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永遠を繋ぐ

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「夢の中の夢から覚める時、夢の中で、覚めてくる感覚はあるのだろうが、その夢が覚めて、現実の世界に戻る時に、そのことを忘れてしまうのではないだろうか?」
 つまりは、夢から夢に繋がる時というのは意識できているもので、忘れてしまうのは、夢から現実に引き戻される時だけだという考えであった。
 藤崎が夢を見てるその中に、また夢があるという意識を持っているのは、夢の中で、そのことを感じたという思いが、記憶の中に引っかかっているからではないだろうか。
 また、藤崎の意識の中で、
「記憶は意識に含まれるが、意識は記憶には含まれない」
 というものがあった。
 根拠があるわけではないので、ただ漠然と感じているだけなので、誰にも話をしたことがなかったが、夢の中にまた夢を見るということを意識するようになってから、
「この思いが根拠に繋がるのではないか?」
 と感じることで、誰にも話をしなかったことをボカシながらではあるが、話すようになっていった。そのボカシ方というのが、いわゆる謎かけであり、最近よくスナック「コスモス」の女の子に対して謎かけをするようになったのは、その影響だった。
 人に話したからと言って、納得のいく答えを求めているわけではなかった。むしろ、
「一人で抱えているのが重たくなった」
 と言った方がいいくらい、一人で何かを抱えていることが億劫になってきた。この思いが、
「言い知れぬ不安」
 に繋がっているということを、その時はまだ藤崎は分かっていなかった。
 しかし、、一つずつ、頭の中にある曖昧なことを解消していけば、忘れてしまっていること、あるいは、繋がらないと思って最初から繋げて考えないようにしていたことを繋げられるようになるのだった。
 藤崎は自分のことを、
「簡単に諦める性格だ」
 と感じることが往々にしてあった。
 いろいろなことを頭の中で巡らせてみるのが好きなくせに、考えが突飛すぎて繋がらない時など、考えてしまったことを後悔してしまうことすらあった。そんな時、自分が不安を感じているのだという意識と繋がっていないことが分かってくると、
「諦める必要なんてない」
 と思うようになっていた。
 そんな時考えたのが、
「意識と記憶の違いについて」
 ということだった。
 最初は、
「起きている時、つまり現実世界では意識しているということも、寝ている間の夢の世界では、意識していたとしても、それは現実に戻ってくる間に記憶に変わってしまうのではないか?」
 と思うようになっていた。
 そして、
「記憶は意識に含まれるが、意識は記憶には含まれない」
 と考えるようになったのは、すなわちそれは、
「現実の世界が本当の世界で、夢の世界は架空の意識が作り出すもの。つまりは潜在意識のなせる業なんだ」
 という結論に達したのだ。
 もっとも、この思いは藤崎の中で、今生まれたものではない。実はずっと以前から感じていたものだ。それを意識と記憶という考え方をすることで、自分の考えを裏付けるものになっていた。そういう意味では絶対的な説得力を持っている。
「この考えが今後も揺らぐことはないだろう」
 と思わせるに十分だったのだ。
 ただ、
「意識は時間が経つにつれて記憶という装置に組み込まれ、『累積』していくことになるが、記憶の中にあるものが突然顔を出し、意識に取って代わるということはありえないだろう」
 という思いもあった。
 その思いが崩れた時、夢と現実の間の関係が自分の中で崩壊してしまうような気がしていたが、なぜか藤崎の中で、
「近い将来、崩壊してしまいそうな気がする」
 と思い続けていた。
 ただ、それがいつの頃からそう感じるようになったのかが思い出せないこともあり、いきなり突然に瓦解してしまうこともありうると思うと、心の準備をいかに整えればいいのか分からない今は、不安でしかないのだった。
 藤崎が見つけた結論の中に、
「夢は潜在意識が見せるものだ」
 という思いがあり、この思いも絶対だった。しかし、
「現実の世界が意識であり、夢は記憶である」
 という思いも、甲乙つけがたいほどの説得力を持っている。
 ということは、
「潜在意識とは、いわゆる『意識』ではないのか?」
 という疑問が生まれる。
 藤崎が、
「俺は、永遠の命を繋いでいる人がいるという話を信じられるんだ」
 と考えるようになったのは、夢と現実の考え方が自分の中である程度定まってきたからなのかも知れない。何か二つのものを比較対象にする時、その違いを最初から意識して望まないと、自分の考えを見失ってしまうという考えを元々藤崎は持っていたが、その思いが確定に変わってきたのは、夢と現実の違いについて考えるようになったからだったと言っても過言ではないだろう。
 もちろん、藤崎は自分が永遠の命を繋いでいる本人だなどとは思っていない。ただ、疑問として浮かんでいるのは、
「永遠の命を繋いでいる人は、自分の中でその意識を感じているのだろうか?」
 という思いだった。
 あまりにも突飛な考えなので、自分の中で自覚している人でも俄かに信じられないとし、こんな話を人にするのもおこがましいと思うようになると、自分が他の人と違っているところを無意識に探し始めるのではないだろうか。
 永遠の命、つまりは、
「不老不死」
 というものは、昔から憧れられていたものだ。
 中国の「西遊記」などでは、
「高貴な坊主の肉を食らえば、永遠の命を手にすることができる」
 というところに話が繋がって、冒険活劇の様相を呈しているのだと思っている。特に中国では、
「永遠の命」
 ということに、執着が深いのかも知れない。
 ただ、これは古代文明を考えれば、西洋でも日本でも十分に昔の人が考えていたということが分かる。
 ピラミッドにしても、日本の古墳にしても、
「再度生き返った時のため」
 ということで、土葬にして、ミイラ化させるようにしている。これはまさしく、
「生き返る」
 ということが、永遠の命を繋いでいるという発想に繋がるのではないだろうか。一度肉体は滅んでも、精神が生き続ける限り、復活できるという発想である。
 この発想には、
「肉体は滅んでも」
 という意味が隠されている。そういう意味で藤崎は、永遠の命を、
「繋いでいる」
 という表現をしているのだ。
――肉体がなくなった精神は、まるで夢の中の世界のようではないか――
 という思いを持っていた。
 つまりは、
――潜在意識という名の記憶だけが、支配している世界――
 ということになる。
 夢から覚めた時、見ていた夢の内容を覚えていないのは、命を永遠に繋ぐために違う肉体に入り込んだ時、前の身体の時に育まれた記憶を持ったままでは、新しい肉体に宿る意識を記憶していくには、無理がある。記憶するための領域にも、当然が限りがあるのだろう。
――人間なんだから、限りがあって当然だ――
 それは、神の存在を信じ、人間は神によって作られたものだという発想の裏付けでもあった。
作品名:永遠を繋ぐ 作家名:森本晃次