短編集17(過去作品)
最初に誘った奴は遊び慣れているといつも豪語していたので、それなりに安心していた。
「それなら大丈夫だな。たまには仕事を忘れて呑むのもいいことだぜ」
私は気分的にも落ち着いていた。研修が思ったよりうまくいっていることは自分でも分かっていたし、上司が私を見る目に高感度があるのも分かっていた。いい結果を待っているだけの状態だったのである。きっとそんな私の表情には自信が満ち溢れていたかも知れない。
薄暗い通りを抜けて、男ばかりの数人が喋りながら歩いている。民家もまばらで、小さな町工場があるようなところで、少しシンナーの臭いがしてくる。子供の頃を思い出させる臭いだった。
そういえば子供の頃には、シンナーの臭いのする工場の近くに空き地があった。そこが子供たちの遊び場のようになっていて、よく野球などをして遊んだものだ。
だが、遊んだ記憶の中に野球をした時のことより、他の遊びの方が印象に深く残っているのはなぜであろう?
それほどいつもしているわけではない遊び、それはかくれんぼだった。それも隠れている時よりオニになって探している時の記憶が残っているのだ。シンナーの臭いを嗅いだ時に思い出すのは、かくれんぼをしていて、皆を探している自分だ。
――どうしても誰かが見つからない――
いつも最後の人だけを見つけるのに時間が掛かってしまう。しかもいつも違う人なのにである。実に不思議なことで、最後の一人が見つかるまでにすべて見つかったような気になってしまって、安心しているからだと思っていた。
きっとそうなのだろう。
――あれ? 皆見つけたはずなのに、誰かまだ残っているのかな?
見つけた連中の顔を眺めている。数えてみても、皆いるような気がするからだ。
「一体誰がいないんだ?」
そう声に出して言った時、夢から覚めるのだ。
――夢だったんだ。それにしても、シンナーの臭いが鮮明に残っている夢だな――
夢に臭いなどあるはずがない。錯覚ではないだろうか。
夢に色や臭いがないことは自覚している。色にしても、モノクロでないことは分かっているのだが、だからといって色を認識しているわけではない。臭いにしてもそうだ。覚えていないだけで、感覚として分かっているのかも知れない。
どうしても見つけることのできない友達を必死に探している。一緒に遊んでいた連中も探してくれているのだが、気がつけば私だけが探していて、皆家に帰ってしまっている。
――なんて薄情な連中なんだ――
と感じるが、それよりも一人で探している自分がいじらしく、却ってまわりに誰もいない孤独な自分を遠くから見ていたいという気になってしまう。哀愁が漂っている中での美しさを感じるのだ。
誰もまわりにいない中、一人でいるのは寂しいものだ。しかし時には一人になりたい時がある。それは何かを考えていたい時で、没頭している時だ。
物思いに耽るというよりも、何か規則的なことを考えていることが多かった。小学生の頃好きだった算数、それは数字が規則的に並んでいるから好きだったのだ。しかも答えは一つ。ただ、どんな考え方をしても理屈にあう答えの導き方であれば、それはすべて正解なのだ。
そう、法則と呼ばれるやつである。私は気がつけば法則を考えていた。そんな時は時間を感じさせない。私が至福に浸れる瞬間でもあった。
時々、不思議な力を感じる時があった。それが何かを考えている時が多く、別に何かが起こるわけではないのだが、誰かに見られているように思う時があるのだ。
学校などで、誰もいない部屋にいることがたまにあった。そんな時は本を読んでいる。中学校の教室は西日の当たる部屋で、眩しい中、なぜ本を読むのか自分でも分からなかった。
図書室に行ってもよかったのだが、西日の当たる部屋で本を読むことがなぜか好きだった。
じっと頭を下げて本に集中していると、ふっと我に返りまわりを見ることがある。最初に比べて少しだけ明るさが減ってきたような気がする。目が慣れてきたのかも知れない。
影が少しずつ長くなっていくのを感じる。影を見るのが好きな私は、少しずつ長くなっていく影を感じるのが一番の楽しみだった。
影だけが長くなり、他は何も変わらない。
そんなシチュエーションに感動していた。
だが、時々何となくまわりの景色が違っている気がしていた。どこがどう違うといわれればピンと来ないが、いつも見ている者だけが分かる何かがあるようだ。
そんな時に鬱状態への入り口を感じるようになったのは、それからしばらくしてからだった。それまでは自分に躁鬱の気があることを知らなかった。鬱状態になる時というのは予感めいたものを感じる。それこそ目の前の色が変わって見える時だ。
――色褪せて見える――
と言った方がいいかも知れない。
夢に色がないのと同じで、鬱状態では、色が制限されて見えてくる。きっと夢と似たようなもので、セピア色を感じているのかも知れない。
夢を見る内容には、共通点がある。同じ夢をいつも見ているような気がしてならないのだ。だが、覚えている内容がいつも同じというだけで、他の夢を見ているのだ。だが、それも後になってから考えられるようになっただけで、最初はいつも同じ夢を見ていると信じて疑わなかった。
学校の教室でも、長いこといれば、いろいろなことを考えられるようになる。何かちょっとした変化でも敏感に気付くようになるのであって、いつも同じ席から見ている景色が、いつも同じであるとは限らない。そのことを知ったのもだいぶ経ってからだ。
当たり前のことである。時間によって陽の角度も違えば、一日一日季節が変わり行くのだから、光の度合いも違うはずなのだ。それでもいつも同じように見えた自分が後から考えれば不思議で、きっと、時間が止まったような瞬間があったに違いなかった。それが自分の中にある、自分の時間だったのだろう。
だが、時々変わるはずのない光景が、一瞬にして変わってしまうということを経験したことがあった。いつもそこにあるはずのものがない、そんな感覚だった。
「おや?」
一瞬、そう、瞬きをするたったそれだけの瞬間だった。何となく気持ち悪さを感じるが、却ってボンヤリし始めた頭をハッキリさせるのかも知れない。
――まるで夢を見ているようだ――
それからであった、私に何か変な力が宿っているように感じたのは。
特に鬱状態に陥った時や、躁状態にある時の絶頂で、何もかもがうまくいき、行動に対して自分の感覚が麻痺している時などによくあった。
どちらかというと用心深く、
――石橋を叩いてでも渡らないタイプ――
といわれる私だが、ふと感覚が麻痺してしまうことがあるのだ。鬱状態にある時は、用心深く考えれば考えるほど考えがまとまらず間違った道を選びかねない。きっと自信というものを完全に喪失しているからに違いない。また躁状態の時は考えていることをそのまま実行すればたいていはいい方向へいくものだ。しかし、得てしてその絶頂というのは、気持ちの中に若干の不安が募るのだ。しかもあまりにもうまく行くことで麻痺している選択が、不安を的中させるという皮肉な結果を招くことすらあった。
作品名:短編集17(過去作品) 作家名:森本晃次