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短編集17(過去作品)

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 最近は話に夢中になって帰社時間ギリギリになることが多かった。今日は盛り上がる話もなく、何となく消化不良気味のところへ持ってきて、シゲさんとの会話を中途半端に終わらせてしまったことへの後悔の念から、このまま帰社するのはさすがに辛かった。
 確かに終わらせたのは自分からである。あのままあの場にいたら、もっと離れられなくなりそうな気がしたからで、しかし中途半端なことには違いない。ストレスを溜めないようにするには、少し歩くことだと思った。
 ここからゆっくり会社まで帰ってもいいのだが、少し住宅地の方を廻ってみようという気にもなっていた。一度も踏み入れたことのない場所で、こんな機会でもなければ、二度と行こうなどと思わないだろう。会社から少し入り組んだところにあり、しかも丘のようになったところなので坂道が多い。それだけにどうしても敬遠しがちだった。
 車の通りもそれほど多くない。住宅地といっても最近開発されたところなので、住民が果たしてどれだけいるかというのもハッキリとしない。学校もできているが、果たして生徒数にして運営が成り立っていくのだろうかなどと、余計な詮索をしてしまいたくなるほどである。
「このあたりに今度駅もできるらしいわよ」
「じゃあ、開けてくるんですね?」
「ええ、大手スーパーも何軒か出店を考えているらしいから」
 そんな話を聞いたことがある。確かあれからだいぶ経つので、スーパーの開店くらいはあったかも知れない。
――確かあれからこのあたりには立ち寄っていないよなぁ――
 季節は秋だったかも知れない。日が暮れるのが随分早くなったものだと感心していた頃だったはず。西日に照らされた住宅街は黄色く浮かび上がったようで、やがて訪れるモノクロ掛かった夕闇とのギャップが激しかったことを覚えている。秋というのは西日の強さが半端でないため、一気にやってくるモノクロな風景に一段と寒さを感じる。セピア色に哀愁を感じる暇もなく日が沈んでしまうので、風がある時など、その感じる寒さはひとしおである。
 私は今その時のことを思い出していた。確かに喫茶店を出てから住宅地に向かって歩いている時に黄色く浮かび上がるシルエットを感じていた。後ろから差してくる西日は、背中に熱さを感じさせるほどで、横の田んぼ道から湧き上がる埃までが、黄色く感じたものだ。
 住宅地というと、どうしても小高い丘に作られることが多い、ここもそのようで、昔は何もなかったところを開拓して、強引に住宅地にしたようなものだった。そこに街の活性化を感じさせるプロジェクトが存在したことは間違いないのだろうが、我々にそんな思惑などわかるはずもない。
――そういえば、丘の上にあった公園で、よく小さい頃に遊んだものだ――
 西日の当たる公園でのことを思い出していた。子供心に眩しいとは思っていたが、遊びに夢中な小学生にそんなことが気にならない。他の皆も気にならないのだから、私一人が気になることもないだろうと、後から考えれば滑稽な感じのする発想に、思わず苦笑いしそうである。
「おい、かくれんぼしようぜ」
 遊戯施設がそれほどなく、ただ広いだけの公園だった。しかし、なぜか隠れるところだけは豊富だったような気がして、小屋だとか、タイヤや鉄くずの無造作に捨てられた跡とかいろいろあった。もちろん、正式に街が管理しているような児童公園というわけではない。まるで空き地にいろいろなものがあるというだけだったような気がする。
 子供にとってそういう公園は、かくれんぼに向いている絶好の場所だった。簡単に隠れるにしてもただ広いだけなので、見つける方も大変。しかも「缶蹴り」のように、探している間に、オニの陣地にいる仲間を助ければ釈放されるといったルールなので、オニもそう簡単に動くことができない。
 とにかく見晴らしはいいのだ。それくらいのルールにしておかなければ楽しみなどないのである。
 私は時々そのかくれんぼを思い出すことがある。
 夢の中で見るのだが、やたらリアルで、それも見る時は集中して見ているようで、いつも夢の中で、
――毎日見ているようだ――
 と思っている。しかもそれが夢であることを、夢の中で自覚しているという珍しいタイプの夢なのだ。夢で起こる不思議なことであっても、目が覚めない限り、それが夢であることの自覚はなかなか湧いてこないにもかかわらずである。
――実にヘンな夢だな――
 誰に話すわけでもないのだが、心の中でそう思うのだ。夢というのはたいてい、覚めてから夢だったのだと気付くもので、夢を見ている時に気付くというのは希なことである。特に同じ夢を何度も見ていることを自覚しているということ自体も珍しいことで、普通なら、どこかで似たような光景を見たという、「デジャブー現象」を感じる程度ではないだろうか?
 かくれんぼの主役は私である。自分で見ている夢なので当然なことなのだが、気がつけばいつもオニだった。最初はなぜいつもオニなのか分からないでいた。しかし、よくよく考えてみると、自分がオニの時にどうしても見つけることのできない人が一人だけいることに気がついたのだ。それが誰なのかハッキリと覚えているわけではないのだが、いつも同じ人だったことは間違いない。
――どうして見つけることができないんだろう――
 そのことに気付いて、最初にその人を探すことに集中していた。せっかく見つけやすい友達が近くにいても、見向きもしない。さぞかし他の人たちは私がどうかしてしまったと思ったかも知れない。
 そんなことが毎日続いた。
 それは夢でもそうだったし、昔も実際にそうだったのだ。
――そういえば、どんなやつだったかな?
 他の友達の記憶は鮮明にあるのだ。ある意味鮮明すぎるくらいに残っている。だが、ではなぜ思い出せないのだろう? 夢の中では顔は見えていたはずである。探しながらも意識していたのは記憶に残っている。
――必ず今日こそは探してやる――
 こう、心に決めて望んだかくれんぼ、それは夢であろうと同じだった。昔、実際にも同じように思っていたはずで、子供心の方が強かったに違いない。子供の頃の記憶というのは意外と思い出そうとすれば覚えているものだ。
 学校に行ってる頃は一年の中で、いくつかの節目があった。途中に学期があり、その間に休みがある。そのせいであろうか、その日一日はそれほど長さを感じないのだろうが、それが一週間、一ヶ月、一学期となればなるほど長さを感じるのである。それだけに一日一日の記憶も鮮明になってくるのではないだろうか?
――ゆっくり思い出せばすべてが思い出せそうな気がする――
 と思うこともある。しかしそのゆっくりとは同じだけの時間を使わないとできないことのような気がして、まさかそんな労力を使うほど滑稽なことはないだろうと考えている。
 かくれんぼに関しては頻繁に夢に出てくる。他の友達のことはこれだけ夢で見ているので大体思い出すことができるのだが、やはり見つけることのできなかった友達に関してだけは記憶が定かではない。
――本当にそんなやつ、いたんだろうか?
 とまで思うくらいで、小学生の頃の記憶にも覚えていないながらも存在だけはクッキリと頭に残っているのだ。
作品名:短編集17(過去作品) 作家名:森本晃次