短編集17(過去作品)
私はそれほど人見知りする方ではない。しかし、かといってすぐにできている輪の中へ入っていって馴染みになれるほど、馴れ馴れしさを持ち合わせているわけではない。この店に限っては皆の方から近づいてきてくれて、まわりが私を受け入れてくれたという感じであった。それだけに私からも違和感なく入りやすかったし、きっと波長の合う者同士、うまくいくと思ってくれたのだろう。
そう思ってくれれば、私としても気が楽だった。自分からアピールしなくても、何となく私という人間を分かってくれているようで、話題性にも豊富な連中ということもあって、すぐに常連になったみたいな気分になれた。
――ここでは本当の自分を見せることができる――
これがここを気に入った一番の理由だったような気がする。いくら輪の中に入れてくれようとしても、本当の自分が出せなければ居心地のいいものではない。そういう意味で、皆への警戒心が強くなり、自分の殻を作ってしまうのではないかという危惧も、後から考えれば起こってくる。
いや、きっとそうだろう。
「ここでは本音を皆が言い合える場所なんだ」
「そうさ、だから皆口は悪いけど、いいやつばっかりなんだよ」
そう言って私を迎え入れてくれたっけ。
それは話せば話すほど身に沁みて分かることであった。しかしいくら馴染みになったからといって、馴れ馴れしさが目を覆うようなことはなかった。そういえば学生時代、あるグループに所属していたのだが、そこで馴れ馴れしさが高じて、皆から無視されてしまうといった状態に陥ったことがある。最初は分からなかったが、途中から次第にその馴れ馴れしさに気付いた。しかし時すでに遅く、自分でも態度を元に戻すことはできなくなっていた。まるで「意地」のようなものだったのかも知れない。
意地になればなるほど自分が分からなくなってくる。
これは私に限ったことではないだろう。だが、意識が遠のいていくほど分からなくなるという思いは、学生時代のその頃だけだったのだが、これほど辛いものだとは思いもしなかった。それを感じたのはその時ではなく、かなり後になってからだ。もしその時に気がついていたならば、今の私はなかっただろう。苦しみの中から立ち上がるタイミングが少しでもズレれば、きっと将来においての自分もかなり違ってくるはずだからである。
SFの世界でもそうである。
「タイムパラドクス」という言葉を聞いたことがある。
もしタイムマシンが開発されて過去に行けたとしたら。そして過去で自分の将来にかかわることに対してかかわったとしたら……。そういう考え方が「タイムパラドクス」というものである。
「パラドクス」は「逆説」ということであるが、自分が過去に行き、自分の親に対して何かをするという考え方が一番ポピュラーなものだろうか……。
――生まれてくるはずの自分の出産を邪魔すれば、自分が生まれない。しかし自分が生まれないとすれば過去に来て、親の邪魔をする自分もいないことになり、親は無事に自分を産むだろう――
片方の論理を肯定すれば、片方の論理が食い違う。それが「パラドクス」といわれるもので、一番難しい論理として、「時間」があるわけだ。
――時間を飛び越えられるとすれば、どうなるのだろう?
今まで何度となく考えたことだろう。
――たった一瞬でも寿命が延びるのだろうか?
これも不思議である。
自分の寿命なんて分かるはずないのだ。
――知った時点で自分はこの世にいない――
のだから……。
ある意味、これもパラドクスなのだ。昔おかしな笑い話を聞いたことがある。ある水に対しての効用なのだが、
「一杯飲めば一年長生きできます。二杯飲めば十年、三杯飲めば……死ぬまで生きられます」
というものだった。考えてみれば当たり前すぎて、すぐにはそのオチに気がつかないだろう。しかしそれもまるで「パラドクス」なのだ。
そう、「死ぬまで生きられる」、「気がついたら死んでいた」、言葉のニュアンスは違うが同じような感覚の「パラドクス」には違いないだろう。
しかしこの「タイムパラドクス」を考えた時に、「タマゴが先か、ニワトリが先か」という、まるで禅問答のような例えを思い浮かべるのは私だけではあるまい。
こんな話が好きな常連さんがいた。本名は知らないが、皆彼のことを「シゲさん」と呼んでいた。それが本名から来るものかどうか分からなかったが、ここで本名以外で呼ばれる人も珍しかった。私は一度本名を聞いた気がしたが、なぜか忘れていた。その時に少なからずの驚きのようなものを感じたからかも知れない。
私は名前は、緒方弘之という。皆からは「緒方さん」と呼ばれているが、もちろん違和感はない。学生時代など、「ヒロ」とよく呼ばれたが、今ならそっちの方が違和感があるかも知れない。しかし、ここのような馴染みの店で呼ばれる分には、きっとどちらでも違和感なく受け入れられるだろうと確信している。
シゲさんと話をするのは、最初皆抵抗があるようだ。初めての相手であっても、自分の考えている理屈を分かってもらおうとするのか、少し押し付けに近いような話し方をするところがある。もし聞き上手な人でなければ少し辛いかも知れない。
「シゲさんには、困ったものだよ。時々フォローしきれないことがあるからね」
そう言って苦笑いをしていたマスターの顔が思い浮かんだ。もちろん悪い人でないことは、少なくとも常連には分かっていることなのだが、いわゆる「悪い癖」ということで、時々閉口してしまうことがあるようだ。
「だけど、君が常連になってくれて助かったよ」
マスターからそう言われたのは、シゲさんの話を一番真剣に聞いているのが、この私だからなのだ。さすがに聞き上手な人でも話題についていけないときついものがある。しかし私は相手の話を聞きながら、話題に入っていくタイプなので、話を聞きながらでも、いつも返す言葉を頭に浮かべているのだ。「助かったよ」という言葉は、マスターの本心から出た言葉に違いない。
「いえいえ、僕も実はシゲさんがしているような話は学生時代から好きなんですよ。よく友達の部屋に遊びに行っては、夜を徹して話したものですよ」
これは本当だ。将来の話から女性の好みの話まで幅広い話をしたものだが、その中でもこういう「パラドクス」などの非現実的な話を空想するのが好きな友達だったので、話が始まると終わることがなかった。元々話し自体が結論など到底出そうもない話なので、尽きることのない話題が、話の途中でもどんどん出てくるのだった。
シゲさんは毎日来る人だった。私がこの店に入ってから少しすると入ってくる。いつも無表情で笑顔がないが、私の顔を見るとホッとするのか、笑顔を私にだけは向けるのだ。
「シゲさんの笑顔って見たことがないなぁ」
ある日のこと、シゲさんが帰ってからやってきた常連の人が言ったことがあった。
「そういえば俺もだよ」
「いや、俺も」
と、その言葉に対してのまわりの反応は早かった。
「いや、そんなことはないでしょう。少なくとも私にはシゲさんの笑顔が目に浮かぶけども」
というと、不思議そうな顔をして皆が私を見つめた。
「おいおい、なんですか、まるでオバケを見るような顔をして」
作品名:短編集17(過去作品) 作家名:森本晃次