短編集16(過去作品)
就職活動の時に失いかけた自信、いや、元々なかったようなものだが、失ったと思う瞬間から、
――もう二度と自信など持つことができなくなるのでは――
という危惧を感じることを忘れさせてくれたのだ。
そう、忘れさせてくれただけで、なくなったわけではないのだが……。
それは鏡のことを考え始めてから思い返すようになったことでもあった。
――私にとっての自信とは何だろう?
仕事もある程度慣れてきて、同僚ともうまくいくようになり、精神的にも余裕ができてきた。そんな時に出会ったのが弥生だった。
もし少しでも時期がずれていたら、ここまで弥生のことを好きにならなかっただろう。
――以前から知り合いだったような気がする――
この思いはお互いに最初からあったようだ。知り合って仲良くなるまでに、いつもであればもう少し時間が掛かったような気がする。しかし弥生との間に違和感はなく、友達を通り越して、すぐに恋人になっていたのだ。
「予感というか、予言があったのかもね」
一度弥生が、私との出会いについて、そう話してくれた。
「予言? 誰の?」
「誰のというか、私のよ。変でしょ?」
普通に聞けば変だと思ったかも知れないが、私にはなぜか納得でいるところがあった。
思わず頷いていたが、軽くだったようで、それを弥生が気付いたであろうか? きっと気付いていなかったような気がする。
暗い夜道を歩きながら、それがホタルに見えたことを今さらながらに思い出していた。ずっと前から知り合いだったと思っていた人物が私には二人いる。裕也と弥生である。
この二人への「ずっと前から知り合いだった」と感じる思いは、似ているようで微妙に違う。似ている方がおかしい気がするのだが、私たち三人は、どこか切っても切れないところがあるような気がして仕方がないのだ。
社会人になって今まで漠然とあった不安が、何となくではあるが、解消された気がしていた。それは今まで知らなかった世界を垣間見ることができたことへの安心感であり、少しでも思ったとおりにいけば、それがそのまま自信に繋がったりもした。
私は、元々自惚れが強いタイプである。自信を持つまでには、かなりの時間を要するが、一旦それが自信となって結びつくと、もはや自惚れだとは思わなくなってしまう。
これを自分では長所だと思っている。短所の裏側にこそ長所はあるもので、その紙一重の差を見抜けるかどうかが、チャンスをチャンスと思えるか、だと思っている。
それは仕事以外でもそうだ。たとえば恋愛にしても言えることで、特に私にとっての弥生がちょうどその対象でもある。前から知り合いだったような気がする弥生と同じ思いを持っている裕也を今まで引き合わせたことはない。それは裕也に限ったことではないが、私にとって信じがたいことでもあった。
彼女ができたりすると、友達に見せびらかしたくなるタイプの私は、弥生と知り合うまでは、きっとみんなに引き合わせるだろうと考えていた。そしてその時のことをあれこれ考え、みんなの羨ましげな顔を見ることで優越感に浸るという、ある意味浅はかな考えを持っていたことは否めない。
しかしなぜだろう? 実際に弥生と付き合いだすと、皆に引き合わせることを戸惑っている。本当はみんなの前で自慢したい自分がいて、それができないことへの欲求不満がたまっていることを知りながら、どうしてもできないでいるのだ。
きっと何かの予感があったのだろう。今の私は女性が信じられなくなっている。
私にとっての女性は弥生そのものである。弥生が信じられないと、女性すべても信じられなくなってしまう。それが私の中での世界であり、そこでの弥生の占める割合はかなりなものがあるのだ。
しかしそんな弥生とも別れの時がやってきたのだ。
別れを言い出されたのは突然だった。
「あなたを友達以上に思えなくなった」
いかにももっともらしいセリフなのだが、それだけに私にはきつかった。最初は何が起こったのか分からなくて、思わず頷くしかなかった。
しかし頷いてみれば不思議なことに、別れを言い出されるのが最初から分かっていたような気になっていた。
なぜなんだろう?
以前から知り合いだったような気がする弥生、それだけに何もかも分かってしまう気になっているのか、それともあとから考えて最初から分かっていた気がするのか、どちらにしても弥生のパターンが分かりかけていた。
ショックは思ったより大きい。私は中途半端の苦手な性格なため、人を好きになると、とことんその気になってしまう。それだけにダメだとなかなか思うことができず苦しんでしまうようで、それも私だけではないとは思う。だが、性格というのは哀しいもの、分かっていてもどうにもならないのだ。
夜の国道、雨の中のヘッドライトの明かりが、やけに目の前をちらついている。
何が間違っていたのだろう?
そう考えると目の前にちらつくのは裕也の顔である。
あれだけ仲良かったはずの裕也の顔が、まるで別人のようだ。しかし、その表情を知らないわけではない。それも以前ずっと見ていた顔のような気がしてくる。
弥生が私に別れを告げた時の表情、あれも今までの弥生からは信じられないような思いつめた表情だった。だが、それも私の知っている表情である。裕也と同じように頭の奥に封印していた印象があるのだ。それが、今となって一気に思い出されていく。
時間があっという間に過ぎていく。
ついこの間までは一日二十四時間が、一時間刻みくらいで把握しながら過ごしていた。それだけに充実していて、それほど時間の流れを感じなかったが、今はすべてがあっという間である。
暑さ寒さの感覚までなくなってきた。何もかもが、麻痺してきたようである。
私は今、その時の明かりを思い出している。目の前を走り去る車の音が分からなくなった時、私はさまよっていることを忘れてしまったかのようだ。
いつの間にここまで来たのだろう?
ホタルの鳴く声が聞こえたような気がする。瞑っている目を開けることができない今、あくまで想像でしかない。しかし想像することで、いろいろ思い出すこともあるのだ。
今まで私は「前世」という言葉を聞いて、何か心に引っかかるものがあるような気がして仕方がなかった。信じないわけでもなければ、自分の前世についてなど考えたこともない。なぜなら前世が今の自分の生活に何らかの影響を与えるなど、考えたこともなかったからだ。
――私の前世って――
開けることのできない瞼の裏に、まるでクモの巣が張ったような放射状の線を見ることができる。どうやら立体感があるようなのだが、何しろ瞑った瞼の裏側で真っ暗な状態、立体感を味わうことはできないでいた。
そのクモの巣の奥の方に見えるいくつかの明かり、最初は分からなかったが、紛れもなくそれはホタルの光だった。一つが二つに、二つが三つに、無数に増えていくような気がする。
だが、増えていくのではない。元々そこにあって気がつかなかっただけだ。見えなかったものが見えてきたのだ。それは今の私の頭の中の記憶のようで、そう考えると、今思い出そうとしていることが「前世」に関わることであることが認識できる。
作品名:短編集16(過去作品) 作家名:森本晃次