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「透明人間」と「一日完結型人間」

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――理解されたって、納得できなければどうしようもない――
 と考えた。
 どこかから夢に入り込んでしまって、気がつけばその夢から今目が覚めたと考えるのが一番いいのだろうが、目が覚めたからといって、夢から覚めたといえるだろうか?
 そもそも夢というものは、潜在意識が見せるものだと考えている。自分で納得できないことであれば、いくら夢であっても、実現できるものではない。それは最初から分かっていることだ。
 亜衣は、目が覚めたとはいえ、ハッキリと起きようという意志を持っているわけではない。むしろ、
――もう一度このまま眠ってしまいたい――
 と考えていた。
 時計を見ると、まだ午前二時だった。いわゆる、
――草木も眠る丑三つ時――
 である。
 もう一度夢の世界に入りたいと思っているのか、それとも、今がまだ夢の世界にいて、次に目を覚ます時が本当に夢から覚めた時だと思っているのだろうか。
 どちらにしても、今の目覚めは自分にとっての本意ではない。もう一度目を覚ますという行為をしなければ、夢から抜けられないと思っていた。
 ただ、もう一度夢の世界に入り込むことが怖いとも思えた。
 今まで夢の世界に逃げ込みたいと思っても、夢を見るのが怖いと思ったことはなかった。確かに怖い夢を見たことがないわけではない。子供の頃にはよく怖い夢を見て、魘されたこともあった。そんな怖い夢に限って覚えているもので、忘れられないと言った方がいいのかも知れない。
 覚えていたくないことほど忘れられないもので、忘れたくないことほど、あっという間に忘れてしまうものだ。
 これは矛盾ではない。人間の特性のようなもので、本能のようなものだと言ってもいいだろう。矛盾にばかり目が行ってしまうと本能を忘れてしまうことが往々にしてあるようで、夢の世界に逃げ込みたいという思いや、夢の世界に入りたくないという思いは、矛盾と本能の間でジレンマとなった気持ちが、夢との間に壁を作ろうとしているからなのかも知れない。
――そういえば、怖い夢の代表として、同じ日を繰り返しているという夢を見たことがあったわ――
 亜衣は、怖い夢ほど覚えているもので、夢の世界に逃げ込みたいと思った時には、いつも怖い夢を思い出していた。
 同じ日を繰り返していることが、どれほどの怖さなのか、普段に思い出すのと、矛盾と本能のジレンマを感じている時に思い出すのとでは、その恐ろしさが違っていた。普段に思い出すのは、気持ち悪さが先に来て、午前零時を回ってすぐに感じる息苦しさが、同じ日を繰り返しているという状況を一瞬にして悟らせるものだった。息苦しさは気持ち悪さに変わり、嘔吐することによって、目を覚ますのだ。
 しかし、矛盾と本能のジレンマを感じている時は、午前零時を回っても、同じ日を繰り返しているという意識はない。気持ち悪さを凌駕しているのか、感覚がマヒしている。ただ、何が恐ろしいといって、夢の中にもう一人自分が出てくるのが恐怖を煽る。それまでマヒしていた感覚がもう一人の自分の出現によって、息苦しさを思い出させるのだ。

                透明人間の正体

 午前零時を回ってから、時間がまったく進まない。真っ暗な世界で目を覚ました亜衣は、目が暗闇に慣れてくることもなく、時間の感覚もまったくなくなっていた、すべてのものが暗黒に支配され、光が亜衣に当たることはない。まるでブラックホールを思わせる世界こそが、ジレンマの正体なのだと悟るのだ。
 亜衣はそんな時、
――一日完結型――
 という意識を頭の中に浮かべていた。
 一日が終わると、身体や心がリセットされて、疲れも疲労も忘れる。
 しかし、リセットされてしまうと、翌日への扉を開くことができなくなる。誰もが日付が変われば翌日がやってくると、何の疑いもなく感じている。亜衣ももちろんそうだった。一日一日の積み重ねが年月を刻み、そして自分に年齢を重ねさせるのだ。
 だが、一日一日を積み重ねるのは自分だけではない。むしろ一日一日が積み重なっていくから、誰もが年齢を重ねるのだ。
 一人として違えることはない。違ってしまえば、その人だけ別の次元の人間ということになる。考えてみれば、皆が皆同じ時間を共有しているというのも、不思議なものである。
 未来はそのうちに現在となり、一瞬で現在は過去になる。現在という一瞬を通り越してみると、どれほど薄っぺらいものなのかということを誰も考えたことはないだろう。
 例えば、薄っぺらい紙であっても、束となって重なると、かなりの厚みになる。それは、紙がゼロではなく一以上だからだ。ゼロというものは、どんなに重ねてもゼロ以外ではない。つまり現在という世界にゼロは存在しないという考えだ。
 あまりにも唐突な考えだが、亜衣は自分を納得させることができる。
 矛盾と本能の狭間でのジレンマを感じることができるから、自分を納得させられるのではないかと感じていた。
――皆が皆、リセットされない人生を歩んでいるというのは、偶然が重なっているからだろうか?
 亜衣は、考えた。
 リセットされない人生がずっと続いていくのだとすれば、一日という単位は何のためにあるのかという疑問を感じていた。
 一日一日が重なって、その時々の節目でまた単位が存在する。一週間、一ヶ月、一年……。節目はリセットされない人生にどんな影響を与えるのか。
――人は一人では生きられない――
 というが、それはリセットしない毎日を、同じ空間として生きている人が存在しているからであろう。逆に、リセットされる人間というのを見てみたいものだ。
 亜衣がどうして、こんな発想を持ったのか、自分でも分からない。ずっと以前からこういう発想を持っていたような気もするが、意識してあらためて考えてみようと思ったことはなかった。
 亜衣は頭の中で創造していた。
 そこには、シーソーがあり、乗っている人が一人いるが、その人は上になっている。矛盾した光景だと一瞬にして感じたが、次の瞬間、
――何がおかしいというんだろう?
 と感じた。
 明らかにおかしい光景を目の当たりにしているはずなのに、おかしい理由がすぐには思い浮かばない。
――軽い人が上に来るはずのシーソーなので、相手がいないにも関わらず自分が上にいるということは、自分がマイナスなのか、見えていない空間に重みがあるのかのどちらかでしかないはずなのに、それ以外にも何か考えられることがあり、その思いが自分を納得させられる理屈を持っていることで、おかしいという理由がなくなったのだ。その理由が何なのか分からないが、一ついえることは、
――その光景を見るのが初めてではない――
 ということだった。
 亜衣は、シーソーに乗っている人がマイナスの重さを持っているという理屈よりも、見えていない空間に重みを感じる方が、自然ではないかと思えてきた。
――自分に見えていないだけで、そこには誰かがいるのかも知れない――
 そう思うと、自分のまわりに他にも人がシーソーを見ているのを感じた。
 誰もが無表情で、その光景をおかしなものだと思っていないようだ。少しでもおかしな光景に見えていれば、一人くらいは、違ったリアクションを示してもいいはずだからである。