのずと分かってくるような気がしていた。
約束の時間まで、電車は三台到着した。
二台目までは、
――まず乗ってはいないでしょうね――
と思いながらも、現われればまるでサプライズのような気持ちになっている自分を感じた。だから、彼が自分を認めた時に感じるのが、
――あどけなさと新鮮さ――
だと感じたのだ。
やはり乗っていなかったことで、次の電車を待っている時にドキドキし始めた自分を、今度は自分の中でいとおしく感じた。
――今度こそ――
という思いは、次第に自分に複雑な感情を芽生えさせていた。
次の電車には乗っているであろう彼を認めた時、自分がどんな顔をすればいいのか、いまさらながら、戸惑っていたのだ。
電車がやってきて、彼が乗っていなかったのを確認すると、がっかりした反面、ホッとした気分にもなったのは、戸惑いのまま彼の目の前に現れることがなくてよかったという思いからである。
乗っているはずの電車に乗っていないことで、次からは、
――乗っていて当たり前――
という思いと、
――乗っているはずの電車に乗っていなかったのだから、次もいないかも知れない――
という矛盾した思いが、亜衣の中に芽生えた。
それでいて、自分が彼にどんな顔をすればいいのかという思いも纏まらないまま、のっていなかったことで、またしても、ホッとした気分になった。
一時間も待たされると、他の人は、
――もう来ないわ――
と思うだろう。
もちろん、その前に携帯電話で連絡を取るのは当たり前のこと。
「どうしたの? 一体」
怒っているわけではないが、自然と口調は荒くなっているのが自分でも分かる。
「ごめん、もう少し仕事が長引くんだ」
という彼の申し訳なさそうな声を聞いて、
「後、どれくらい?」
「今は何ともいえない」
という彼の返事に、亜衣は自分が彼よりも立場が上であることを理解し、その思いが怒りを抑えてくれるように思えた。
その感情が、
――まあいいわ。もう少し彼の言うとおり待ってみるわ――
と感じさせた。
そこには、
――この私が待っているんだから――
という恩着せがましさがあるのも否めないが、それよりも、
――彼を思って待っているしおらしい女――
を感じていた。
しかし、このしおらしさは、自分の本心からというよりも、演じているという思いのほうが強く、いろいろな思いが交錯する中で、次第にこの思いが一番強くなってくることを感じた。
――演じているんだから、これこそ自分を他人事のように思えるんじゃないかしら?
と思えた。
まわりを他人事のように感じることは日常茶飯事だったが、自分のことを他人事のように思うことができるとは、なかなか感じたことはなかった。そんな感情を抱かせてくれたこの状況をもう少し楽しみたいと思った。そういう意味で、長時間待たされることへの苛立ちよりも、自分を他人事のように思える感情が先に立って、誰にも知られたくないと思う自分の気持ちを、初めて発見したような気がしていたのだ。
一時間が二時間になり、気がつけば三時間になっていた。
――最初の待ち合わせの時間がまるで昔のことのようだ――
と感じていたが、なぜか時間が経ったという感覚はなかった。それは、途中途中で時間を意識していたからで、一日をあっという間に過ぎてしまったと毎日考えていても、一ヶ月単位で考えると、一ヶ月前がかなり前だったように感じるという、そんな感覚に似ていた。
時間の感覚は、その刻み方によって違っていることが往々にしてあるものだ。そのことは今までにも何度も感じたことであり、その都度、自分を納得させる答えを見つけていた。その答えがいつも一緒ではない。違っているから、その時々で覚えているわけではなかった。
亜衣は、時々自分の中にもう一人の自分を感じているということを気にしているが、時間の感覚の違いが、そのもう一人の自分の存在によるものだということに気付いてはいなかった。
――もう一人の自分の存在は、どちらかが表に出ている時はどちらかが裏にいて、決してそれぞれを認識はできないんだ――
と感じていた。
つまり、意識はできても認識ができない、幻のような存在だと考えていた。
――きっと、もう一人の自分も同じことを考えているんだろうな――
と思うと、もう一人の自分が表に出ている時、まわりは亜衣という人間をどのように見ているのか、気になってきた。
――他人事のように見ていてほしい――
と感じると、自分がまわりに他人事のように見えてしまう原因は、もう一人の自分の存在を意識しているからではないかと思えた。
亜衣はその時に、
――一日完結型人間――
を意識していたのではないだろうか?
――一日完結型の人間というのは、二人の人間が存在し、前に進む人と、後ろに下がる人がいる。いつも同じ人が前に進んでいると思っていると、もう一人の自分を永遠に意識することができない。逆にもう一人の自分を意識することができると、後ろに下がっている自分がいるのを感じ、同じ日を繰り返しているのではないかという錯覚を覚えるのかも知れない――
同じ日を繰り返しているのが錯覚だと思えるのであれば、もう一人の自分の存在を認めることもできるのではないかと亜衣は思った。その思いを感じさせたのが、彼に待たされることになったその日だったのだ。
――やっぱり私は人と同じでは嫌なんだ――
と思うことで、自分が一日完結型の人間の存在も認めることができるような気分になったのだ。
亜衣は自分が一日完結型人間の存在を創造した時、
――私の中にももう一人の自分がいるんだから、一日完結型の人間なのかも知れないわ――
と感じたことがあった。
作品名:「透明人間」と「一日完結型人間」 作家名:森本晃次