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短編集16(過去作品)

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 自分としては、合理的なものの考え方だと思っている。ストレスを溜めてまで耐えることと、恥を忍んででもアドバイスを貰うこととを天秤に架けているのだ。そこら辺りが、小学生の頃、算数が好きだった由縁なのかも知れない。いろいろな考え方をしても、結局最後は合理的な回答を求める。それが算数の考え方だった。
 合理的な考え方に終始しているせいか、究極の選択を迫られた時に決断に迷いが生じてしまう。結論を導き出す力を妨げるのだ。
 人生において大きな分岐点はいくつもあるだろう。
 それは二者選択になるのか、三者選択になるのか分からないが、自分の進むべき道が目の前で別れている時である。
 もちろん、先はまったく見えない。すぐ先でさえもまるっきり見えず、すぐ先なのか、ずっと先のことなのかもハッキリしないような状況である。
 そこに存在するのは「決断力」である。
 私にはその「決断力」が、ハッキリ言ってあるとは思えない。
 例えばモノを買う時でも、高いものを買う時はそれほど迷うことはないが、中途半端な値段のものを買う時はかなり迷うのだ。
 電化製品のような万単位を超えるものは、最初からある程度の目的を持って買いに行くのだが、衣類のような数千円くらいのものだと衝動買いが多い。そのため、どうしても店での目移りが多く、種類を選ぶのと同様、お金自体がもったいないと感じてしまうことが往々にしてあるのだ。
「変わったやつだな。さっさと決めればいいのに」
 よく友達からも言われた。自分でもそう感じている。だからであろうか、衣類関係を買うのが私にとって一番苦手である。
「楽しんでいるようにも見えるぞ」
 友達から言われたこともあった。
 確かにそうかも知れない。だが、選んでいる本人の気持ちは複雑なのだ。
――「合理性」を考えてしまうのだろうか?
 何に使うか。それが問題なのである。
 お金にしても、自分の進路にしても、どうしても何かと比較して考えてしまう。それは私だけではないだろう。ある程度まで両天秤にかけて一生懸命に考えてみる。そしてどこかで見切りをつけて、決断するのだ。
 それが惰性につながるかも知れない。
 私にはその思いがあるのか、なかなか決められない。決められないでいると、考えがまた最初に戻ってくるのだ。いわゆる「袋小路」である。
 一旦「袋小路」に陥ってしまうと、今度は抜けられなくなってしまう。「落としどころ」というものがあるのだということを感じるのは、自分が「袋小路」に迷い込んでしまったことを自覚する時だった。それが人生を左右することであればあるほど「落としどころ」が惰性だと感じてしまう。そこが決断を鈍らせる一番の要因なのではないだろうか?
――結局、自分は「事業家タイプ」でも「芸術家タイプ」でもないのかも知れない――
 どちらかというと「芸術家タイプ」というだけであろう。
 決断を鈍る性格である私だが、今までそのことで困ったということはなかった。
 だが、自分で気付かないだけで、後から考えれば、
――あの時が決断の時だったかも知れない――
 と感じることもあるだろう。
 何となく予感はある。
 特に女性に対してのことだと往々にしてあったかも知れない。
――あの時告白していれば――
 とも感じるが、それを考えた時に浮かんでくるのは、りえの顔だった。
 私にとってのりえは、ただの友達というだけではない。ひょっとして初恋だったのかも知れないし、何よりも絵を描こうと最初に感じた私にとっての大切な「被写体」でもあった。
 こういうと失礼に当たるかも知れない。だが、私の中の紛れもない真意であった。
「君を描いてみたい」
 その一言を言えなかったことが、私に大きな後悔をもたらした。
 写真と同じで、永遠に年を取ることのない絵、しかの私の作り上げた芸術、そう感じただけでりえが永遠に私のものとなる気がするのだ。
 そんな私の想いを、りえはどう感じていただろう。
 もちろん、そんな素振りはまったく見せない私だったが、私を見つめる彼女の視線に、時々ドキリとしたものを感じていた。その視線の奥にある彼女の想いが、私の想いを見透かしているようで、少し怖さを感じてもいた。
――もし私の描いた絵を彼女が見たら、どう感じるだろう?
 似ていなければ、
「似てないわね」
 の一言で終わるのだろうが、似ていればそこに自分がいるようで、気持ち悪く感じるかも知れない。そんなところまで気になってしまう自分が恐くもあった。
――彼女には芸術を見抜く力がある――
 と思い込んでいる私にとって、その思いがそれほど的外れだとは思わない。なぜなら、私を芸術の世界に引き入れるきっかけとなったのは、絵画に見入っているりえの表情を見たからだったに相違ない。
「あなたも絵を描き始めたの?」
 そういって私を見つめたりえの顔が懐かしい。
 私は自分が「芸術家タイプ」だと真から感じ始めた時には、りえの絵を描きたいという思いが確信になった時だった。
 りえの絵を描きたいと思ったから芸術家タイプだと思うようになったのか、芸術家タイプだと思うから絵が描きたいのか、どちらが先か分からない。しかし、どちらを感じ始めたのもほぼ同じ時期だったのに間違いない。
 事業家タイプとの違いを頭の片隅で考えながら、また、りえを描くことが、自分の理想のひとであるりえを冒涜するのではないだろうか、という思いが掠める中で、気持ちとして、どうにもならなくなっている自分がいた。
 さすがに直接モデルを依頼するわけにも行かず、写真を撮らせてもらっての活動となる。しかし、写真を撮らせてもらった時のりえの表情は明らかにいつもと違っていた。気のせいだったのだろうか?
 いや、そんなことはない。明らかに少なからずの抵抗のようなものがあった。それも自分に作品の被写体として使うという意識があるからこそ分かったことであって、普段の私なら分からなかったかも知れない。それだけ、その時の私は、りえに対して思い入れが強かったのだろう。
――私にとっての永遠のりえを作り上げたい――
 これを下心と言わず、何というだろう。
 もちろん、どこにも公表するつもりはない。たとえどんなに素晴らしい作品であっても、その作品の完成度が高ければ高いほど、自分のものにしていたい。
――きっと私は独占欲が強いのだ――
 と初めて感じた瞬間だった。
 いや、それは「今さら」である。今まで気付かなかった自分が鈍感だったのだ。自分のことだけに、気付かなかったのかもしれない。
――遠くから見ているからこそ美しい――
 そんな言葉を聞いたことがある。確かに富士山も現地にいては、遠くから見た時の美しさを感じることはできないのだ。
――私にとっての納得の行く作品ができればいいのだ――
 ひょっとして他人が見ているりえと、私がいつも感じているりえとでは、かなりの違いがあるのかも知れない。同じものを見ていても感じ方が人それぞれで、描いた作品にしても同じことが言えるかも知れない。
 そういえばりえの見ていた作品は、西洋のお城のようなところだった。
作品名:短編集16(過去作品) 作家名:森本晃次