短編集17(過去作品)
しかもこの二人、非常に仲がいい。どちらかが若かったり、独身だったりするとまた違うのだろうが、同じような年齢で、同じような年頃の子供がいたりすると話も合うのだろう。
「機嫌を損ねると大変なことになる」
これは口に出さないまでも皆感じていることだ。
私はそれがゆえに不安でもあった。
新しく入ってくるパートの女の子、お局様たちとうまくやっていけるだろうか?
きっと若い娘を待っていた従業員にチヤホヤされ、罪のない笑顔を浮かべることで、お局様たちに睨まれるのではないだろうか?
男にはそういうことはよく分からない。しかもこの会社のように土木関係の会社だと、職人気質の男たちが多く、女性には罪のない優しさを向ける。それがどういうことになるかなど、きっと分からないだろう。
この会社で私はある意味異色だった。どちらかというとインテリっぽいイメージで見られ、本当ならもっと大きな会社にでも行けばよかったのに、と他の人からも言われる。しかし、家の事情で転勤ができないということと、こじんまりした会社で何でもこなすような仕事をしてみたいという気持ちもあったことが、この会社へ入るきっかけになった。
別に後悔などしていない。確かにストレスは幾分か溜まっているが、それはどこの会社にいても同じことではないだろうか。却って雁字搦めの会社にいる方が、どうにもならない自分の立場や、組織の現実に直面し、もがき苦しむ自分を見ることになったかも知れない。
「僕はこの会社が似合っているんだよ」
苦笑いしながら、そう言って呑み会の時に話したりしているが、きっと表情はさっぱりしたものになっているはずだ。だから、きっといろいろなところに目が行くのだろう。社長からも人望が厚く、いろいろな事業展開の前には必ず私を社長室に呼んでくれ、
「話を聞かせてくれ」
と切り出される。
怖いもの知らずなのかも知れない。聞かれたことに思ったとおり答えている。とりあえずはただの意見として聞いてくださいと釘を刺しているが、冗談抜きで私の意見が大きなウエイトを占めているらしい。
だからこそ、表面上はそれほど重要なポストについているわけではない。ここで私が下手に重要なポストにでも置かれれば、皆からの偏見の目が向けられると社長が考えたからだ。
「力仕事のようなものだが、がんばってくれ」
そう社長から肩を叩かれた。
「はい」
と一言だけ答えたが、男冥利に尽きるというものだ。しかし社長と私とは、仕事上での関係であって、プライベートはまったく違う。これも私が進言したことでもあった。もしプライベートも世話してくれるならば、きっと人生がもっと短絡的になっていただろう。
パートが入る日になると、私は何かワクワクしたものを感じた。新入社員がいなくとも春には新鮮な気持ちになれるのと同じような気持ちである。春という時期は、寒い時期に硬くなった身体をほぐしてくれ、人間以外の生き物すべてに色をつけてくれる時期でもある。梅、桃、桜……、同じような色に見えても、それぞれが個性溢れる色で季節を感じさせてくれる。躍動感を感じさせ、春に吹く風に誘われるかのように漂ってくる香りは、いかにも鼻腔をくすぐる軟らかさが、強いはずの風であっても爽やかさを運んでくれるのだ。
季節は春ではない。しかし私は通勤の際に感じた風は、明らかに春に吹く一塵の爽やかな風であった。
「まるで桜の香りのようだな」
元々、花粉症気味の私であったが、桜の終わりかけると同時くらいに治っていることが多い。その頃に漂ってくる香りをいつまでも身体が覚えていて、すばやく頭が反応しているのだ。
会社へと向う足が軽かったに違いない。それほど疲れることもなく会社に到着すると、すでにパートの女性は来ていた。
「では、そういうことで、あとは担当の課長に任せることにしよう」
担当の課長というのは、私の上司に当たる人で、あまり自分から話をすることのない少し陰気な人である。仕事はできるのだが、協調性やリーダーシップに関しては、決して管理職といえるものではない。これを感じているのは私だけではないらしく、呑み会などでは結構悪口を叩かれているようだ。
上司の悪口をいうことは、あまり気持ちのいいものではないが、ある程度仕方がないと思っている。言われている方はたまったものではないが、言われなければもっと惨めになるかも知れないと感じる。そうやって部下が上司のことを話題にして、その中で上司に対しての共通の思いを感じることができれば、そこから上司への接し方も暗黙の了解でうまくいくというものである。もし暗黙の了解がなければ、誰が何を考えているか分からず、それこそ業務がうまく回転していかないだろう。極論かも知れないが、私はそんな風に感じている。
そんな課長を補佐するのも私の役目だった。
これは影の「本当の意味での私に与えられた仕事」とまで思っている。きっと社長も私にそれを望んでいるに違いない。
そういう意味で、新しく来るパートの女の子に対しても、それなりに気を遣うことになるだろう。
「あ、こちらは君の働いてもらう課の右田君だ」
いきなり応接室から出てきた二人とかち合わせになってしまい驚いている私に対し、人事課長はそう紹介してくれた。
「はじめまして、水沼です。よろしくお願いします」
蚊の鳴くような声で、ハッキリとした発声になっていない彼女は、俯いたまま私の顔を見ることもなく挨拶をした。黒い髪がさらりと下に垂れているが、決して不気味さを感じさせるものではない。それは蛍光灯の光であっても髪の毛の一本一本のきめ細かさをかんじさせるがごとく綺麗に光っているからだ。きっとまだ慣れていないからだろうと思っていた。
課長の後ろをついて歩くその背中は丸くなっていて、きっと歩きながらでも、チラチラまわりを気にしながら歩いていることだろう。それも大袈裟にならないように、さりげなさを強調するかのようであるが、却ってそれが私には目立って見える。
――こんなのでお局様たちに耐えられるだろうか?
とも感じたが、それより同僚の男性たちの目の方が少し気になっていた。
仕事での感覚なら大体全員のリアクションは熟知しているつもりだったが、こと相手が女性ということになれば、予測もつかない。暗い女性だと思ってあまり自分から話しかけない方なのか、それとも、却って気になって、声を掛けたくなる方なのか、分からないからだ。
もし声を掛けることにでもなれば、お局様たちが黙っているだろうか? そこで登場することになるのが私であろう。彼女を女性として見てしまえばなかなか難しいところもあるが、私の場合は会社の中にいる限りそれはありえない。会社の外と中とでこれほど違う人間がいるのだろうかと自分でも感じているくらいだ。
「右田さんは、付き合い悪いわけではないんだが、俺たちとは少し違うよな」
私がいないと思ってトイレで話しているのを偶然聞いてしまったことがあった。
「そうだな。でもだからといって俺は嫌いではないぞ」
「俺もなんだよ。きっと会社の中での近寄りがたい雰囲気で損をしているのかも知れないな」
損だとは思っていないが、当たらずも遠からじというところだろうか。
作品名:短編集17(過去作品) 作家名:森本晃次