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短編集17(過去作品)

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 すでに三十歳近くになる私は今まで生きてきて、何度そんな感覚に見舞われたことだろう。そのたびに、
――しまった――
 と感じ、激しい後悔に襲われるが、気付くのがどうしても遅れ、泥沼に入りかけることもしばしばだった。それが人生の分岐点だと感じるまでにそれほど時間が掛かるわけでもなく、そのたびに、救ってくれる救世主の出現を待ちわびている他力本願の私を客観的に見ていた。
 逃げの気持ちが働いているのだろうか?
 自分の選択に誤りがあったことを自覚し、悪い方へと向っていることを感じた時、私の気持ちはいつも自分から離れ、そばから抜け殻のようになった自分を見つめていることが多い。それはきっと一番自分を冷静に見れる目ではないだろうか。だが、一旦身体を離れてしまった目に何もできるはずもなく、ただ冷静に見れるだけというのも、実に皮肉なものだ。
 そんな私だからだろうか? いよいよ自分の決断のために、危なくなった自分を助けてくれる「見えない力」を感じることがあった。客観的に見ることができなければ、そんな力の存在など分かるはずもなかっただろう。
 まず最初に感じたのは、高校受験の時のことだった。それまでにもあったかも知れないが、自分を客観的に見れるようになったのが中学時代からだったという記憶の元、考えられる一番古いものである。
 その日の私は朝から最悪だった。
 前日、緊張感からあまり眠ることができず、おまけにお腹を少し壊し気味でもあった。緊張するとお腹に力が入るのか、よくお腹を壊してしまうことがあった。そんなことも自分で分かっていたように思う。分かっているからこそ、
――腹が痛くならなければいいが――
 と思うことで、余計に痛くなってしまう。
――ああ、やっぱりきたか――
 と感じてもあとの祭り、自覚が生んだ当然の結果となって自分に返ってくるのだ。
 本当であれば、少し早めに起きて、しっかり目を覚ましてから試験に臨もうと考えていた。受験生の心得として、皆感じることだろう。眠れなかったという気持ちが強いだけで、お腹さえ痛くなければ、それほど苦痛ではなかったはずだ。しかし痛いお腹がなかなか治らずにトイレとの往復を重ねることで、乗らなければならないバスに乗り遅れてしまった。
――遅刻はしないだろうが、完全に出鼻をくじかれてしまった――
 受験生という一番精神状態がデリケートになっている時である。少しのことでも敏感に反応する中で、出鼻をくじかれてしまったということは、私にとって不吉な予感以外、何ものでもなかった。
 だが、そんな時、客観的に見ている自分を感じたのだ。そんな気持ちは初めてだった。客観的に見ている自分には分かるのだ。誰かが私に語りかけている。
――悲観しなくていいのよ――
 と……。
 その声は女の人のような気がする。聞いたことのないようなその声は、明らかに私に語りかけている。もちろん、私には分からない。客観的に見ているから分かるだけなのだ。
――一体何が起こってるんだ――
 不思議で仕方がなかった。
 仕方なく次のバスで受験会場に向ったが、着いてみると意外に会場入りしている人が少なかった。そんな時、会場になっている教室の外で、入試委員の人であろうか、腕章のついたスーツを着込んだ人たちが何やら騒いでいる。よく内容を聞いてみると、どうやら私が乗るはずだったバスが事故を起こしたらしく、受験生の数人が来れなくなってしまったらしい。幸い皆ケガもなく、その人たちは後日、臨時で試験が行われるらしいが、もしあの中に自分が乗っていたらと思うと、今さらながらにゾッとする。
 いくら後日試験が受けられるとはいえ、試験日までにピークに持ってきた体調や精神状態を今一度リセットすることが果たしてできるだろうか? 無理だったに違いない。
 幸いにも試験ではしっかり勉強していたところが出題されていて、無事に入学することができた。もし、あの時試験に間に合わなかったら、きっと悔いが残ったに違いない。一生懸命に勉強したところが出題されていなければ自分の勉強不足として諦めもついただろうが、そうでないとなれば悔やんでも悔やみきれなかったに違いない。
「きっと何かの虫の知らせのようなものがあったのよ」
 家族はそう言って笑っていた。今だから笑えるが、私もそうだと感じる。人生の中にはそういったことも何度かあるのかも知れない。それを自分で自覚できるかできないかだけで、何も感じることなく過ごしている人もいるだろう。
――あくまでも偶然が重なっただけ――
 その時の私にはそう感じられた。虫の知らせというのは後から考えてそう感じるのであって、偶然が重なっただけだと思えば、誰にでも起こる不思議でも何でもないことなのではないだろうか。
 しかし、大学に入るとできた友達に、虫の知らせについて面白い考えを持っているやつがいた。
「虫の知らせってのは、きっと自分のまわりにいる神が与えてくれるものなんだよ。それはきっと守護霊だけに限らないだろうけどね」
「どういうことなんだい?」
「虫の知らせは自分にとって都合のいいことばかりだと思いたいだろう? しかしそうじゃないんだよ。悪い虫の知らせっていうのもあって、皆何となく感じてはいるんだろうけど、それを認めたくないんだ。悪い方の虫の知らせは完全に偶然として片付けてしまいたいと思うのも当たり前のことだからね」
 大学の食堂で昼食をとりながら、よくそんな話をしたものだ。私もそんな話が嫌いではなく、話し始めると時間を忘れ、そのまま友達の下宿に泊り込み、夜を徹して話すことも少なくなかった。よく一緒に下宿の近くの銭湯に行き、帰りにビールを呑みながら夜空を見上げて話をしたものだ。そんなシチュエーションが好きだった。
「確かにそうだね。人間って都合のいい方に考えてしまう動物だからね。言われなければ考えもしないことだったよ」
「うん、そんなものだよ。でも、自分のまわりにいる霊が守ってくれているというのも事実なんだ。だから悪いことの虫の知らせは自分に対して起こるものではないと考えられるのかも知れない」
 誰か友達や肉親が亡くなる時に虫の知らせを感じる時があるらしい。それは相手の必死な思いがその人に通じてのものだと思える。それを悪いことだと思うか思わないかはその人の考え一つではないだろうか。悪いことだと思うと相手も浮かばれないと感じ、なるべく自然に考えようと思うのかも知れない。
 しかし、それもすべてが後になって気付くことである。
「あぁ、あの時に感じたことが虫の知らせだったんだな」
 ということをよく聞く。何かなければ思い出さなかったことというのは、意外とまわりにいっぱいあるのではなかろうか。それは私に限ったことではない。皆に言えることだ。
――人の生死――
 ある意味、神秘的な儀式のようなものを感じる。避けては通れないものだ。どの一瞬を捉えても必ずどこかで誰かが生まれ、誰かが死んでいく。その時間に生まれた人が、まったく同じ時間に死んだ人の生まれ変わりではないとどうして言えるだろう。虫の知らせという言葉からいろいろな発想が浮かび、話は尽きることがない。アルコールが入ると饒舌になり、
――こんなことを言うとバカにされるのではないか――
作品名:短編集17(過去作品) 作家名:森本晃次