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「生まれ変わり」と「生き直し」

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 いずれは、どこかのお店で童貞喪失のつもりだった。最初から、その日に童貞を喪失するつもりではなかった。そういう意味でも、その日が特別だったという意識もなければ、喪失した感想も、
「こんなものなんだ」
 と、感動に値するようなものでもなかった。
「最初はそんなもんさ」
 と、童貞喪失をただの通過点だと言っていたやつがいたが、結果として、修平の意識もただの通過点に収まってしまった。
 相手をしてくれた女性は、年齢が三十歳を超えていた。最初、店に入った時、右も左も分からずに、いきなり飛び込んだこともあって、店の人から一発で、
「こいつは、初めてだ」
 と、看破されてしまった。
 店の人と目を合わすことができず、挙動不審はいかんともしがたく、まるで、
「まな板の上の鯉」
 のような状態だったのだろう。
「どうとでも料理してください」
 と見えたようで、店の人は、すぐに相手を決めてくれた。
 後から聞けば、その人は、店の人が風俗初体験の人だと思うと、その人をあてがうようにしていたようだ。相手をしてくれたその人は、ただ優しいだけではない。指摘するところもしっかり口に出してくれる。まるでお母さんのような雰囲気の女性だと、最初に相手をしてもらった男性はそう感じるようだ。
 修平は、母親のような存在だとは思わなかった。どちらかというと、学校の先生のイメージだった。高校時代に好きな先生がいて、その先生のことが好きだったということを、なるべくまわりに知られたくないという思いが、好きだという意識よりも強くなってしまったため、告白すら考えられなかった。
「ただ、遠くから見つめているだけでいいんだ」
 と、思っていたが、いつの間にか先生は辞めることになっていた。
 円満退職ではない。理由については、先生の口からも聞かれなかった。その代わり、いろいろな噂が乱れ飛んでいた。
「生徒の親と不倫していた」
 あるいは、
「先生が付き合っている男性が悪いやつで、学校を脅迫した」
 などと、ロクな噂ではなかった。
「どれもウソに決まっている」
 と、思っていたが、そう思えば思うほど、そのどれもが本当のことに思えてきた。
「真実は一つなのに」
 と、
「すべて本当のことなのか、すべてウソなのか」
 と考えているとすべてが本当であるなどありえない。そう思うこと、すべてウソだという希望通りの答えが導き出されることに、修平は満足していた。
 しかし、それは勝手な思い込みだということは十分に分かっている。自分がここまで理論的なことを考えることができるのか。そして、そんな理論的な考えばかりが先行してしまう自分が、真実から必死に目を逸らそうとしているのだということを分かっているということが、寂しかった。
 それから、ずっと先生のことは自分の中で考えることをタブーとしてきた。まわりも先生の話題は、敢えて触れないようにしていた。自他ともに、先生の存在すら否定しようとしているのだ。
 先生は国語の先生だった。先生を見ていると、今風の服装よりも、着物が似合うような雰囲気の先生で、まだ短大を卒業してすぐくらいだったので、そのギャップが、修平には魅力だったのだ。
 大正ロマンの喫茶店が気になったのも、この店を選んだのも、先生のイメージが頭の中にあったからだ。
 先生のことは、忘れなければいけないのだと、自分で自分に言い聞かせた。
 なぜ忘れなければいけないのかという理由は分からない。むしろ、
「理由なんか関係ない」
 と思うくらいだった。
 ただ、理由が分からない方が神秘的だった。
「先生には、いつまでも神秘的でいてほしい」
 先生が辞めることになる前から、ずっとそう思っていた。それが辞めることになって願いが叶うとは、実に皮肉なことである。
 先生の神秘性は、普段は意識することはなかった。
 ふとした時に思い出す。そんな先生の思い出を抱くようになって、他の思い出が薄れて記憶されるようになったことを、修平はしばらく気づかなかった。
「俺って、記憶力がないのかな?」
 と、単純に思っていた。思い出が薄れて記憶されるというのは、記憶力だけの問題ではないことは、今でも分からない。元々思い出というのは、自分が忘れたくないという意識があるから思い出になるのだと思っているからだ。
 もう一つ言えることとしては、
「思い出の上に思い出が重なることで、前の思い出が、上書きされてしまう」
 という意識だった。
 意識に対しての記憶だけではない。実際に人の顔を覚えるのも苦手だった。就活の時から営業職を選ばなかったのは、人の顔を思えるのが苦手だという意識があったからだ。
 営業職で、人の顔を覚えられないというのは致命的だ。そして、相手の顔を忘れないようにしようという意識が強まると、今度は肝心な話の内容までも曖昧な記憶になってしまい、結局どっちつかずで何も得るものがない状態になるという最悪の結果を招くに違いない。
 人の顔を覚えられない理由というのは、自分でも分かっているつもりだ。そのことがどうして分かったのかというのは、ハッキリとした意識はないが、その原因が夢にあるということだけは、自分の中で確かなことだとして認識していた。
 夢というのは、目が覚めるにしたがって忘れていくものだ。特に楽しかった夢というのは、目が覚めてしまうと、ほとんど覚えていない。
 しかし、考えてみればおかしなものだ。
「目が覚めてから覚えていないのに、どうしてその夢が楽しい夢だったということが分かるというのだろう?」
 それは、夢から覚める瞬間が、
「ちょうどいいところで目が覚めてしまった」
 という意識だけが残っていて、そのことが悔しく思えるからだった。
 楽しい夢だからこそ、ちょうどいいところで目が覚めてしまったことが悔しいのだ。怖い夢だったら、
「目が覚めてよかった」
 と思うはずだ。
 しかも、怖い夢を見た時というのは、目が覚めるにしたがって忘れていっているはずなのに、印象として残っている。きっと、残った印象よりも、さらに強いインパクトの夢を見たのだろう。そう思うと、
「目が覚めるにしたがって覚えているか覚えていないかという基準は、夢で感じたインパクトによるものに違いない」
 と思うのだった。
 修平は、自分が人の顔を覚えられなかったり、思い出を思い出せなかったりするのは、最初はいかにインパクトが強くても、時間が経つにつれて、次第に色褪せてしまうことを自覚しているからに違いない。
 修平が覚えていることといえば、本当に怖い夢ばかりだった。特に、
「もう一人の自分」
 が出てくる夢が一番怖い夢であり、しかも、怖い夢として鮮明に記憶に残っている夢のほとんどは、もう一人の自分が絡んでいたのだ。
 もう一人の自分、それは、同じ夢の中でも、夢を見ている自分と、夢の中の主人公である自分がいて、時々立場が入れ替わっている。さっきまで夢を見ている自分だったはずなのに、いきなり主人公に変わっている。現実ではありえないこととして、強いインパクトとともに、恐怖が沸き起こってくるのだった。
 現実の世界でも、子供の頃から、
「誰かに見られている」
 という気配を、時々感じることがあった。