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短編集16(過去作品)

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 と言われた。言葉だけは知っていたが、具体的にどういうことかまでは知らなかったので、
「どういうことだい?」
 と聞くと、
「今のお前のような状態のことさ。理由もなく、何となく寂しかったり、何を考えているか自分で分からなくなったりって、そんな状態のことさ」
「君にはないのかい?」
「ないわけじゃないだろうけど、俺は短かったからな。それにしても君は長いね」
 その話をした日はかなり雨が降っている日だった。雨が降っていることに感覚が麻痺していた時期だったから、きっと梅雨の半ば頃のことだったような気がする。それだけハッキリとした時期を覚えていないのだ。
 それにしても変な気持ちだった。口の中には何も入っていないのに、柔らかい何かを噛もうとしているような、そんな気持ち悪さがあった。
「五月病ってこんなに長く続くものなのか?」
「そんなことはないさ。俺はそんなに長くはなかったよ。気がついたら終わっていたからな」
 そう言って、友達は豪快に笑っていた。
 豪快さが性格を物語っているようなやつである。笑い方も腹の底から笑っているように見え、一緒にいても気持ちいい。竹を割ったような性格とは、彼のような人のことを言うのだろう。
 それに比べて私の性格は地味である。決して表に出ることをせず、絶えず誰かの後ろから様子を見ているような、そんなタイプだ。自分で考えても姑息に見え、あまり好きではない。しかし、これが自分なのだと割り切ると、不思議に何も感じなくなってくる。
 この性格から、どこに二重人格という結論が導きだされたか、自分でも最初は分からなかった。ただ、何かを考えている時の自分にそれなりの自覚があったのだ。
 しかし、「五月病」という時期を境に、考えている時にふっと我に返る時があるのだ。
――今まで何を考えていたのだろう?
 というように、その瞬間まで考えていたことさえ、すっかり忘れてしまっていることが多くなったのだ。
 二重人格で損をしたことは今までにはないが、性格的に自分がきつい。どうしても、鬱状態が長く続いてしまうことは私にとって耐え難いことである。
 いつ陥るか分からない鬱状態であるが、前兆がないわけではない。
 原因がある時、ない時で状況は少し違ってくるが、原因がある時というのは、陥る時が分かるものである。
 いつものことなのだが、周期的なものであり、何となく分かる時がある。最初はそんなことなかったのだが、徐々に分かるようになってきた。
――人と話すのが、嫌だ――
 人の顔を見ることすら億劫になる。
 元々、人と話すことが苦手だった私も大学に入り、誰とでも話せるようになった。しかし、それだけに鬱状態の入り口の時は辛い。何とも皮肉なことだ。
 大学というところ、人と話をするだけで、通っていることに意義を感じる。友達のほとんどは、大学生活をエンジョイすることだけを考えているが、それでも、話題性には富んでいる。中には社会情勢の話題が好きなやつもいたりして、それなりにバリエーションも豊富だ。
 私に話題性があるとは思えないが、それでも、話を聞いていると合わせることができる。
「君と話していると、時間を感じないよ」
 と、社会情勢の話題の好きな友達から言われたことがあった。
 一番嬉しかった言葉である。
「俺って聞き上手なのかな?」
 友達に聞くと、
「そうだな、話を合わせるのがうまいし、嫌な顔一つしないところがいいんだろうな」
 そういえば嫌な顔などしたことがない。
「一生懸命に話しているからね」
「それが、君のいいところなんだよ。相手にもそれが伝わるからな」
「そんなものかな?」
「ああ、安心感を与えてくれるからだと思うぞ」
――安心感――
 この言葉も私には嬉しかった。
 大学にいる時には感じなかったが、卒業して社会人になると、自分のタイプがわかるようになってきた。
 大学時代も友達とよく自分たちのことについて話をしたものだ。それは自分たちのタイプのことにこだわらず、女性の好みの話から将来のことまで幅広い話ではあったが、究極は自分たちのタイプについての話に落ち着いていたような気がする。
 だが、所詮学生のこと、社会というものを知らないので、どうしても甘さのようなものがあった気がする。その点、社会に出てからは人と会うにしても一社会人としての常識で見られてしまう。その視線を強く感じることで、自分も「社会人」としての意識を嫌が上にも持たされるというものだ。
 そういえば、人間のタイプについて話したこともあった。
――「事業家タイプ」と「芸術家タイプ」――
 この二つに分かれるものだという話であった。
 大学在学中には話をされても半分分からなかった。
 それも仕方のないことで、その話をする友達も所詮大学生、説得力にいまいち欠けるところがあった。
「いやぁ、俺も本で読んだことだからな」
 その友達は雑学の本などを好きで読んでいた。
「そのうちクイズ番組にでも出てやろうかな?」
 半分は冗談だろうが、目は真剣だった。
 しかし、如何せん、最近正統派のクイズ番組が減ってきていて、知識だけで優勝できるものではなくなっている。どうしても視聴率アップを目的としているために、バラエティ形式のクイズ番組が増えているのだ。
 その友達はあくまでも自分の知識で実力を試したい性格だった。一本気というか、頑固なところがあった。私はそんな彼の頑固なところが好きだったので、いつも一緒にいたようなものだ。
「しかし、君も似たような性格だよ」
 一本気で頑固なところを指摘すると、友達からそんな返事が返ってきた。
 嬉しかった。
 そう言われることを期待して聞いたようなものだからである。その時に、
――やっぱり、こいつと友達でよかった――
 と心底感じていたのだ。
 同じようなタイプの人間が得てして集まるもので、友達のほとんどは、同じような考え方を持っていたのかも知れない。
 どこか頑固なところがあるように見えるのは、趣味の合わない人にとっては辛いことであるが、仲間意識がある間は、そんなことも気にならない。むしろ、相手も同じように思ってくれているのだから、相手の望む話に花が咲くというものである。
「俺ってどっちなんだろう? 芸術家タイプ? それとも事業家タイプ?」
 真剣に悩んでいるやつもいた。
 親が社長をしていて、いずれは自分も後を次くことで、社長の椅子が約束されているやつである。
 大学生であった我々に彼の苦悩はなかなか理解できるものではなかった。
「羨ましいな」
 と思いこそすれ、苦悩を分かるはずもない。
 しかし実際に父親のそばで育った友達には痛いほど社長という座の大変さが身に沁みているのかも知れない。
 そんなことをおくびにも出さないタイプの男で、人に弱みを見せることを極端に嫌うやつだった。私などは、弱みの一つでもあった方が人間らしいと思うくらいで、悩みを表に出さない彼が信じられなかった。
――自分で抱え込んで、ストレス溜めて、何もいい事ないじゃないか。人に話してアドバイスを貰った方が、よほど楽だろうに――
作品名:短編集16(過去作品) 作家名:森本晃次