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短編集17(過去作品)

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 しかしいざ仕事が一段落すると放心状態のようになり、何から考えていいか分からなくなってしまう。それがきっと物足りなさなのだろうが、いくら満足感に浸れるとはいえ、ただ現実に戻るだけで、ない物ねだりであることを思い知るだけである。気がつけば、一緒にいてくれる恋人も友達もいるわけでもなく、ただ時間だけが戻ってきただけなのだ。虚空の時間だけがあっても、我に返ってしまえば、結局は侘しさが残るだけだ。
 そんな時に公園のベンチが私を呼ぶ。
 児童公園といっても、こんなビルの谷間で子供が遊んでいるわけではない。いくつかあるベンチに何人かサラリーマンやOLが座っているのが見えるが、皆疲れているようにしか見えない。
 私も他人から見れば、疲れているようにしか見えないのだろうか?
 ベンチに座っている自分の姿を想像してみる。歩いていて垣間見るようにすれば、きっと疲れているように見えるだろう。しかし実際にベンチに座って歩いている人を見上げれば、歩いている人の方が疲れて見えるから不思議だ。きっとお互いが違う世界にいて、たとえ同じ人間でも、座っている時と歩いている時とでは、違う人間になっているのかも知れない。
 ゆっくりと歩いていくと、そこにはOLとは少し違う女性が座っているのが見えた。黒いワンピースのミニスカートを穿いた女性が、文庫本に目を落としている。長い髪が邪魔をしてハッキリと顔が見えない。
 きっと彼女は夜の仕事をしているのだろう。しかし少し小柄なその雰囲気は、まだあどけなさが残った感じで、胸の張りは感じるが、スレンダーという雰囲気でもない。少し幼児体型が残った感じがあどけなさを誘うのだろう。
 髪の毛の色も綺麗な黒で、服装と体型のアンバランス同様、あどけなさを誘うのはそのあたりから来ているのかも知れない。ストレートな髪型は、清楚な感じを受け、じっと見つめている文庫本に集中しているのか、私が見つめているのに気付かないようだ。
――そういえば、昔付き合っていた女性に似ているな――
 何となく雰囲気だけは思い出せるのだが、顔がどうにもおぼろげだ。確かに体型も小柄で幼児体型だった。元々スタイルのいい女性より、少しポッチャリ系で幼児体型の方が好きだった私の学生時代を思い出させる。
 名前をあいといったっけ。
 そういえばあいと一緒によく公園に来たのを思い出した。夜の公園でベンチに座って話しをしたり、ブランコに揺られながら何もかも忘れて子供の頃に戻ったかのような笑顔を見せてくれる女性だった。
 あいは私にとって初めての女性だった。あどけなさが残る中で、きっと彼女も初めてだろうと思っていたが、
「私が初めてだと思った?」
 ホテルに入るなり、抱きついてきて唇を塞いだあいは、ビックリして見つめる私に、そう言ったのだ。その時初めて、あいの妖艶な笑みを見たような気がした。
――私の知っているあいではない――
 そんな気持ちも一瞬湧いてきたが、私を見上げる目は潤んでいて、
――欲望という言葉が当て嵌まるのだろうか――
 などという思いがよぎったが、それも一瞬で、初めての女性を堪能する間もなく、気がつけば脱力感に襲われていた。
「あなたは初めてだったのね」
「意外だったかい?」
「ええ、最初は意外に思えたけど、あなたと一緒にいる時のことを思い出せば、それも何となく分かる気がするの」
 そう言って笑っている。その笑顔は先ほどの妖艶な笑みではなく、あどけない笑顔であった。ことが終わってしまった後の女性とは、かくいうこれほど豹変してしまうものなのであろうか?
 快楽が頂点を極めたあとの男性は、その瞬間に欲望が一気に萎えてしまう。脱力感は心地よいものなのだが、さらなる快楽を求めようとするまでに少し時間が掛かるのだ。それは以前から分かっていたことだが、我に返って見つめたあいはとても可愛らしく感じられた。
――まるで妹のように見える――
 そんな感覚があった。
 そんなあいが私の胸に顔を埋めるようにして眠っている姿、それをベンチに座って本を読んでいる女性に感じたのだ。
――そういえば、あいは読書家だったな――
 私にとって理想の女性だったに違いない。しかし、別れは突然に訪れた。
「あなたのことが重荷になるの」
 それから何人かの女性と付き合ったが、最後に同じ言葉を言われる。とにかく訳が分からない。今思い返しても、分かるものではなかった。
「あい」
 思わず、気持ちは学生時代に戻っていた。
 しばし、ベンチの女性を見ていたが、本が一段落したのか、立ち上がって歩き始めた。
その顔はあいとは似ても似つかない女性で、それまでの時間が何だったのか、あっという間に過ぎてしまった時間を感じながら、自問自答を繰り返す。
――昔を思い出しての楽しい時間だった――
 あるいは、
――一体何だったんだ、この時間は――
 と正反対の思いが巡り、不思議な気持ちに襲われていた。しかし、それが私をベンチから立たせるきっかけになったのも事実で、時計を見るとちょうどいい時間になっていた。
――それにしても、あいのことを思い出すなど今までにはなかったことだ――
 これまで公園のベンチに座っていても不思議と思い出すことはなかった。それだけ私にとって遠い過去のものだと思っていたのかも知れない。記憶の中に封印していたといっても過言ではないだろう。
 気がつけばビルの谷間に夕日は消えていた。もう、目の前に影はなく、あとは暗くなるのを待つばかりである。そろそろゆっくり歩いていけばちょうどいいくらいの時間になるはずだ。
 この間は数人と話しながら歩いていたので、時間も短く、距離も感じなかった。しかし今日は時間も距離も噛みしめたい気分である。今まで、夕暮れから夜の帳が下りるのを感じたこともなく、ずっとビルの一室で仕事をしていたことの理由の一つだが、この夜の帳がやってくるまでの短い時間を堪能してみたかった。
 この時間というのは哀愁を誘う時間でもある。それはきっと、ある短い時間だけモノクロに見える時間というものがあるからだろう。それは本当に短い時間、気にしなければ分からない時間、きっと気がつけば日が暮れていたということになるはずである。
 モノクロになる時間帯には事故が起こりやすいという。しかも、この時間は魔物が一番出やすいと言われている時間帯でもあるらしく、昔からこの時間は恐怖の時間帯として認識されていたようだ。
 確かにモノクロに見える時間帯があった。アスファルトの道であるにもかかわらず、地面から埃のようなものが湧き上がって見え、もやっているような感じなのだ。まるで光化学スモッグもようである。何となく感じる倦怠感、疲れた身体を引きずるようにして歩いていた。
――気がつけば、日が落ちていたという感覚は本当なのだ――
 これだけ気にしていたにもかかわらず、夕日が沈む瞬間を自覚することはできなかった。薄暗いというより、最後まで暗くなっているということを感じさえない時間帯に、ネオンサインは灯り始める。まだ明るさが十分に残っているため決して目立たないが、目立ち始めるのを感じると、その時には日が暮れていたというのが本当のところだ。主役が逆転した。
作品名:短編集17(過去作品) 作家名:森本晃次