「生まれ変わり」と「生き直し」
大切な人を事故で亡くし、その人の子供を宿している。そんな彼女の波乱万丈な人生に興味があった。
――中途半端な気持ちで関わると、自分にも彼女にもいいことはない――
という思いを抱いていたはずなのに、もし再会することができれば、簡単にそのまますれ違っていくようなことは、自分にはできないと思っている。
さつきとの会話は実に中身の濃いものだった。すべての出会いや別れが、あの時の話の中に凝縮されていたかのように思えるほどで、考え方は微妙に違っているような気がしていたが、それくらいの方が、お互いに今まで理解できなかったところを、理解できるようで、他の人には言えないような話を、お互いにしあえるような、そんな関係が出来上がったに違いない。
さつきとはそれからも時々会うことを約束して、その日は別れた。昼間の博物館での絵を凝視している時のさつきと、喫茶店で、お互いの顔を真剣に見つめ合うように会話している時のさつき、横から見るのと正面から見るのとではまったく違って感じられるが、目を瞑って思い出すと、同じ表情に思えてくるから不思議だった。その思いをずっと抱いたままさつきのことを思い出してみると、時々、その表情が影に隠れてしまっているかのように見える。その表情には笑顔が浮かんでいるはずなのだが、自分が知っている笑顔ではない。そう思うと、さつきとの出会いは、何か他の出来事を暗示しているかのように思えて仕方がない。
それがいいことなのか、悪いことなのか分からない。たぶん、今目の前で暗示している出来事が起こったとしても、すぐには判断がつかないに違いない。それでも、起こった瞬間は、ドキドキワクワクしているであろうことは想像がついた。
さつきと再会してから、三か月が過ぎようとしていた頃のことだ。新入社員が入ってきて、仕事も教えられる側から教える側になったことで、仕事量は結構増えた。
最初の二か月ほどは、毎日が仕事に追われ、ストレスが溜まりまくっていた。落ち着いてきたのは梅雨前で、湿気が生暖かさを運んでくる時もあれば、まだまだ冷たい雨が降る日もあった。晴れた日は貴重で、
「また、すぐに雨が降るんだ」
と、ネガティブな発想になりながら、貴重な晴れの日には、ストレス解消を心掛けていいた。
この時期というのは、今までは静かなものだった。雨が降ることもあり、行動範囲は限られる。なかなか出会いもなければ、どこかに出掛けるにも億劫だったりする。
「どうして、精神的に落ち着いてくる時期が梅雨と重なってしまうかな?」
と、季節の巡りに対してなのか、自分の性格に対してのものなのか、ただ、自問自答を繰り返すだけだった。
修平は、裕子と別れてから一人になると、
「一人を謳歌したい」
という願望と同時に、
「自分の欲求不満はため込みたくない」
という思いを抱いていた。
特に性的欲求に関しては、我慢するつもりはない。
「彼女ができないのなら、風俗で楽しもう」
という考えも芽生えてきた。
本当は、高校の頃から風俗には興味があった。テレビドラマなどで、大学に入学してから童貞の男は、サークルの先輩に連れていかれて、
「オトコになる」
という場面をよく見た。
同級生で同じように童貞の連中は、
「やっぱり、好きな女性としたいよな」
と、風俗でオトコになることを拒否しているような言い方をしていたが、本当は、その場面を真剣に眺めていたように思う。
修平も同じように真剣に眺めていたが、まわりの連中と違って、拒否するような言い方はしない。否定も肯定もしないのは、大体は多数決の方に意見が寄っているからだが、この場合は否定である。しかし、修平は否定しているわけではない。そう思うことで、まわりの連中が否定的な言い方をしても、それは本心からではないということを見抜いていたのだ。
修平が最初に風俗に行ったのは、大学の先輩に連れて行かれたのではない。表向きは、
「大学の先輩から誘われて」
と言っていたが、本当は一度一人で出かけたのだ。
目的は童貞喪失。それさえできればいいと思っていた。実際に童貞喪失した時の感動は、思ったよりも心に残った。
「ひょっとすると、好きな人とするよりも、刺激的で印象深いのかも知れない」
と思ったが、その思いは半分本当で、半分はよく分からなかった。少なくとも、完全否定をすることはなかった。
ただ、セックスと恋愛とは、切り離して考えることはできなかった。確かにストレスが溜まり、性的欲求を解消するには、セックスが必要なのだが、その場合のセックスと、恋愛においてのセックスと、どこが違うというのだろう? そう思うと、自分の考えていることと行動とが矛盾しているような気がしてきた。
「きっとこの思いが、風俗からの帰りに感じるという罪悪感だったり、後ろめたさだったりするのかも知れない」
だが、修平にはその感情はなかった。
初めて行った童貞喪失の時も、それ以降も別に罪悪感を感じることはなかった。
修平は、自分の欲求は本能から来るものだと思っていることで、罪悪感を感じることはないのだと思っている。本能とは、自分の意志に従うものでない。いわゆる、
「仕方のない」
とも言える感情だ。
修平は、本能に関しては特別な思い入れがあった。だからこそ、さつきと再会した時の会話で、マンネリ化と連鎖反応の話をした時、人の意志のかかわりについて、話をすることができたのだ。
本能について考えている人は修平だけではない。同じように本能に特別な感覚を抱いている人間が、大学時代の友達の中にいた。
しかし、彼は本能をあまりいいイメージで抱いてはいない。
「野性的な感覚が、人間にしかない理性を凌駕し、せっかくの進化を、退化させてしまうことに繋がりかねない。本能も必要だと思うが、決して理性よりも強くなってはいけない。その瞬間に、理性は凌駕されてしまい、人間としての自覚を失ってしまうことになりかねない」
と言っていた。
だが、修平は、
「そんなことはない。人間だって動物なんだ。人間が動物に勝っているところは理性くらいだろう。それ以外は動物に劣っている。だから君は、理性が一番強いと思っているのかも知れないけど、同じ本能でも、動物のものと人間のものとでは違う。人間は理性によって平衡感覚を保っているのだろうが、それはある意味、もろ刃の剣のようなものではないんじゃないかな? そう考えると、本能こそが人間にとって一番大切なものではないかと思うんだ。理性はあくまでも、それを抑えるための媒体でしかないという考は、危険なんだろうか?」
と言い返した。
答えの出るはずのない会話であることは分かっているが、お互いに主張が違っているだけに、意見を聞くというのは大切なことだ。幸い友達も修平も、相手の話を聞く耳を持っていることで、会話も発展性のあるものだった。もっとも、そんな間柄だからこそ、友達として付き合っていけるのだろう。
修平が通うようになった風俗は、大正ロマンの漂う雰囲気を醸し出しているような店だった。大正ロマンというと、大学の近くにあった喫茶店を思い出す。最初にその店に入ったのは、衝動的だった。
作品名:「生まれ変わり」と「生き直し」 作家名:森本晃次