永遠を繋ぐ
普通に生活していると、時系列を優先順位として考えることはない。時間の流れは自分たちにはどうすることもできないもので、決まり切っているものだと思っているからだ。それだけに、夢の中で思い出すことは、完全に時系列を無視していることなので、夢の世界と別世界だとして位置付けるに十分なのだ。
では、夢の中の優先順位とは何なのだろう?
「夢というのは潜在意識が見せるもの」
という話を藤崎も信じている。その思いがあるから、自分がSF小説を書けるのだと思っているのだ。
「ということは、夢の中の優先順位の一番は、何をおいても、潜在意識ということになる。ではその次は?」
と考えると浮かんでこない。潜在意識を最優先と感じた時点で、他に優先するものはなくなってしまったのではないか。それは時系列にしても同じことで、普段の生活で時系列は絶対のものであるのと同じで、潜在意識とは夢の中で、普段の時系列と同じくらいに、絶対的なものなのかも知れない。
そのことを自覚することで、ホッとしている自分がいることに気づく。
夢の世界はどこまで行っても架空のもので、現実と比較になるものではないと思ってきたからだ。
だから、SF小説というジャンルが生まれ、現実ではない「フィクション」がいろいろと想像されるのである。だが、SF小説などを書いていると時々、
「自分の描いている世界が本当にあってほしい」
という妄想に駆られてしまうことがある。
現実では、
「そんなことはありえない」
と思いながらも、
「勝手に妄想するのだから、この世界は自分だけのものだ」
として、存在していてほしいという気持ちもあった。
そんな気持ちがあるからなのかも知れないが、藤崎の書くSF小説は、突飛なものが多い。反則技ギリギリの発想で、読む人によっては、不快にさせてしまう内容もあったりする。
「玄人好みするかも知れないが、一般読者には、毒が強すぎる」
と、編集者の人間に言われたこともあった。
「申し訳ありません」
とは口では言ったが、実際には、
「それだけの覚悟がなければ、SF小説なんて書けやしないんだ」
と心の中で呟いていた。その時の表情から決して藤崎は承服しているわけではないことは明らかで、編集者の人も、苦笑いをするしかなかったようだ。
どうしても信念を曲げないという態度の藤崎に、編集者も困っていた。
「尻すぼみになりますよ」
脅し文句なのだろうが、それくらいの言葉を言われるのは覚悟していたつもりだ。しかし、それでも面と向かって言われてしまうと、ショックは隠せない。思い切ったことをする割には、小心者のところがあるのが、藤崎だったのだ。
小説がなかなか売れなくなると、さすがにショックも大きかった。
今でこそ、何とか生活は切り抜けていけたが、以前はどうしていいのか途方に暮れていた。
もちろん、アルバイトやパートの類もやっていた。ただ、どこもあまり長続きしなかった。藤崎の方から辞めてしまうこともあったし、店の方から引導を渡されたこともあった。「売れない小説家というのは、あんなものなのかね」
と、雇う側の責任者は皆感じていたようだ。
確かにアルバイトをしながら、下積みの作家人生を歩んでいる人もいるだろう。そうなると、プライドも何もあったものではない。藤崎も同じような思いをしてきたが、最近では本が売れているわけではないのに、どこか羽振りがよかった。
そんなこともあってか、馴染みのスナックを作り、そこで楽しく過ごせればいいと思うようになっていた。それがスナック「コスモス」であり、ここにいれば、最初に想像していたよりも、楽しい人生が歩めそうな気がして、
「人生、捨てたものでもないな」
と、感じるようになっていた。
その中で分岐となった一つに、
――ママと知り合ったこと――
があった。
ママは正直、今までの藤崎の好みのタイプではなかった。どちらかというと、年下で甘えてくれるような女の子を好みだと思っていたが、まさか、大人の女性に自分が惹かれるようになるなど、想像もしていなかった。
しかし、ママと知り合う前の小説の中に出てくる恋愛は、そのほとんどが、大人の恋愛だった。自分がしたこともなければ、憧れていたわけでもない大人の恋愛をどうして描こうと思ったのか、しかも、実際にイメージして描くことができているのか、自分でも分からなかった。
元々、スナックに立ち寄るという発想も、この店に入る前にはなかったことだ。喫茶店で、アルバイトの女の子と仲良く話すことはあっても、それはあくまでも店の中でのこと、それでいいと思っていた。
以前まで通っていた馴染みの喫茶店では、いつも三時間近くは店にいる。その半分は、テーブルで小説を書いているのだが、残りの半分は、カウンターに席を移動して、店の女の子と話をするような感じだった。
その時に、よく謎かけをして遊んだものだ。藤崎が謎かけすることもあれば、アルバイトの女の子が謎かけすることもあった。最初は藤崎の方が多かったが、ネタも尽きてくると、今度は彼女の方が多くなってくる。きっと、自分なりにいろいろ調べてきたのであろう。
本屋に行くと、結構雑学の本や、クイズ、なぞなぞの本も置いてあったりする。藤崎もたまに情報収集の名目で立ち読みしていたが、興味の出た本は買ってくることもあった。もちろん、小説のネタになることも転がっているので、本を買っても、別に損したというような気持ちになることはない。
馴染みの喫茶店に立ち寄っていた頃というのは、かなり昔のことである。まだ、小説で新人賞を取る前のことで、
「ある意味、その頃の自分が一番輝いていたのかも知れない」
と思える時期だった。
「上を見ればきりがない。しかし、下を見ても、底なしに見える」
どちらにでも行くことができる、言い方によっては、自由な時期だった言えるのではないだろうか。
下も上も見えない時期は、それほど不安ではなかった。そんな時に限って、いろいろな夢を見たからだ。
夢というのは、目が覚めるにしたがって、忘れていくものなので、覚えている夢というのは極めて少ない。よほど怖い夢だったのか、あるいは、印象の深い夢だったのか、どちらにしても、夢を見るということは、それだけ熟睡しているということでもあり、嫌なことがあった時などは、夢を見ることで、気分転換ができたりした。
最近では、熟睡できないことが多い。その理由について最初分からなかったのだが、最近では何となく分かるようになってきた。最大の原因は、
「不安に感じることが多い」
ということである。
何に対しての不安なのか分からない。一言でいえば、
「言い知れぬ不安」
ということなのだろうが、何とも曖昧ではあるが、その曖昧なことのために言葉ができているということは、それだけ感じている人も多いということである。
夢に対しての考えも様々である。藤崎は、以前から、
「夢を見ているその中で、また夢を見ることがある」
ということを感じていた。
自分が実際に見たことがあるかどうかは別にして、存在そのものを意識していたのは間違いない。