「生まれ変わり」と「生き直し」
「親戚の人がやってるお花屋さんを手伝っています。元々お花が好きだったし、前に少しは勉強もしたので、それを生かすことができて、よかったと思っています」
お店の小部屋での淫靡な雰囲気もよかったが、淫靡な雰囲気の中で、普段の彼女を無意識ながらに想像しようとしていた自分を思い出した。
――俺が彼女に感じていた癒しは、淫靡な彼女なのか、それとも、今目の前にいる彼女のような雰囲気を想像しながら感じていたものなのか、どっちなんだろう?
りほのことを多面的に見ていた自分を思い出したのだ。
「私、名前は弥生って言います。りほというのは、源氏名ですね」
「弥生ちゃんか、いい名前だね。三月生まれなの?」
「ええ、そうなんです。親がつけてくれた平凡な名前です」
と言って、少し俯き加減になった。
せっかく親がつけてくれた名前を変えてまで働いていた風俗。違う名前でお店に出ていたことを、少し恥じているのかも知れない。
「お店にいる時の弥生ちゃんから、いっぱい癒しをもらったと思っているよ。これからは、お互いに癒し合えたらいいな」
思わず、口説き文句になってしまったことに焦りを感じたが、口から出てしまったものは引っ込めるわけにはいかない。せっかく口にした正直な気持ちなのだから、その気持ちを大切にしながら、弥生とは正面から向き合っていきたいと思っている。
「私は、お店好きだったんですよ。あの狭い小部屋に一人でいる時間もあったんだけど、待ち時間がどれほどあっても、考え事をしていると、嫌な気はしなかった。もし、少しでも嫌な気分になっていたとすれば、私はあのお店では続かなかったと思うの」
「一人の時間って、僕も独特なものだって思うんだよ」
「私は、人と一緒にいる時間よりも、一人でいる時間の方が大切だって思っています。特に何かを考えている時というのは。必ず前を向いているんです。私は記憶の半分が欠落していると思っているんだけど、一人で考え事をしていると、他の人と同じなんだって思うんですよ。だから、りほでいる時も、本当の自分なんだって思っていました」
自分に対して、負い目があったり、働きながら惨めな思いを感じていたりすると、絶対に相手に癒しなど与えられるものではないだろう。そういう意味では、りほがイヤイヤ仕事をしているわけではないということは分かっていた。ただ、記憶の半分が欠落していると言っていたりほは、その欠落した部分が自分にとって必要なものなのか、いらないものなのかが分かっていないことで、たまに一人の世界に入っていくのが分かったような気がした。
りほが店の中で、それほど指名が多くなかったというのは、そのあたりの微妙なところが影響しているのかも知れない。
風俗に通っている男性は、自分に対しての疑心暗鬼が大きい人もいたりする。そんな人は、相手の女の子に自分を重ねてみたりすることがある。そのため、
「俺と重なってしまうと嫌だな」
と感じる。りほにそう感じた人も結構いたのかも知れない。修平は感じなかったが、りほを見ていて微妙だと思ったことは何度かあった。微妙だと思える分だけ、修平には気持ちに余裕があったのかも知れない。
今は、りほではなく、弥生ちゃんだった。ただ、相変わらず記憶の半分が欠落していることに変わりはないことが気になっていた。
「記憶の半分が欠落しているって言ってたけど、今も同じなの?」
「同じかどうかは、自分でも分からないんだけど、何が違うのか、説明ができないの。自分で理解できていないのに、人に説明なんかできるはずはないわ」
「そうなんだ」
「一つ言えることは、最近、欠落していたと思っている記憶が戻りつつあるような気がするの。まったく繋がりのないところから、湧いて出た記憶があるんだけど、それが欠落していた記憶だって思うの。その中で、あなたが出てきた記憶があったんですよ。今日、声を掛けたのも、私の記憶に出てきたその人が目の前にいたから、思わず声を掛けたんだけど、すぐにはそれが私がお相手した男性だと気付いたのは、あなたの表情を見てからなんですよ」
「というと?」
「最初、あなたは私に声を掛けようかどうしようか迷っていたでしょう? その時はすぐには欠落した記憶の中の人だって思わなかったわ。でも、私と目が合った時、私は声を掛けなければいけないって本能的に感じたの」
「どうしてなんだい?」
「あなたの目の中に、私の姿が写っている気がしたの。そして、頭の中での想像なんだけど、その私の目の中に、またあなたが写っていて……。自分の両側に鏡を置くと、果てしなく自分の姿を映し出すでしょう? まさにそんな感じなのかしら」
りほは、どこか神秘的なところがある女の子だと思っていたが、弥生ちゃんも同じだ。りほの時には、雰囲気だけで神秘的なことを口にすることはなかったが、弥生ちゃんと話をしていると、今まで見ることのできなかったりほの裏の部分を垣間見ることができるのではないかと思えてきた。いまさら、りほの裏の部分を垣間見たとしても仕方のないことだが、弥生ちゃんと向き合うには、りほの裏の部分を垣間見る必要があるような気がしていたのだ。
弥生の方も、修平をずっと見つめている。
自分がりほであった時を知っている人で、弥生に戻ってからの自分を知っている人は、修平一人だ。弥生からりほになった時のことを知っている男性はいたのだが、その人は、すでにりほの前にはいなかった。
「皆私が悪いんだ」
と、思っているが、後悔はしていない。
その男性は、弥生の表の部分しか見ていなかった。裏の部分を見ようとはしなかった。弥生がりほになろうと思ったのは、弥生自身が自分の裏を見てみたかったからだ。弥生に戻った今、弥生の裏の部分を見れたかどうか分からない。しかし、りほになってみて、修平がりほの裏側を見ようとしてくれたという意識はあった。修平がりほに癒しを感じたのと同じように、裏を見ようとしてくれている修平に、自分も癒しを感じていたのだ。弥生に戻った彼女が、修平に声を掛けたのは、そんな思いがあったからだ。
修平は、最初弥生を見た時、
――弥生が、りほの裏側なのではないか?」
と感じた。
そして、
――弥生がりほになったことを知ってた彼が、もし、りほの裏側を見たら、弥生が見えるだろうか?
弥生を最初から知っている人の立場から、同じ視点で考えた時、同じものが見えるかどうかを考えてみたが、修平には同じものが見えるとは思えなかった。
ということは、
――弥生が、りほの裏側だとしても、りほの側からその裏側を見ようとすると、見えてくるのは、弥生ではないような気がする――
と感じた。
一度変わってしまった環境の裏側というのは、もはや元には戻れないことを意味しているように思えた。りほの記憶が半分欠落しているのは、りほが、弥生の記憶を思い出そうとした時、環境が違っているのに、りほの目から弥生を見ようとしたことで、見えるはずのものが見えなかった。本当はそこにあるのに、見ている人がりほであったために、気が付かなかったと考えると、記憶の欠落の正体が分かってきた気がした。
そこまで考えてくると、
作品名:「生まれ変わり」と「生き直し」 作家名:森本晃次