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短編集16(過去作品)

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 本を読むということは作り上げた自分の世界に入ることだと思っている。そのために本を集中して読むための環境を自らで作り出し、その時の心境で自分の世界を築き上げる。そんな時、小学校の時に目撃した友達の家の火事が記憶の奥から顔を出すことがしばしばあった。
――あれは本当にあったことなのだろうか?
 まったく同じシチュエーションでの夢がないため、あまりにも現実離れしたような気がするからか、そんな風に感じることがある。
 公園で遊んでいて、目の前を走りすぎる救急車や消防車、喧騒とした雰囲気で取り囲む野次馬、そしてまわりの人たちの瞳を焦がしているかのごとく燃え上がる炎、すべてが夢の中だけで繋がっていた。
 それまで仲が良かったその友達とは話もしなくなった。お互いにぎこちなくなったのか話しかけることもない。しかもまわりの大人の、声には出さないまでの偏見の目で見ている友達を、知らず知らずに私自身が偏見の眼差しでいたのかも知れない。
 そんな自分が嫌だった。
 まるで敵対心があるかのごとく私を見つめていた彼は、私以外の人にはそこまでの視線を送ることはなかった。
――なぜなのだろう?
 もしトラウマの中で一番心の奥にしこりが残っているとしたら、その敵対心に満ちた目の真相ではないだろうか?
――ひょっとして自分では分かっているのかも?
 そう思う時がある。
 分かっていて思い出すことに戸惑いがある。それが夢の中で微妙なシチュエーションの違いとして残っているのではあるまいか。
 本を読むことで作り上げる世界、現実逃避ではないのだろうが、一番自分らしい世界だと思っている。しかし、自分の世界が本当に存在するのかということを一番疑問に感じるのも、本を読んでいる時であった。
――あれ?
 初恋の人への気持ちが曖昧になってくる気がする。
 いろいろ思い出してくる、そのどれもが、真実ではないような虚空な感じがしてくるのだ。小学校の頃の友達の家が燃えた時のショックから以前の記憶は皆無に等しい。もし覚えているとすれば、そこにいくつもの記憶が存在しないことは分かっている。
――いくつもの記憶?
 本を読みながら考えるのは、その思いだった。普段はそれほど感じないのだが、本を読んでいると私の記憶がいくつかのパターンで構成されている気がして仕方がない。
――心に余裕を持ちすぎるからだろうか?
 それにしても不思議だった。
 小学生の頃を思い出しての夢であっても、初恋の人のことを思い出しての夢にしても、見るたびに内容が微妙に違うのは分かっている。
――だが?
 私が思うのは、その中に本当に真実があるのだろうか? ということである。
 皆同じような記憶ではあるのだが、すべてが真実のように思えて仕方がない時がある。逆に言えば、すべてが違うのではないかとも思えるのだ。
 やはり私の記憶の原点は小学校の頃に見た火事が原因だったのかも知れない。なぜゆえにそれほどまでのトラウマが私の中にあるのだろうか?
 ゆっくりと思い出してみる。
 あの時の友達の顔、そして野次馬の顔、そして友達の顔。それぞれ漠然としてしか覚えていなかったが、想像すればするほど、ものすごい形相に思えて仕方がないのだ。しかもその視線は友達に注がれているものではない。明らかに私へのものだ。
 そういえば、花火をしていたと言っていた。
 花火?
 一度友達の家の庭でやったことがある。時期に記憶はないのだが、楽しかった記憶が残っている。今思い返すと最後まで覚えているわけではない。
 楽しそうな顔をしているのだが、最初から大きな不安があったように思える。不安がある中、なぜ止めなかったんだろうという気持ちが根強く残っていて、友達の楽しそうな顔が次第に般若の形相に変わっていく。
 それに気がついた時にどこからともなく聞こえてくる音なの人の叫び声、
「お〜い、火事だ!」
 途端に般若の形相が不安に満ちてくる。そこから先は何も覚えておらず、記憶にあるのは、みるみるうちに空をも焦がす勢いになって燃え上がっていく炎と、いっぱい集まってくる野次馬が作り出す喧騒とした雰囲気である。
 そこから先の記憶は私にはない。
 確かに私は火事の時でその場にいたわけではない。間違いなく公園で遊んでいて野次馬に混じり見に行ったのだ。しかし……、彼に「花火で遊ぶ」ことの楽しさを教えてしまったのはこの私だという思いが強く残っている。
――もし火事があった日に私が一緒だったら?
 きっと火事にはならなかったような気がする。水を用意しておいたりするくらいの知識は持ち合わせていたと思うからである。
――それがトラウマとして残っているのだ――
 本を読みながらそれを思い出していた。
 暗示にかかりやすいタイプの私は、本を読むことで無意識ではあるが、巧みに記憶を操作していたのかも知れない。その副作用が「繋がらない記憶」として、頭の中に残っているのだ。
 店内に入ってきた時に感じた喧騒とした雰囲気、これは私のトラウマが被害妄想となって見せたもかも知れない。
 もっとも今読んでいる本は、奇しくも放火をテーマにしたサスペンスもので、主人公の小学生の感じたことが、そのままストーリーになっているものだった。
 この本を選んだのは偶然だったのだろうか?
 いや、私はそうは思わない。ここで私に開かれるのをきっとじっと待っていたに違いない……。


                (  完  )





作品名:短編集16(過去作品) 作家名:森本晃次