「生まれ変わり」と「生き直し」
ただ、その時に、本当に立ち止まるかどうかというのは、修平自身の精神状態に委ねられる。やはり最後は、自分なのだ。
修平は、その女性を追いかけながら、
「さおりだと思っていたけど、何となく違うような気がする」
と感じた。
少しでも違うと感じると、もうその女性をさおりだとは思えなくなっていた。それなのに、修平は追いかけることをやめない。本当にさおりではないことを確かめたいからなのだろうか?
いや、そうではない。相手が誰なのか確かめたい気分でもあった。知っている人に思えてならないからだ。もし、その人が自分の知っている人だったとしても、修平に声を掛けるだけの勇気はなかった。もし、その人であれば、声を掛けた瞬間、間違いなく不愉快な表情をされるはずだという思いがあったからだ。
その人が不愉快な表情になるのは、振り返った時に目の前にいるのが修平だからではない。まったく知らない人であっても、声を掛けられた時点で相手は不愉快な気分になり、その気持ちを露骨に表に出す以外に、他の表情はその人には許されないものではないだろうか。
修平は、
「つかず離れず」
の距離を保っていたが、
「次第に離されてるのではないか?」
と感じるようになっていた。
近づいているはずはないと思っていたが、離されているとは思わなかった。ただ、相手の姿は小さくなっているわけでも大きくなっているわけでもない。そのため、
「離されているわけではない」
と、感じるのだった。
――そういえば、昔にも同じようなことがあったな――
あれはいつだったか。好きな人を思わず追いかけてしまったことがあった。
「これじゃあ、ストーカーじゃないか」
と分かってはいたが、自分では制止することができなかった。
「つかず離れず」
の思いだけを胸に、前を見ながら歩いている。
そんな時、不意に相手が角を曲がった。曲がる様子などまったくなかったのにである。
ビックリした修平はその角まで一気に走って近づき、こっそり、角から曲がった道を覗いてみた。
「何してるの?」
完全に相手に気づかれていたようだ。
修平は何も言葉に出すことができず、その場に立ち尽くしている。まるでまな板の上の鯉のように、修平にはその場を仕切る資格はまったくなかった。
修平は、相手に睨まれながらも、なぜか後悔はしていない。こうなることは最初から分かっていたような気がするし、
「やっと、自分では制止できない行動を、彼女が止めてくれた」
という意識が強かった。
どうして自分で、制止できなかったのかというと、この時のまな板の上の鯉のような状態に、自分で自分を追い込むことはできないからだ。いくら相手に睨まれたり嫌われたりしても、自分ができない制止をしてくれるのであれば、それも仕方がないと思うようになっていた。
もちろん、その時の彼女とはうまく行くはずもなく、最悪の形での結末を迎えた。
――きっと俺のことは、彼女の友達の間で噂になっているだろうな――
と思った。
彼女は友達も多く、彼女の口から洩れた悪評は、瞬く間に広がることだろう。それだけ彼女はまわりの信任が厚いようだ。
だが、逆の立場になればどうだろう?
自分が彼女に弱みを握られてしまえば、あっという間に、自分が悪者であることを宣伝されてしまう。それを防ぐには、彼女と関りにならないか、あるいは関わってしまったのなら、彼女を敵に回さないようにするしかない。精神的には完全な主従関係である。
修平の悪評は、想像通り、結構触れ回っていた。それ以降、友達ができることもなく、友達だった人も少しずつ離れていった。だが、考えてみれば、
「残った連中が、本当に一番自分との信頼関係を築くことができると思ってくれている人だけだ」
と思った。
少なくとも、親友だと言える相手であろう。その中からどんどん絞られていき、大学卒業前くらいには、やっと本当の親友ができた気がした。
ただ、卒業してしまうと、なかなか連絡を取り合うこともなくなった。何とも皮肉なことである。
修平は、さおりに似た女性を追いかけながら、かつてのことをいろいろ思い出していたが、追いつけないと分かると、もうそれ以上追いかけることをやめた。目の前を歩いているようで、なかなか追いつけないという思いは、もうしたくないと感じたからだ。ハッキリとした確信があるわけではないが、同じようなシチュエーションを夢で見たような気がして、結果として、追いついてしまったことを後悔したという意識があったからだ。修平は、その時、やっと夢から目が覚めたのかも知れないと感じた。
布団の中で目が覚めた時は、夢を見たという意識はあったのに、どんな夢だったのか、まったく覚えていない。ということは嫌な夢ではなかったのだろうが、後悔する夢だったようだ。
今までにも思い出せない夢を楽しい夢だと位置づけていたが、本当は、
「怖い夢以外だ」
という意識を持つのが正解なのだと、その時に感じたのだ。
以前から、似たような気持ちになったことはあったが、どうしても考える時は目が覚めた意識が曖昧で、朦朧としている時なので、確証というには程遠い感覚だったのだ。
追うのをやめて、踵を返して元来た道を歩き始めた。振り返ることもなく、ひたすら歩いた。
それでも、どうしても気になってしまうからなのか、正面をまともに見ることができなかった。
さっきまで歩いていた道だという認識はない。初めて歩いた道ではないはずなのに、まるで知らない道を歩いているような気分になっていた。
確かに同じ道でも、普段と違う時間帯に歩くと、まったく違った道に感じるということはよくあることだ。よく歩く道だけに、知らない時間帯が想像もつかないからだろう。この道は、学校に行く時に使っていた道だった。彼女を追いかける時は帰り道になるので、夜ということも珍しくはなかったが、逆の道は、学校に出掛ける道なので、夜はほとんど考えられなかった。そういう意味で、まったく知らない道に思えてきたとしても、それは仕方のないことに違いない。
夜に歩くと、昼間よりも、道も広く感じるし、空間も余裕があるように思えた。逆に言えば、幾何学的な区画された感覚にはならないということでもあった。
一つ考えられることとして、
「夜には影がないからだ」
ということが言える。
昼間には、太陽の角度によって、影が根元から靡いている。陰の太さや影の濃淡によって、どれほどの広さがそこに広がっているかということは、想像できる。
しかし、影のない夜だと、街灯の明かりや、家から洩れる明かり、さらには、車のヘッドライトなどのような、固定的なものではないため、影ができたとしても、それは流動的である。
それを感じさせないようにすると、すべてが影に見えると思わなければ、不気味な感覚から逃れることはできない。修平はそのことを子供の頃から分かっていたはずなのに、そのことを敢えて考えようとはしなかった。
「夜の感覚は曖昧である」
ということを、理論づけて考えることをしなかったのだ。
当然、影について考えることもない。
「慣れてくれば、そのうちに距離感もつかめてくるさ」
と、考えていた。
作品名:「生まれ変わり」と「生き直し」 作家名:森本晃次