短編集16(過去作品)
夢が潜在意識の成せる業だとするならば、現実あっての夢を見ている以上、夢を見ていることを認識しているのならば、想像以上のことはないはずなのだ。
もちろん、個人差はあるだろう。私に限って言えば、夢とは現実と切り離して考えられないものだった。
それにしてもリアルな夢である。
罵声も耳の奥にこだましていて、鼓膜を刺激しているかのような妙な感覚を覚える。
――もしあの時、りえをモデルにして絵を描いていたら――
そんな思いが頭を巡る。
コンクールで入選した喜びが、さらにグラデーションを掛ける。
それぞれの思いが交錯し、もう、先ほどまでの罵声は聞こえてこない。
私にとって「決断」とはなんだったのだろう?
もし、芸術家をあきらめて、事業家を目指そうとするならば、会社の立ち上げを夢見ていたかも知れない。そこに「夢」を追い求める「決断」があるのだろう。しかし、それは大いなる賭けであることには違いない。芸術家肌だと思っている私に、そこまで考えることができるだろうか?
しかし、私は決断を下したようだ。どうやら芸術家の夢をあきらめ、地道な生活に身を投じていたようである。
しかし世の中どこで何が幸いするか分からない。ちょうどコンピュターソフト開発が花形事業で、数多くのベンチャー企業が巷に溢れ始める前、私は当時一緒に入社した連中と組んで、いち早く会社を設立したのだ。
時はまさしくバブルの時代、営業活動をしなくても仕事はどんどん舞い込んできたものだ。従業員を少々抱えても収入を考えれば、人件費など取るに足らないものだった。
「金は天下の回り物」
動けば動くほど儲かる時代、今となっては「古きよき時代」でしかない。
「俺たちは先見の明があったんだ」
よく高級スナックに行って、女の子の前で話したものだ。私たちはスナックでは優良客だったかも知れない。
しかし、そんな時代は長く続かなかった。
仕事がどんどん来なくなる。「リストラ」と称して、人件費の削減を行う。経費をなるべく掛けないように計画を縮小する。いわゆるバブルが弾けたのである。
後に残ったのは莫大な借金だけだった。銀行の融資もほとんどなくなり、今まで下手に出ていた人たちの態度が一変する。
弾けたバブルの代償はあまりにも大きかった。私だけの人生ではなく、まわりの生活まですべて壊してしまったのだ。下請けの哀しさか、今まで回してくれていた仕事が廻ってこなくなった。
連鎖倒産が相次いだ。うちもそれに巻き込まれたのだ。残った莫大な借金を苦に、夜逃げ同然に行方をくらました同業他社の取締役も多い。
――明日は我身――
まさしくそうだった。
今まさに目の前では債権者という借金取りが私を責め立てる。他の創設者は仕事がある時は皆で助け合っていたのだが、実際首が廻らなくなってくるとクモの子を散らしたように逃げ出したのだ。要領の悪い私が一人取り残された。
こうなってしまうと、もう形無しである。プラス志向になど考えられるはずもなく、防戦一方の言い訳も言えない中で、孤立無援ということになると、私になす術はなかった。
それにしても私はなぜこんな決断をしてしまったのだろう?
そう、りえに失恋したと自覚した時から、私の記憶は頭の中で二つに別れた。事業家としての現実の夢と、芸術家としての本当の夢である。
りえとの恋愛を成就することができていたら、どうなったかということを考えようと試みるが、それは不可能だった。想像できるのはあくまでも、自分のことだけである。
私の決断は間違っていたのだろうか?
いや、もしあのまま芸術家として歩んでいたとしたら、私は途中で妥協を許さない性格なので、泥沼の道を歩んでいたかも知れない。いろいろな可能性にチャレンジして、地道な道を忘れ、結局冒険に敗れていただろう。それは夢を見ながらでも危惧した形で現れていた。
――やはり事業家になってよかった――
何度も頭の中でそう感じた。
だが結果は……
失敗して、借金だけが重くのしかかった今の私の脳裏によぎるもの、それはいつか美術館で見た、「西洋の城」の絵だった。
絵の中から私を見上げている自分。見つめるその目が私を戒めているように感じる。
瞬きした瞬間、私は絵の中にいて、真っ青な空を見上げている。そこには見られているという感覚はないのだが、またしても表の世界に戻ると、絵の中の自分から見つめられている気がして仕方がない。
一体絵の中のどこに自分がいるのか分からない。あくまで錯覚なのは分かっていた。きっと二重人格のもう一方の性格を絵の中に見たのかも知れない。
普段、いくら二重人格であっても、表に出ない自分の性格を意識することはない。表に出ている自分を自分だと思い込むからだ。
――きっとあれは私に対する戒めだったのかも知れない――
そんなことを感じるのは、自分が今最高に心細いからであろう。それまでに過去を振り返って、「戒め」などということを考えたことがなかった。常に猪突猛進だったからだ。
私は人と話すのが怖い。
大学卒業して新入社員の頃、よく上司に怒られたものである。話を聞いてもどこか上の空、それは、自分の中でまだ、「事業家」なのか「芸術家」なのかということを認識できていなかったからだろう。それだけにいまだにどちらの夢も見るのかも知れない。
新入社員の頃が懐かしい。
そんなことを感じてくると、自分も「いよいよだ」という気になってくる。
覚悟はできているつもりである。この世に未練など何もない。しかしなぜだろう。最近特に昔のことをよく思い出す。死期が迫ると故意であってもないにしても、過去の思い出がまるで走馬灯のように頭によぎるらしい。
今私に未練はないと言った。本当にそうだろうか?
走馬灯というのは、一定の絵柄がグルグル廻っているものである。あるところまで来ると、また元に戻るという限られた世界のものなのだ。一体その中にいくつの思い出が入っているのだろう?
少なくとも、りえとの思い出がその中でもかなりの割合だということは自覚している。何しろ一歩違った人生を歩んでいれば芸術家になっていたかも知れないと感じているだけに、その影響は少なからずりえにあるのだ。
いや、りえの影響力はそれだけではないかも知れない。事業家としての人生を歩みながらでも、普通に恋愛して結婚してからでも、事あるごとにりえのことを思い出していたような気がする。
それは今となって感じることであって、その時に感じていたかなど、今となっては思い出すことは困難である。
そういえば、りえが自殺したと聞いたのは、それから少ししてだった。原因は分からないが、もう一人の自分に呼ばれたという意味不明の遺書があったらしい。
私には何となく分かる気がしていた。
一体私は今からどこへ行こうというのだろう?
電車に乗り込んだはいいが、あてもない。気がつけば、以前中学の時に行った美術館のある駅まで来ていた。駅から歩いて少しあるのだが、途中が公園になっていて、それほどの距離を感じない。桜が散り始めたこの時期、公園にはそれなりに人が歩いている。
楽しそうな家族連れが目立つ。
作品名:短編集16(過去作品) 作家名:森本晃次