短編集16(過去作品)
いつも何かを始める時に先頭を切るやつの一言が聞こえた。彼の言葉には暗黙の了解があり、誰一人としてそれに反論する者はいない。号令が掛かるのを待っていると言ったところか、きっと皆同じことを考えているに違いない。
言うか言わないかというタイミングで、彼はもう行動に移している。無言でそれに従う私たち、そこに言葉はいらないのだ。
ちょっとした冒険心、怖いもの知らずのこの年代、野次馬として走ってくる大人の緊張した面持ちの真意など分かろうはずもない。
だが、何となくの喧騒とした雰囲気から、息が詰まりそうな緊張感を感じることはできる。それが子供にとっての冒険心をくすぐるのだろう。
――この方向は――
私にさっと緊張感が走った。恐る恐るまわりの友達の表情を見るとやはり同じ事を察しているのか、先ほどと違い緊張感が湧き出ているのが分かる。
――やはり――
燃えているのは、例の友達の家だった。
近づけば近づくほど喧騒とした雰囲気を身に沁みて感じることができるようになった。
――やつは?
まず友達のことが気になった。おばあちゃんも心配である。
風が少し出てきたのか、目の前に上がる火は轟々という音とともに、少しよこに靡いているようで、それがまるで生き物のように見えた私には、緊張感よりも恐怖感の方が強かった。
その光景がずっと目に焼きついていたことはいうまでもない。
「でも、これだけの火事で、けが人がいなかったことは不幸中の幸いよね」
「ええ、そうですわね。よかったですわ」
後ろの方で野次馬に混じってヒソヒソと噂話をする見知らぬおばさんがいた。それを聞いて私は、緊張感が次第にほぐれていくのを感じた。
――しかしなぜ一気にほぐれなかったのだろう?
子供心に不思議だった。きっと脱力感が起こるだろうと思っていたと後で感じたことも不思議だった。その時だけは、まるで大人のような心境で冷静に状況を見守っていたのかも知れない。
火の勢いは半端ではなかった。折からの風も手伝ってか、みるみる空を焦がしていく。しかし不幸中の幸いか、近くに民家はなく、正面には広い庭、家屋の後ろには空き地が広がっているだけなので、他への影響はなかったようだ。
保険で何とかなる範囲だろう。当然火災保険には入っているだろうし、そのあたりは問題ないだろう。まぁ、子供にそんなことが分かるはずもないし、それ以前にそんなことすら考える余裕もない。ただ目の前の火を見つめているだけで、後のことなどは、もっと大きくなって思い出したことだろう。
しかし、大きくなって思い出すこともあるくらいなので、私にとってはかなりなショックだった。何度も夢に出てきた記憶があるくらい、目の前で猛威を振るった火の勢いが当分目に焼きついて離れなかった。
出火原因を聞いた時に、またしても目の前に火の勢いがよみがえってきた。どうやら原因は、子供同士の火遊びが原因だったらしい。確かに彼ならそれくらいのことをやりかねないタイプだった。数人の友達を家に呼んで、焚き火やら花火をして遊んでいたらしい。もちろん火の怖さなど知らない子供たちばかりなので、バケツに水を汲んでおくなどのことは考えないだろうし、たとえあったとしても火が上がった瞬間、パニックに陥いるに違いなく、どれだけ冷静に対処できるか分かったものではない。
私が怖いと思ったのは、
――もしその場に自分がいたらどうだっただろうか?
ということである。
たぶんパニックに陥っていたであろう自分が、果たして冷静な対応もできず、その場でどうしていただろう。それを考えると身の毛もよだつ思いである。ただ、呆然となす術なく、目の前で広がっていく火をどんな思いで見つめることになるのか、それが恐ろしいのである。
子供心に「火の不始末」の恐ろしさを垣間見たのだ。直接その場にいなかっただけでもそれだけの衝撃を受けたのだ。もしその場にいたらどんな思いをしただろうか。
――意外と他人事だったかも知れない――
燃え上がる炎を見ながら、まるで他人事のように佇む少年、ひょっとしたら無意識に笑みさえ浮かべているかも知れない。
――いや、きっと僕なら浮かべていたかも……
後から考えればそんな気にもなってくる。それを考えると余計にやりきれない思いが私を襲い、それがトラウマとしてずっと残るであろうことを予期していたに違いない。
それからの私は少なくとも「火の不始末」だけには気をつけるようになった。出かける時など、ガスはすべて元栓をしめ、電気もすべてコンセントから抜いていた。漏電が怖かったからである。しかもその確認を何度も行うので、出かける前の確認だけで、いつも十分は計算に入れている。
「お前は神経質だなぁ」
大人になった今でもよく言われる。
「そうかな?」
そう答えるが、子供の頃の記憶を友達に話すことはない。テレビなどでのドキュメント番組で防災特集などをやっていると、わざわざ計画して見ようとまではしないが、チャンネル合わせをしていて指がそこで止まると、つい見入ってしまうことがある。それも無意識なのだが、見ている最中にあの時の火の勢いが目の前によみがえってきそうになるのである。
――いつも冷静沈着でいたい――
という思いが読書に繋がっているのだが、それはトラウマによって引き出された私の持って生まれた性格かも知れない。
――心に余裕を――
一歩踏み込んで考えるとそこに行き着く。喫茶店でゆっくりと本を読むことが私にとっての余裕だと気がついたことは正解だったのかも知れない。
そういえば、その時の夢をよく見るのだ。まったく同じシチュエーションかと思えば、どこかが違う。普通、夢など細かいところまで覚えてなどいないのに、この夢に関しては違っていた。ゆっくり思い出すと、背景からすべてが思い出されるのだ。
不思議なことだった。しかしそれだからこそ微妙な違いにも気付くのかも知れない。だが、どこかが違うというだけで、どこがどう違うのかと言われれば答えようがない。夢から覚めてしまえば、以前の夢のことはすっかり忘れているからだ。
――きっと今思い出しているのは、最後に見た時の夢だったんだ――
しかもそれはごく最近の気がする。ひょっとして今朝の夢だったかも知れない。
一晩で何度も夢を見ることがある。ほとんどは違う夢なのだが、たまに続きを見ているのではないだろうかと思えるような夢もあって、妙な気分になる時もある。
また、同じ夢であっても、まったく違うシーンから始まって、それがまったく接点がなくても潜在意識が結び付けているのではないかと思うことがある。却ってそういう夢ほど起きてからも記憶に残っているのかも知れない。
夢について考えていると、時間が経つのを忘れる。学生時代そういう話が好きで、よく友達と議論をしたものだ。今考えていることは、その時に培った思いがそのままなのかも知れない。皆考えてはいるが、口に出さないだけではないだろうかと思ったくらいだ。
本を読んでいる時に、たまに違うことを考えている自分に気付くことがある。集中力が欠如している時もあるが、それだけではない。
作品名:短編集16(過去作品) 作家名:森本晃次