「透明人間」と「一日完結型人間」
この物語はフィクションであり、登場する人物、場面、設定等はすべて作者の創作であります。ご了承願います。
透明人間
風の強さに少しだけ暖かさを感じるようになった三月のある日、それまであまり友達と一緒に過ごすことのなかった高山亜衣は、その日、珍しく友達の家で話し込んでしまったことで深夜の帰宅となった。
「泊まっていけばいいのに」
という友達の誘いを丁重に断わって、亜衣は家路を急いでいた。友達の部屋には、どこか男臭さが滲んでいるようで、自分の居場所を求めることができなかった。何よりもタバコ臭が彼女の部屋には沁みついていて、タバコを吸わない亜衣には、苦痛でしかなかった。
そのことは友達も分かっていたはずだった。それなのに泊まっていくことを勧めたのは、彼女がその日、一人でいたくなかったからであろう。
亜衣が友達の部屋を訪れたのは、男にフラれて、
「今日は一人でいたくないの。一緒に呑みましょう」
と言われ、最初は居酒屋で呑んでいたのだが、彼女の強引な誘いもあって部屋まで行った。きっと一人で帰宅するのが嫌だったのだろう。そこまでは気持ちは分からなくもない。
その友達には普段から相談に乗ってもらっていた。亜衣の相談は男関係のものではなく、仕事場での人間関係がほとんどだった。彼女は女性にはなぜか人気があった。きっと、人の相談に自分から乗ってあげるタイプだからであろう。
「他人事のように聞いていると、アドバイスも意外と的確にできるものなのよ」
と嘯いていたが、彼女の言葉は皮肉には聞こえない。性格的にもあっけらかんとしたところがあるところから、相談者も素直に聞けるのかも知れない。
そんな彼女に彼氏ができたのは、半年前だった。
「あの子なら、結構うまくやっていけるんじゃない」
と、彼女に彼氏ができたことを喜んでいた。実際に彼氏ができてからの二、三ヶ月の間に、彼女に相談した人は、その的確な回答にどれほど助けられたことだろう。亜衣はその間に相談することはなかったが、彼女の幸せそうな様子は、見ているだけで想像できるものだったのだ。
しかし、そんな彼女の人生が暗転したのは、それから少ししてのことだった。次第に顔色が悪くなり、表情も深刻そうになってきた。明らかに表情には疲れが表れていて、その原因が相手の男にあるのは、誰の目にも明らかだった。
「どうしたっていうのかしら?」
彼女に相談して助けてもらった人たちは、それぞれ結構仲がいい。彼女の様子が変になりかかった時には、皆その変化に対し、敏感に気づいていたようだ。
亜衣としても、
――この私が分かるんだから、他の人にはすぐに分かったことでしょうね――
と、まわりの人に比べて、自分はそれほど敏感ではないことは自覚しているつもりだった。
彼女が付き合っていた男性、彼は私たちが思っていたのとはまったく違う男性で、女性を騙すことには長けていたようだ。彼女が彼氏を自分たちに会わさなかったのは、そのことを他人である友達に悟らせないため、
「君の友達に会おうとは思わないよ。お互いにプライバシーは尊重しよう」
と言って、ごまかしていたようだ。
彼女は、元々べたべたする恋愛を好むわけではなく、お互いにプライバシーは尊重して付き合うのを身上にしていた。そのため、彼と自分は以心伝心であるというような気持ちを抱いていた。そのことが、相手の男の気持ちを増長させたのだ。
彼が変わってきたのは、三ヶ月もしてからだった。それまでお金のことに関しては何も言わなかったのに、ある日急に、
「少しお金がいるんだ」
と言って、彼女にお金の無心をした。
最初は一万円ほどのもので、数日後にはキチンと返してくれたので、彼女は彼の金銭感覚に何ら疑問を感じなかった。
すると、また金の無心を彼がしてきたのだ。
「いくらなの?」
「三万円ほどなんだけど」
と彼がいうので、
――それくらいなら――
と思い、
「いいわよ」
と言って、貸してしまった。
本当は、この時にお金を貸した時がターニングポイントだったのだ。
最初に貸してほしいと言われた時は、彼も貸してくれてもくれなくても、さほど問題にはしていなかった。二回目の無心でも貸してしまったことで、
――この女なら金をねだれば貸してくれる――
と相手に思わせてしまったのだ。
実はこの男、他にも女がいて、女たらしだった。しかし、目的は女ではなく、あくまでも金だったのだ。
この男は金に対しての執着は激しいが、女に対しての執着はさほどない。だから、恋人になったとしても、いちゃいちゃするわけではなく、「大人の付き合い」をしているように見えるのだった。
彼女が考える男性像としては、
「女関係がまず最初に来て、女関係が垣間見えなければ、お金やその他のことに対してもルーズではないはず」
という思いを持っていた。
他の友達にもその思いを話していて、意外と共感してくれる人も多く、それもあって、自分の感覚にそれなりの自信を持っていた。
しかし、彼の後ろに女の影がないことで、彼女はすっかり安心してしまっていた。彼の後ろに女の影を感じないのは、
「女と付き合うのは、あくまでも金のため。金づるはたくさんいればいるだけいいものさ」
と、男性仲間にはそう嘯いていたようだ。
つまりは、友達相手の顔と、金づる相手の女に対しての顔の両面を持っていることになるのだ。
「お前のように、女に対してドライになれれば、俺にもお金が回ってくるのかな?」
と言われて、
「才能が必要なのさ」
と、平気で言っている。
つまり、女を女として見ていないどころか、人間としても見ていない。だからこそ、女はコロッと騙されるのだ。
しかも、友達はお金にあまり執着があるわけではない。自分が困らなければ、好きな相手にならいくらでも貢ぐ方だ。実際に彼女は無駄遣いをすることもなく、子供の頃からコツコツお金を貯めていたこともあって、かなりの貯金もあったはずである。それを相手の男は彼女から結構な金額を貢がせようとしていたようだ。
しかし、別れは簡単に訪れた。
彼女が偶然、その男が他の女性と一緒にいるところを見かけた。
彼女はもちろん問い詰めた。
「あの女性は誰なの?」
そう言われて、この男は最初何も言わなかった。
――余計な言い訳をしない人なんだわ――
と、もしこのままこの男が何も言い訳をしなければ、そう思い、彼のことを見直してしまったかも知れない。
しかし、彼は何を思ったのか、翌日になって、
「あれは妹さ」
と、言わなくてもいい言い訳をした。
その瞬間、友達の中で何かが崩れた。
「そう、妹さんなのね」
そう言って、明らかに冷めた態度を取った。
「ああ、妹なんだよ。今度、紹介するね」
紹介すると言えば、彼女が納得するとでも思ったのだろう。
言い訳をしないでごまかそうとすることよりも、曖昧を嫌う彼女に対しては、
「紹介する」
というキーワードでごまかせると思ったのだろう。
しかし、彼女は違った。最初に言い訳しないことでせっかく繋ぎとめることができたかも知れない信用を、自らが壊してしまったのだ。
透明人間
風の強さに少しだけ暖かさを感じるようになった三月のある日、それまであまり友達と一緒に過ごすことのなかった高山亜衣は、その日、珍しく友達の家で話し込んでしまったことで深夜の帰宅となった。
「泊まっていけばいいのに」
という友達の誘いを丁重に断わって、亜衣は家路を急いでいた。友達の部屋には、どこか男臭さが滲んでいるようで、自分の居場所を求めることができなかった。何よりもタバコ臭が彼女の部屋には沁みついていて、タバコを吸わない亜衣には、苦痛でしかなかった。
そのことは友達も分かっていたはずだった。それなのに泊まっていくことを勧めたのは、彼女がその日、一人でいたくなかったからであろう。
亜衣が友達の部屋を訪れたのは、男にフラれて、
「今日は一人でいたくないの。一緒に呑みましょう」
と言われ、最初は居酒屋で呑んでいたのだが、彼女の強引な誘いもあって部屋まで行った。きっと一人で帰宅するのが嫌だったのだろう。そこまでは気持ちは分からなくもない。
その友達には普段から相談に乗ってもらっていた。亜衣の相談は男関係のものではなく、仕事場での人間関係がほとんどだった。彼女は女性にはなぜか人気があった。きっと、人の相談に自分から乗ってあげるタイプだからであろう。
「他人事のように聞いていると、アドバイスも意外と的確にできるものなのよ」
と嘯いていたが、彼女の言葉は皮肉には聞こえない。性格的にもあっけらかんとしたところがあるところから、相談者も素直に聞けるのかも知れない。
そんな彼女に彼氏ができたのは、半年前だった。
「あの子なら、結構うまくやっていけるんじゃない」
と、彼女に彼氏ができたことを喜んでいた。実際に彼氏ができてからの二、三ヶ月の間に、彼女に相談した人は、その的確な回答にどれほど助けられたことだろう。亜衣はその間に相談することはなかったが、彼女の幸せそうな様子は、見ているだけで想像できるものだったのだ。
しかし、そんな彼女の人生が暗転したのは、それから少ししてのことだった。次第に顔色が悪くなり、表情も深刻そうになってきた。明らかに表情には疲れが表れていて、その原因が相手の男にあるのは、誰の目にも明らかだった。
「どうしたっていうのかしら?」
彼女に相談して助けてもらった人たちは、それぞれ結構仲がいい。彼女の様子が変になりかかった時には、皆その変化に対し、敏感に気づいていたようだ。
亜衣としても、
――この私が分かるんだから、他の人にはすぐに分かったことでしょうね――
と、まわりの人に比べて、自分はそれほど敏感ではないことは自覚しているつもりだった。
彼女が付き合っていた男性、彼は私たちが思っていたのとはまったく違う男性で、女性を騙すことには長けていたようだ。彼女が彼氏を自分たちに会わさなかったのは、そのことを他人である友達に悟らせないため、
「君の友達に会おうとは思わないよ。お互いにプライバシーは尊重しよう」
と言って、ごまかしていたようだ。
彼女は、元々べたべたする恋愛を好むわけではなく、お互いにプライバシーは尊重して付き合うのを身上にしていた。そのため、彼と自分は以心伝心であるというような気持ちを抱いていた。そのことが、相手の男の気持ちを増長させたのだ。
彼が変わってきたのは、三ヶ月もしてからだった。それまでお金のことに関しては何も言わなかったのに、ある日急に、
「少しお金がいるんだ」
と言って、彼女にお金の無心をした。
最初は一万円ほどのもので、数日後にはキチンと返してくれたので、彼女は彼の金銭感覚に何ら疑問を感じなかった。
すると、また金の無心を彼がしてきたのだ。
「いくらなの?」
「三万円ほどなんだけど」
と彼がいうので、
――それくらいなら――
と思い、
「いいわよ」
と言って、貸してしまった。
本当は、この時にお金を貸した時がターニングポイントだったのだ。
最初に貸してほしいと言われた時は、彼も貸してくれてもくれなくても、さほど問題にはしていなかった。二回目の無心でも貸してしまったことで、
――この女なら金をねだれば貸してくれる――
と相手に思わせてしまったのだ。
実はこの男、他にも女がいて、女たらしだった。しかし、目的は女ではなく、あくまでも金だったのだ。
この男は金に対しての執着は激しいが、女に対しての執着はさほどない。だから、恋人になったとしても、いちゃいちゃするわけではなく、「大人の付き合い」をしているように見えるのだった。
彼女が考える男性像としては、
「女関係がまず最初に来て、女関係が垣間見えなければ、お金やその他のことに対してもルーズではないはず」
という思いを持っていた。
他の友達にもその思いを話していて、意外と共感してくれる人も多く、それもあって、自分の感覚にそれなりの自信を持っていた。
しかし、彼の後ろに女の影がないことで、彼女はすっかり安心してしまっていた。彼の後ろに女の影を感じないのは、
「女と付き合うのは、あくまでも金のため。金づるはたくさんいればいるだけいいものさ」
と、男性仲間にはそう嘯いていたようだ。
つまりは、友達相手の顔と、金づる相手の女に対しての顔の両面を持っていることになるのだ。
「お前のように、女に対してドライになれれば、俺にもお金が回ってくるのかな?」
と言われて、
「才能が必要なのさ」
と、平気で言っている。
つまり、女を女として見ていないどころか、人間としても見ていない。だからこそ、女はコロッと騙されるのだ。
しかも、友達はお金にあまり執着があるわけではない。自分が困らなければ、好きな相手にならいくらでも貢ぐ方だ。実際に彼女は無駄遣いをすることもなく、子供の頃からコツコツお金を貯めていたこともあって、かなりの貯金もあったはずである。それを相手の男は彼女から結構な金額を貢がせようとしていたようだ。
しかし、別れは簡単に訪れた。
彼女が偶然、その男が他の女性と一緒にいるところを見かけた。
彼女はもちろん問い詰めた。
「あの女性は誰なの?」
そう言われて、この男は最初何も言わなかった。
――余計な言い訳をしない人なんだわ――
と、もしこのままこの男が何も言い訳をしなければ、そう思い、彼のことを見直してしまったかも知れない。
しかし、彼は何を思ったのか、翌日になって、
「あれは妹さ」
と、言わなくてもいい言い訳をした。
その瞬間、友達の中で何かが崩れた。
「そう、妹さんなのね」
そう言って、明らかに冷めた態度を取った。
「ああ、妹なんだよ。今度、紹介するね」
紹介すると言えば、彼女が納得するとでも思ったのだろう。
言い訳をしないでごまかそうとすることよりも、曖昧を嫌う彼女に対しては、
「紹介する」
というキーワードでごまかせると思ったのだろう。
しかし、彼女は違った。最初に言い訳しないことでせっかく繋ぎとめることができたかも知れない信用を、自らが壊してしまったのだ。
作品名:「透明人間」と「一日完結型人間」 作家名:森本晃次