「生まれ変わり」と「生き直し」
そのまま深い眠りに落ち込んでいくのが分かった。今までであれば、どんなに睡魔に襲われようとも、眠りが深まっていく過程が分かるということはなかった。その日は眠りに就いていく様子が手に取るように分かり、夢の世界から、手招きされているような感覚に陥っていた。
「その時点で、すでに夢の中だったんじゃないか?」
とも感じたが、
「考えてみれば、夢を覚えているというのは本当に珍しいことで、もし覚えていたとしても、夢の最後は必ずボヤけているものだ。今日の夢は、目が覚めてもしっかりと覚えている。ということは、眠りに就いているという意識は、夢の中で感じたものではないということなのかも知れないな「」
と考え直した。
その時の目覚めは、意外としっかりしていた。
いつも目覚めの悪い方である修平は、完全に目が覚めるまでに五分は掛かっていた。
「まだまだ寝ていたい」
というもう一つの心が、そう自分に語り掛ける。それを押して目を覚まそうとするのだから、五分くらいかかっても仕方のないことだろう。
だが、その日は気が付けば目が覚めていた。
「まだまだ寝ていたい」
という心の声は聞こえなかった。逆に身体の気持ち悪さが先に来て、
「早くシャワーを浴びたい」
という声が聞こえた。
最初は分からなかったが、その声を聞いてから身体に気持ち悪さが残っていることに気が付いた。
ひょっとするといつも目覚めが悪い時も、本当は目覚めたいという心の声よりも先に、
「まだまだ寝ていたい」
という声が先に聞こえてきたために、その誘惑に打ち勝つための時間が必要だっただけなのかも知れない。
心の声というのは、いつも二つあって、その時々で違っていて、シチュエーションや精神状態の違いが大きな影響を与えているのだろう。そして、最初に出てきた声が心の声として自分の意志だと思い込み、その時に葛藤が生まれるのは、
「本当の心の声と違っているからではないか?」
と感じたとしても、それは無理もないことだ。目覚め一つを取ってもそうなのだから、毎日刻々と変化する日常では、無数の心の声が響いているのかも知れない。この日、一気に目が覚めたというのは、心の声と本心とが一致していたからではないだろうか。
ただ、もう一つ感じるのは、
「最初に感じなかった方の心の声は、最初に感じた心の声のせいで、記憶にも残らないものなのだろう」
ということだった。
今までにも目覚めがよかったこともあったが、そのほとんどは、熟睡できていなかったからであって、眠りが浅いのだから、すぐに目が覚めて当然というものだった。
身体に汗を掻いていたわけではなかった、いつ汗を掻いても無理もない状態だったような気がする。そう思って時計を見ると、まだ深夜の二時だった。
「草木も眠る丑三つ時」
とはよく言ったもの。しかし、今までにも修平は深夜の二時に目を覚ますことは珍しくなかった。だが、こんなに目覚めのよいことはなかった。いつもは目を覚ましても、そのままもう一度眠ってしまうことが多く、目が覚めると、
「夜中に目を覚ましたような気がする」
という程度にしか覚えていない。この時のような目覚めのよさは初めてだったが、その理由が、
「身体が気持ち悪かったから」
というのも皮肉な気がして思わず苦笑いをしてしまった修平だった。
昨日寝る前にシャワーは浴びていたが、今日は風呂に入りたい気分になっていた。この宿には露天風呂があり、深夜もやっているという話を聞いた。さすがにこの時間だと誰もいないと思い、浴衣姿で露天風呂に向かった。深夜ということもあり、もう少し寒いかと思ったがそうでもなく、露天風呂の脱衣所に到着するまで、浴衣だけでちょうどよかった。
露天風呂には、先客はいないと思っていたが、一人だけいるようで、脱衣かごに浴衣がぞんざいに置かれていた。だが、物音がするわけではなく、人の気配も感じられなかった。
それでも中に入ると、一人の男性がいるようで、湯けむりがシルエットになり、顔は確認できないが、確かにそこに誰かがいるのは間違いない。その男性は修平に気づかないのか、微動だにする様子もなく、動かないシルエットだけが湯けむりに浮かんでいた。
なるべくその男性を意識することなく、修平は手前の方に入った。その日の疲れが一気に吹っ飛ぶような感覚に、睡魔が襲ってきそうな感覚があった。手で湯を肩に掛けたり、タオルで顔を洗っているだけで、幸せな気分になれるのは、自分の気持ちよさを邪魔する何もそこには存在していなかったからだ。
シルエットの人物が気にならないと言えばウソになるが、温泉に浸かりながら、一人誰にも邪魔されずに幸せを感じることができるのは本当だった。不気味な感じはしていたが、自分が幸せを感じるのに、その人の存在が障害にならなかった。自分の気持ちがそれだけ自然に調和できている証拠なのか、それとも、その男性が気配を消すことのできる人だということなのか、修平にとって、どちらであっても、真夜中の温泉が新鮮であることに変わりはなかった。
男性はシルエットだけで、相変わらず気配を感じることはできない。まるで幻を見ているようだが、
「それならそれで構わない」
と思うようになった。
さっきは、ここまで来るのに寒さを感じなかったと思っていたが、温泉に浸かり、身体が芯から温まってくるのを感じると、寒くないと思ったのは、布団の中で温めてきた自分の身体にまだ温もりが残っていたからなのかも知れない。そう思うと今身体に沁み込んだ温かさは、温泉によるものであり、やっと昨日の疲れが取れたのではないかと思えるのだった。
修平は十分温まると、温泉を出て、部屋に戻った。それまで誰も温泉から出た様子もなく、それ以前に、シルエットの人物の気配すら感じなかった。シルエットはまだ湯けむりに包まれていたが、修平はそれに構うことなく浴衣を着て、さっさと自分の部屋に引き上げてきた。
今度は、温泉で感じた睡魔とは少し違った睡魔が襲ってきた。さっきまで寝ていた布団に身体を戻すと、一気に眠りに就いてしまうであろう。実際に布団に潜り込んでからの記憶はほとんどない。気が付けば、窓の外から、朝日が差し込んでいた。
温泉から帰ってきて、布団に潜り込んだところまでは覚えている。そして、徐々に眠りに就いていく自分の意識もあるのだが、目が覚めた時、窓から差し込んでくる朝日を見た時、どこか違和感があった。
「えっ、もう朝なのか?」
深夜に温泉に浸かり、身体に十分な温かさを宿したまま、心地よさに身を任せ床に就いたのだ。当然熟睡していたと考えてもいいだろう。そうであるならば、目が覚めて朝だったことに違和感を感じるなど、考えにくい。一体どうしたことなのだろう?
修平は、そんな自分が深夜に目覚めたことの方が不思議だった。目が覚めた時、夜中に起きたという意識がないほどの熟睡だった。夜中に目を覚ましたのであって、熟睡状態だったのなら、朝目を覚ました時、もっと寝ぼけていてもいいはずだ。
作品名:「生まれ変わり」と「生き直し」 作家名:森本晃次