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「生まれ変わり」と「生き直し」

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 修平は、津和野よりも萩の方が好きだった。歴史的にも幕末から明治維新にかけての書物を読むのが好きだった。明治の元勲と呼ばれる人たちの原点がここにあるのだと思うと、感慨もひとしおだった。
 レンタサイクルを借りて、市内観光をするというのが一般的で、修平も同じようにレンタサイクルを借りての観光をしていた。以前にも来たことがあったので、地図はいらない。ただ、前に来た時よりも幅広い書物を読んできたので、同じ観光ガイドブックであっても、今度は見方が違ってくる。今回は、以前持ってきたガイドブックとは違うものを持ってきて、
「初めてきた感覚を味わいたい」
 と思ったのだった。
 それでも以前の記憶を消すことはできないので、今回の観光と頭の中でかぶってしまった。それはそれで新鮮な気がして、楽しいものだった。
 以前回ったコースとは逆のコースから回ってみた。以前は先に松下村塾を巡り、それからゆっくりと武家屋敷を巡りながら、城址公園に向かって観光した。今回は、その逆コースを取ってみた。
 さすがに松下村塾のあるあたりは、毛利家代々の墓があったりと、見るところが多いせいか、観光バスも数台止まっていた。修学旅行の季節でも、社員旅行の季節でもないのに、賑やかなことである。本当に修学旅行や社員旅行の季節だったら、駐車場は満杯になっていることだろう。
 以前来た時は、ここで結構時間を費やした。そのために、城址公園では早めに回ったため、武家屋敷ではゆっくりと廻った。今回逆コースにしたのは、城址公園をゆっくり見て回りたいという思いがあったのと、実はもう一つ理由があった。今回の旅の目的の一つには、その理由が大きく関わっていたのだ。
 午後一番くらいで城址公園に入り、萩焼の工房を回ったりと、ゆっくりとした時間を過ごした。何か見たいものがあったというわけではないが、城というものに感慨深さを感じる修平には、建物が残っていなくても、そのいで立ちを想像するだけで、ワクワクするものがあったのだ。
 海に突き出したようになっている城址は、海を真ん中に見ると、壮観に感じた。平城や山城とはまた違ったおもむきがあり、見ていても飽きなかった。特に海面に浮かぶ城壁は、軍艦にも見え、爽快感があった。
 沈みゆく夕日を見ていると、城址に後光が差したかのようにも見えた。その日は寒かったせいもあってか、雲が厚く空に立ち込めていたが、それでも夕日が差す時間には雲はほとんどなくなっていて、まるで自分のために雲が消えてくれたのではないかと感じるほどだった。
 傾く夕日を見ていると、時間がいくらあっても足りないと思えるほどだったが、修平が今回萩を訪れたもう一つの理由を思うと、そうもゆっくりはしていられなかった。
 萩という街は、夏みかんが有名な街でもあった。民家や武家屋敷跡などを見て歩いていると、夏みかんの木が植えられているのをよく見かけた。
「小さい頃を思い出すな」
 と思うのだったが、修平の子供の頃に育った街で、夏みかんの木が植わっているところなど見た記憶がないのに、なぜか、萩に来て夏みかんの植わっているのを見ると、小さかった頃のことが懐かしく感じられるのだった。
 修平は、萩城址から少し駅に向かって自転車を走らせた道すがら、一軒の喫茶店があるのを知っていた。以前来た時も立ち寄ったのだが、その時はそれほど長居をしなかった。次の観光地が気になっていたというのもあったが、何となく息苦しさを感じたからだった。
 その時感じた息苦しさは、地元に帰ってきてからも、しばらく感じることがあった。時たま感じるだけで、しかも時間的にはあっという間のことなので、それほど気になるものではなかったが、その原因がどこから来るのか分からないという思いと、以前にもどこかで味わったことがあるという思いとが気持ち悪さという点で頭の中に残ったのだ。
 萩で感じてから、そんなに時間も経っていなかったはずなのに、どうしてその時思い出せなかったのか、今から思えば不思議なことだ。今回、旅行先をどこにしようかと考えていて、思い浮かんだ萩の街を思い浮かべた時、
――何か違和感があるな――
 と感じたが、それが、以前感じていた息苦しさと連結していることに、その時は比較的すぐに気が付いた。
「そうだ。夏みかんの匂いだ」
 夏みかんの香りは、以前から嫌いではなかった。むしろ柑橘系の匂いに大人の香りを感じるようになってから、萩に旅行に行くと決めて、観光ブックで下調べをしている時に、夏みかんが有名なのを知り、楽しみにしていたくらいだった。
 実際に、夏みかんの木が植わっているのを見て、懐かしさを覚えたり、夏みかんジュースを飲んで、新鮮な味が好きになったりした。それなのに喫茶店で夏みかんジュースを飲みながら、どこか息苦しさを感じたのは、理由が他にあると感じた。
 ただ、その理由が何であるか分からない。夏みかんの匂いだということに気づいたのは、就職も決まって、あまり立ち寄ることのなかった大学に出かけたその帰りだった。
 学校から駅に向かっての帰り道、そのことに気が付いた。登校途中でどうして気づかなかったのか分からなかったが、夕方近くになって学校を出た時、その匂いに気が付いたのだ。
 大学の正門を出てから駅に向かって歩き始めてすぐのところに、その家があった。
 立派な門構えのある家で、門からはまるで武家屋敷のような塀が繋がっていた。
「かなりな金持ちの家なんだろうな」
 門構えは意識していたが、そこから連なる塀を意識することはなかったが、その途中で夏みかんの匂いが感じられた。その時に息苦しさはなかったが、以前に感じたほど、懐かしいと思えるような香りではなかった。
 以前、感じた時よりも、どこかサッパリとしていた。そのため、息苦しさを感じることはなかったのだが、そのせいなのか、懐かしさを感じることもなかった。
 懐かしさというのは、必ずしもいい思い出だと言い切れないだろう。その時に感じた懐かしさに思い出というような物語的なものはなく、漠然とした懐かしさだったのだ。
「懐かしさが運んでくるものに、風のようなものを感じる」
 風が匂いを運んでくると思っているのだが、夏みかんの香りの中に、
「風が運んできた匂いが混ざり合うことで、俺が感じる懐かしさに結びついているのかも知れない」
 そういえば、萩で感じたあの時も、風が吹いていた。冷たさばかりが気になってしまい、他に何かを感じたとしても、すぐに意識の外に外れてしまっていたことだろう。
 ただ、その思いは、
「萩という街、独特のものだ」
 という意識も半分あった。
 萩という街に限ったことではないという思いはもう半分あり、それは、
「歴史を感じさせる街だからだ」
 という思いであった。
 その歴史が、血で血を洗う過去の時代という意識を強く持っていたことで、吹いてきた風に、生々しさを感じていたようだ。
 そこまで感じると、夏みかんの匂いを感じた時の違和感が、
――血の匂い――
 であったことに気が付いた。
 血の匂いを感じたのは、今までで何度もあった。
 一番最初に感じたのは、子供の頃だった。あれはまだ小学校に入学する前だったくらいのことで、友達の家に遊びに行った時のことだった。