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短編集16(過去作品)

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「ブルマンお願いね」
 と声を掛けただけで、話し掛けることはしなかった。
「はい」
 こちらを振り向くことなく忙しそうにしているマスターを見ていると、一声だけで正解だったと自分に言い聞かせていた。
 仕方ないので店内をさっそく見渡してみた。やはり最初に感じたとおり、知っている常連客は一人もいない。
 どこの喫茶店でも見られる光景なのだろうが、客はおのおの自分たちのいいように振舞っていた。しかし、そこに少し冷たさを感じたのも事実で、この店は結構常連さんが多いはずなのだが、休日の朝など来た時は、常連同士で挨拶を交わしたりして、もう少しアットホームな雰囲気しか知らないからだ。いくらおのおのの行動を取っているからと言っても、一見して雰囲気まで冷たく感じるのは、まるで違う店にいるような気持ちにさせられてしまうからかも知れない。
 店は暖房が効いていて暖かく、しかも日差しが差し込んでくるあたりからは、ほのぼのとした暖かさを感じることで、休日ののんびりした雰囲気を味わうことができた。これは当初の目的に沿ったものだった。
 店の雰囲気としては表の白壁造りとは打って変わって、店内はバンガローを思わせるような木目調が基調となっていた。天井は高く、それだけでも表から見た時よりもさらに広く感じるのだろう。
 奥の方には大きな柱時計が架けられていて、一時間単位にメロディを奏でてくれるのだ。さすがに店に入った時間は中途半端なのでメロディが流れていないが、それを楽しみに来る客がいることも事実である。かくゆう、この私もその一人であった。
 静かな店内では、柱時計の時を刻む音をいつも気にしていた。家にいる時もそうなのだが、私は時計が時を刻む音には敏感なのかも知れない。ここの柱時計の大きさは半端ではなく、さすがに家にある小さな目覚まし時計の音とはくらべものにならないくらいだ。しかも広い店内の響き渡るようなその音は、慣れてくれば気にならないのだろうが、少なくとも初めてきた人たちには嫌が上に気になっているはずである。今日も最初に気になったのは柱時計の音だった。
 しかし違うのはそこからである。席に座るまではそれほどでもなかったが、座ってゆっくりしていると、時計以外の音が気になり始めた。気持ちのよい音ではない。思わず苦虫を噛み潰したような表情にさせられてしまいそうな不快感のある音である。
 私は思わず奥歯を噛み締めていた。矛先は言わずと知れた騒音の主たちで、気になり始めると止まらない私には、きつい状況だった。
 携帯電話の着メロが鳴ったかと思うと、座席でそのまま会話を始める。しかも女性なので、出た時と声のトーンが上がったことを考えるとなかなか止めてくれそうな雰囲気でもない。たぶん彼氏からの電話なのだろう。完全に声が甘えモードと化していた。
 さらに奥の方では、リズミカルな機械音が漏れている。普段であればそれこそ気にならないのかも知れないが、場所が喫茶店で、しかも普段は時計の音しか感じないこの店での音は、騒音でしかない。耳にはヘッドホンが当てられ、ウォークマンで音楽を聴いているのだ。
――どいつもこいつも非常識野郎ばかりだ――
 心の中で叫んだが、もう少しで声になりそうなので必死に抑えていた。口元は動いていたに違いない。
――まるで別の店に来てしまったような気がする――
 そう考えながら一応店内全体を見渡して、再度カウンターの正面を見た。するとさっきまで下を向いて一生懸命に仕事をしていたと思っていたマスターが顔を上げ、こちらを見ているではないか。その表情は穏やかで、よく見ると微笑みかけているように見える。
「どうしたんですか?」
 思わず聞いてみる。
「どうもしないけど、今の君の顔を見ていると不思議と微笑ましく思えてね」
 どういうことなのだろう?
「え? 渋い顔していませんか?」
「いやいや、落ち着いた顔に見えるよ」
 何が何だか分からない。さぞかしまわりの喧騒とした雰囲気に、怒り心頭の表情を見せていると思いきや、マスターの言葉は摩訶不思議以外の何ものでもなかった。
 そう言ったかと思うとすぐに頭を下げ仕事に戻ったマスターに、それ以上は聞けなかった。そのことだけで手を休めてこちらを覗いたのだろうから、マスターの言葉に説得力はある。
 先ほどまで聞こえていた携帯電話での話し声は着メロの音、さらにはヘッドホンステレオから漏れる嫌らしい機械音が今は聞こえない。終わったのだろうか?
 そう思ってもう一度カウンター席の椅子を回転させてみた。
 するとどうだろう。先ほどまであれほど皆自分勝手におのおののことをしていたのに、今では誰も何もしていない。それだけならまだいい。
――どうしてなんだ?
 皆の視線は明らかに私を見つめている。
――私が何か悪いことをしたのかな?
 と一瞬思ったがそんなことではないことはすぐに分かった。皆の表情を見ていると不審者を見るような雰囲気ではなく、どちらかというともっと暖かい目をしている。それにしても皆一様に同じような表情ではないか。明らかに不自然に感じる。
――まるで先ほどのマスターが私を見る目のようだ――
 よく見ると微笑みかけてくるようにさえ見える。まさしくさっきのマスターの表情そっくりだ。
――ということは、皆同じような表情をしているということなのかな?
 と自分に問いかけて、返ってきた答えは、
――まさしくその通りだ――
 ともう一人の私が呟いている。
 しばらくあたりを見渡していたが、それぞれ、本を読んだり雑誌を読んだり、ただコーヒーを飲みながら表をじっと見ているだけの人もいる。
――おや?
 さっきまで感じていた、知っている人を誰もいないと思ったのは間違いだったのか、よく見ると見慣れた常連さんの顔ばかりだった。
――まだ寝ぼけているのかな?
 と言わんばかりに目を擦ってみたが、やはり常連ばかりである。いつもの雰囲気と変わらないのに、まるで他の店のような感じがするのは、さっきの喧騒とした雰囲気がすっかり頭の中に定着してしまったからであろう。
 ゆっくり見つめていたが誰一人として私を振り返る人はいなかった。いつもなら私が見つめればその視線に気付くのか、本を読んでいたとしても顔を上げ、私に一礼してくれるのに、やっぱりいつもと違うのだろうか?
――しょうがないか――
 正面を向き、カウンターの上に投げ出していた文庫本を手に取り読み始めた。挟んでいたしおりを右手の人差し指と中指の間に挟み、読んでいたはずの続きを読み始めた。
 内容をあまり覚えている方ではない私は、少し前から読んでいかないとストーリーを思い出すことができない。元々、本を読むには自分の世界を作り上げて、その世界に浸らないとなかなか集中することができない。これは私に限ったことではないだろう。
 少しずつ今まで読んでいたであろうところをさかのぼっていく。情景が思い出されるところまで行きさえすれば、後は自然と記憶が繋がってくれる。それが私の読書法なのだ。
 しかし、今日はどうしたことだろう。ゆっくり読み返していて、数ページ前まで来ても内容を思い出すことができない。シーンにして三シーンくらいだろうか、どうにも記憶がつながらないのだ。
作品名:短編集16(過去作品) 作家名:森本晃次