「生まれ変わり」と「生き直し」
「ずっと何もないからといって安心していると、急に襲ってくることもあるから、普段から気を付けておく必要があるんだ」
という話を聞いたばかりだった。
もちろん、学校側も警察も分かっていることだろう。何しろ大人のすることなのだから、子供にも分かることくらい、分かっていて当然である。
もし、変質者がずっとこの街に潜伏していたとしたら、一度騒ぎを起こせば、ほとぼりが冷めるまで、何もしなければいいと思うだろう。そして、ほとぼりが冷めた時に、また行動を起こす。何度も同じことを繰り返していれば、警察の威信にも関わることなので、警察も全力を尽くすのだろうが、このイタチごっこ、本当にずっと続いていくのだろうか?
だが、今回の変質者は、無事に捕まった。これだけ警戒が厳しいにも関わらず、性懲りもなく、子供を呼び出して悪戯しようとしたのだった。
小学六年生のお姉さんがその被害者で、公衆トイレに連れ込まれるところを見ていた人が、警察に連絡して御用となった。時間的にそれほど経っていたわけではなかったので、女の子が受けた被害は最小限度に留められたようだが、精神的なトラウマは、確実にその女の子の中に残ってしまったようだ。
警察からは事情聴取を受け、マスコミから囲まれることもあったようだ。それまで明るかった女の子が、人と目を合わせることをしなくなり、次第に学校にも通わなくなった。時の人として担がれた代償は大きく、最後は逃げるようにして、家族で街を離れていった。今から思えば、絵に描いたような被害者の悲劇なのだが、あの頃の修平も、そして家族も、皆、彼女を担いだ一人だった。
「そういえば、一年前まで一緒に通学していたお姉さんが人知れず引っ越していく前も、同じような雰囲気だったような気がする」
小学三年生のあの頃には分からなかったことだったが、四年生になり、しかももう一度同じように晒し者にされて、逃げるように去って行ったお姉さんの姿が一年前の記憶とダブってしまい、
「お姉さんは、どんな思いでこの街を去って行ったのだろう?」
と思うようになった。
お姉さんが変質者に悪戯されたかどうかはハッキリとしないが、少なくとも、理由が分からないだけに、修平の中の最大の謎として残ったことで、
「今後、どんなに女性を好きになっても、お姉さんに感じた永遠の思いよりも強いものはないかも知れない」
と感じた。
理由が分からないということは、永遠という言葉を使うことができる唯一の手段であり、後戻りできないという意識を今後何度思っても、最終的に、気持ちはここに戻ってくることになるに違いない。
修平は、その時のお姉さんの顔を、
「永遠に思い出すことができなくなったような気がする」
と思っていたが、ある時、一度ハッキリと思い出したことがあった。
それは夢にお姉さんが出てきた時のことであって、夢から覚めても、その表情は頭から離れなかった。
しかし、それは一時期のものであり、二日もすれば、また完全に忘れてしまっていた。今度こそ、永遠に思い出すことはできないと思ったが、定期的に彼女の顔を思い出すことようになった。やはり彼女が夢に出てくるからだった。
夢の中では、修平は小学三年生である。しかし、夢を見ている修平は、自分が大人になって、大学に通っているという意識はあった。それなのに、夢の主人公としての自分は小学三年生で、夢に出てくる彼女は、小学六年生の「お姉さん」なのだ。
「これが夢というものなんだ」
夢の中の主人公である自分と、夢を見ている自分がまったく別の自分だという意識を持った時、目を覚ました時も、夢の内容を完全に忘れることはないのだと思うようになっていた。
その時のお姉さんの表情は、何とも言えない顔だった。助けを求めているように見えるにも関わらず、近づこうとすると、逃げ腰になってしまっているような表情。一貫しての怯えの表情に変わりはないが、見られたくないという思いが恥じらいを呼び、修平の方も助けてあげたいという思いとは別に、苛めたいという気持ちも分かる気がして、もし目が覚めるきっかけを自分から持ったのだとすれば、その気持ちに驚きを感じることで、目を覚ましてしまったのかも知れない。
怯えている相手に対して、助けなければいけないという感情とは別に、苛めたいという感情があることが自分の中にもあると知った時、
「オトコなら、誰だって同じような感情を抱くものなのかも知れない」
と感じた。
自分が苛めたいと思ったことに対しての、自分なりの言い訳なのだろうが、こう思うことは、
「誰でも変質者になる可能性がある」
ということを示唆していた。
いくら自分の感情に対しての言い訳で感じたこととはいえ、自分の首を絞めるような結果になってしまったことは、
「自分の中で隠し通せることを表に出してしまうと、現実的に自分で自分の首を絞めることになる」
ということに繋がってくる。
夢というものを甘く見ていると、このような連鎖をこれからも生まないとは限らない。なるべくなら、夢の内容は、目が覚めるにしたがって忘れていってしまいたいものだと思うようになったのはこの時からだったが、忘れたくない夢さえも忘れてしまうようになった。
いや、実際には、忘れたくない夢は忘れてしまい、忘れてしまいたい夢は、えてして中途半端に覚えていたりするものだった。
中途半端な思い込みは、ロクな結果を生まないという教訓のようなものなのかも知れない。
お姉さんの記憶を思い出すたびに、その表情には微妙な差があった。そのせいで何度も思い出すたびに、次第にお姉さんの本当の顔がどんな感じだったのかということを忘れてしまっていた。
記憶を曖昧にしたのは、自分の中の不安定な精神状態のせいであると思っている。したがって、完全に昔の顔が分からなくなってしまったのも、修平自身のせいだった。
「夢なんか見なければよかったのに」
夢を見ることによって、忘れたくないという意識が強くなり、
「いつまでも忘れないように、時々思い出すようにしたい」
という思いが、夢を見させたのだろう。
しかし、その思いは、忘れたくないという思いに付属してのものであって、絶対に持っていなくてはいけない思いではなかったはずだ。ここにも中途半端な思いが存在し、余計な思いを抱かせることで、結果的に最悪の結果を招くことになったに違いない。
修平は後悔していた。
後悔してもどうしようもなかったが、後悔をしなくなると、今度はお姉さんに対して感じていた、
「忘れたくない」
という気持ちまでも、忘れ去ってしまいそうに思うのが怖いのだ。
後悔しても始まらないが、後悔を終わらせることで、忘れたくないという思いを断ち切ってしまうことになるのであれば、後悔は自分にとって、必要不可欠なものであっても仕方のないことだと思うようになっていた。
だが、修平は、お姉さんのことで何を一体忘れたくないと思っているのだろう?
作品名:「生まれ変わり」と「生き直し」 作家名:森本晃次