「生まれ変わり」と「生き直し」
――記憶の欠落というのは、弥生やりほに限らず、誰にだって起こりうることではないか?
と感じるようになった。
そういえば修平も、自分で思い出そうとしないだけで、思い出そうとすると、思い出せないこともあったような気がする。
「思い出すことって、怖いことなんだ」
とかつて感じたのを思い出したが、それを感じたのは、夢の中だったように思えた。
「目が覚めるにしたがって薄れていく夢の中の記憶」
その中に、思い出すことが怖いという意識があったように思えた。
怖いと思うことは記憶しているはずなのに、この意識は覚えていなかった。つまり、怖いと思いながらも、恐怖とは違う次元のものだということを、自分なりに理解していたということなのだろう。
「私、本当は病気なの」
「えっ?」
弥生の言葉を聞いて、ビックリした。しかし、ビックリはしたが、別に想定外のことを聞いたような気はしなかった。
「重いのかい?」
「ええ、今は療養中で、時々散歩が許される程度なの。お店を辞めたのも、病気が原因だと言ってもいいわ。本当はね。私はお店に入る前から、病気で辞めることになるような気がしていたの。お店に入ってすぐくらいの私は、毎日がどこかに向かって進んでいるような気がしていたわ。それがいい方向なのか、悪い方向なのか分からなくって、毎日が怖かった。部屋で夜寝る時も、怖い夢を見るんじゃないかって思って、毎日怖かったわ。その夢の中で、病気になる夢を見たの。その夢は目が覚めても、忘れてくれない夢だったわ。でも、その病気は必ず治る病気なのよ。それが夢だから治るのか、それとも本当に病気になった時、それが正夢となって、必ず治るものなのか分からなかった。毎日が怖かったわ」
「治るんだよね?」
「ええ、先生から必ず治ると言われたわ。ただし、療養には時間が掛かるって。だから、その間、精神的なケアをしないと、きつくなると言われたわ。私は一人で悩んでいた時の恐怖に比べれば、今の方がだいぶ精神的に楽なのよ。そんな時、あなたが歩いていたの。声を掛けることができたことを、私は嬉しく思うの」
記憶の欠落の中に、
「ひょっとすると、病気のことがあったのではないか?」
と、修平は思った。
病気の不安を抱えていた弥生は、本能的に記憶を欠落させたのかも知れない。しかし、りほになってその裏側を見つめようとした時、弥生の本能に触れようとして、言い知れぬ不安に苛まれ、結局、また弥生に戻って、やっとりほは楽になれたのではないかと修平は感じた。
弥生を哀れに感じた修平は、りほから弥生に戻ったのを好機に、りほが、弥生の不幸な部分を一身に背負ってくれればいいと感じた。そうすれば、弥生は助かるだろうし、自分も弥生と改めて向き合うことができる。
まるで子供が考えそうな発想だが、それは病を患っている弥生には、
「背に腹は代えられぬ状況」
と言えるのではないだろうか。
神頼みの類であるが、神頼みの何が悪いというのだ。お百度参りをする気分で、祈りをりほに捧げてみた。すると、修平の心の中に、弥生に対しての恋心があることに気が付いた。
「何をいまさら」
というべきなのだろう。りほとしては再会になるのだが、弥生としては初対面。弥生への気持ちが定まっていなくても当然のことだった。
下心を持ちながらの神頼みに対しては、修平の中で躊躇いがあった。それは、裕子と付き合っている時にも感じた躊躇いに似ていた。
――そうだ、あの時の俺は、裕子よりもさつきの方を好きになりかけていたんだ。そのことを二人に悟られないようにしていると、次第に裕子との間がぎこちなくなっていったんだ――
さつきと裕子、どちらに悟られても、二人が友達である以上、同じことなのだろうが、その時の修平の中では、さつきの方に悟られたくないという思いが強かった。だから、裕子との間がぎこちなくなっていき、次第に別れることになった。
しかし、いざ別れてみると、さつきへのそれまでの思いは、どこに行ってしまったのか、好きだったという気持ちを封印してしまった。裕子と別れたことで、少し気まずくはなったが、自分の気持ちに正直になることはできるはずだった。それなのに、正直になったはずの気持ちの中に、さつきはいなかった。
――友達として――
という気持ちも、その時にはなかった。
友達という気持ちは、次第に戻ってきたが、あの時に感じていたさつきへの思いは、なくなっていた。それから今までに、さつきのことを好きになるということはなかったのである。
そんな時、気になったのが、さおりだった。
旅行から帰ってきてから、会ったりしたことはない。裕子の口から近況は聞いていたが、それも。差し障りのないことだけだった。
さおりが誰かと結婚することばかりを想像して、想像してしまったことを、いつも後悔していた。今までに、何かを想像して、我に返った後、これほど後悔するということのないほど、さおりのことを想像すると、いつも後悔してしまう。
さおりが流産したことが、頭の中に引っかかっている。その子供が生まれてくるげき子供だったのだという思いがあるからだろうか。不思議な気持ちだった。
修平は、妊娠した子供が必ずしも生を受けなければいけないとは思っていない。生まれてきたことで、その人の運命は、薄幸のまま、長く生きられずに一生を終えることもあるだろう。そんな時、
――何のために生まれてきたんだろう?
と、まわりの人は感じるに違いない。
まわりの人から、どんなに不幸であっても、生まれてきたことを疑問に思われてしまっては、どうしようもない。修平は、そんな人こそ、生まれてくるべきではなかったと思うのだ。
だが、もし、その人が生まれ変われるのだとどうだろう? 今回生まれてきたことで、来世の運命がバラ色であるとすれば、今回生まれたことは、決して無駄なことではない。
「人間は、生まれることも死ぬことも選ぶことはできない」
という人がいるが、まさにその通りだ。
生と死をいくら本人であると言って選んでしまうことができるのだとすると、前世から来世へと続いていく一つの命の運命は、歯車が狂ってしまうことになる。まるで自分で自分の首を絞めるようなものではないか。
弥生は、自分の中で故意にりほという人間を作り出した。
弥生が自分の運命を知っていたかどうかは別にして、りほという人間を自分の運命を受け止めてもらうという、
「呪いの藁人形」
のような発想であろうか。
ただ、弥生がりほをそんな風に利用していたとは思えない。弥生の中の記憶としてりほが存在はしているようだが、本当のりほを理解しているのかどうか、疑問だった。
もちろん、弥生が今の自分の運命をりほに託すなどという気持ちでいるとは思えないが、人間の本能的なところで、りほをまるで人身御供にしてしまえばいいという、気持ちがあるのかも知れない。
それは、本人の意志としてではなく、客観的に見ていることで、他人事として見てしまえば、罪悪感という意味では、少しは薄れてくるだろう。
しかし、弥生に他人事という意識は感じられない。自分の中にある本能が考えたことを自分のこととして受け止めているのは事実のようだ。
作品名:「生まれ変わり」と「生き直し」 作家名:森本晃次