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「透明人間」と「一日完結型人間」

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 そう思うと、シーソーの下には亜衣にだけ見えていない誰かがいて、亜衣にはその人が透明人間ではないかと感じさせたのだ。
――透明人間なんて――
 と、馬鹿げているという発想を持つことは簡単だが、他の人には見えているのに、自分にだけ見えていないということは、本当にそこに誰かがいて、亜衣にだけ見えない細工を施していると思うしかないような気がした。
 そこまで考えてくると、昨日出会った男性のことが思い出されてきた。公園を通りかかった時にその人と話をした。その時、話をしながら、亜衣は自分に何かを納得させようとしているのか、過去に感じた自分の思いを記憶の奥から引っ張り出そうとしていたことも思い出した。
――あの時に感じていたことをある程度思い出したように思えたけど、それ以上の何かを今なら思い出せそうな気がするわ――
 仕事が終わってから、行きつけの店に行き、その帰りに公園に足を運んだ。あるはずの公園がそこにはなく、そのことを最初から分かっていたかのように感じると、いつの間にか疲れが襲ってきて、前後不覚に陥ったようだ。気がつけば家に帰り着いていて、真夜中だった。それが、今の自分の置かれた立場であると考えると、ここ数日、自分は見えない何かに誘導された生活を送っているかのように思えた。
 しかし、普段の毎日だって同じではないか。自分が望んだような人生が歩めているわけではない。そもそも、毎日をどのように生きるかなど、ハッキリと分かっているわけではない。
 亜衣は矛盾を考えていると、毎日が繰り返されずに、つまりはリセットされずに必ず次の日に進めるということこそ、矛盾なのではないかと思えてきた。
――一年に何日かくらい、リセットされた一日があったっていいんじゃないかしら――
 と感じている。
 リセットされずに、毎日を突き進んでいるから、疲れもたまってくるのだし、老いてもくるのだ。リセットされる日が何日かあれば、人間の寿命だって、もう少し延びるかも知れない。
 だが、考えてみれば、自然界の摂理で、人間だけが寿命を延ばしても、それは自然界の循環を崩すことになる。それこそ大きな矛盾であり、自然界に対しての冒涜ではないだろうか。
 そう思うと、リセットされずに毎日を生きることは、自然の摂理という観点から、当然の流れではないかと思わせる。
 それが、亜衣にとって、自分を納得させるに十分な理屈だった。
「そっか、自然の摂理か……」
 そういいながら、ため息をついてしまうであおう自分を想像していた。
――昨日の男性は、本当は自分が創造しただけの人なんじゃないかしら?
 と、昨日のことを、架空の空間として創造してしまっていた。
 それは夢ではない。夢という観点にしてしまうと、あくまでも自分の中だけで完結してしまう存在になってしまう。
――彼は、私が作り出したものではないんだ――
 彼という存在に向き合った時、明らかに他人事ではなかった。自分が作りだしたものだとすれば、そこには少なからず他人事を意識させ、自分とは違う立場の男性だと思わせることで、自分の支配レベルで考えようと思うだろう。
 しかし、他人事ではないと感じると、相手のことをまず知りたいと思う。自分が作り出した創造ではないのだから、当然である。相手を知りたいという感覚は、他人事ではありえないことだ。
 亜衣にとって、創造するということは夢の世界とは違う。同じ「そうぞう」でも、想像に近いものが、夢の世界ではないだろうか。
 亜衣は自分を一日完結型の人間ではないかと考えたことがあった。
 それは子供の頃のことで、さすがに一日完結型などという言葉は思いつくわけではなかったが、
――同じ日を繰り返しているかも知れない――
 と感じたことが何度かあった。
――以前にも感じたことがあったような――
 いわゆる「デジャブ現象」というものだが、それは遠い過去に感じたことを、最近のことのように思うという感覚であった。しかし、亜衣が感じた「以前」という感覚は、「昨日」のことだったのだ。
 それを感じると、
――昨日という日を、もう一度過ごしているんじゃないか?
 と感じたのだ。
 もちろん、
――そんなバカなことはないわ――
 と、一瞬にして否定したが、それは後から思っての一瞬で、その時はかなり長い間考えていたという思いは残っていた。
 ここで感じた時間の矛盾は、
――同じ日を繰り返すなど馬鹿げている――
 と、次第に感じさせるに至ったのである。
 亜衣は、その日、家に帰ってから、午前零時が過ぎるのを固唾を呑むように待っていた。
――こんなに時間が経つのを意識したことなんてあったかしら?
 人を待つことをあまり苦痛に感じない亜衣は、以前好きになった男性と待ち合わせをしたことがあった。今から思えば一人の男性と待ち合わせをするなどということは、その時が最初で最後だった。
 あれは大学一年生の頃だっただろうか。一番気持ちに余裕のあった時期だったのかも知れない。余裕がありすぎて、いろいろなことを考えてしまうことがあったが、まわりから見れば、
「何を考えているのか分からない」
 と言われていた。
「いつもボーっとしていて、どこを見ているのか分からない時があるわ」
 と、同じクラスの女の子から言われたことがあって、
「そうかしら?」
 と、淡々と答えたが、相手も、
――どうせ、そんな返事しかできないんでしょうね――
 とでも思ったのか、お互いにサバサバしていた。
 そんな亜衣が一人の男性を好きになった。
 好きになったというよりも、初めて男性を意識したと言った方がいいだろう。亜衣の場合は、好きになったという言葉よりも、男性を意識したという言葉の方が、ダイレクトに感じる。それは、人を好きになるということがどういうことなのか分からないからで、分からないものを口にしても、それは絵に描いた餅のようで、何ら真実味がないと思えたのだ。
 それよりも、男性を意識したという方が、どのように意識したのかに関わらず、信憑性がある。自分を納得させることができる言葉であり、人を好きになるという漠然としたものではない。
 しかし、彼と待ち合わせをした時の亜衣は、
――その人のことを好きなんだ――
 と、自分に言い聞かせていた。
 その男性には、他に付き合っている女性がいるというウワサを聞いたことがあった。
 しかし、
――彼に限ってそんなことは――
 と、彼が亜衣に対して接する態度は、その時のまわりの誰よりも、しかも、それまでに接してくれた誰とも違う優しさがあったと感じた。
 それまでにも人からの優しさを感じたと思ったこともあったが、そのすべてを否定しても余りあるほどの彼には優しさがあったと思う。
 後から思えばその優しさは「包容力」だった。
 年頃の女性にとって好きだという感情に、プラスアルファが加わった感情である。そのプラスアルファとは暖かさだった。好きだという感情はこちらからの一方通行であり、確認するすべもない。しかし、相手に感じる包容力は暖かさを持つことで、相手の愛を信憑性に変えるものだといえるのではないだろうか。