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永遠を繋ぐ

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 前世という発想があるが、それが生まれたのも当然のことであるが、いきなりその発想になったわけではないだろう。永遠の命を育むという発想はあるだろうが、不老不死というものに憧れを抱き、それを手に入れるのがどれほど困難なことであるかという発想を題材にした小説が流行るくらいである。永遠の命の発想は、不老不死への憧れと困難さを示すことで、それをプロセスにして前世という発想に辿りつくのだ。
 考えてみれば、不老不死の発想が困難であるというイメージを抱かせる話が日本にだってあるではないか。ママとの話の中に出てきた浦島太郎の話がまさにその代表である。
 まったく年を取らずに本当は数百年が地上では経過しているのに、自分の感覚としては数日でしかなかったという、本当に夢のような世界を経験してきて、戻ってきてからの反動が半端ではなかった。
――浦島太郎という話は、一体何を言いたいのだろう?
 藤崎は、浦島太郎の話を思い出すたびに、そんなことを考える。
 最近では、ママと話をした時に感じたこととして、
「浦島太郎の話には、複数のことを言いたいのだという思いがあるんだけど、でも、突き詰めてみると、すべて同じところに戻ってくるような気がするの」
 と言っていたママの話を聞いて、それまで漠然としてしか考えていなかった浦島太郎の話の中に、何か不可思議な感覚を覚えたのだ。
 最初は、カメを助けて、そのお礼に竜宮城へと案内される。
「いいことをすれば、ご褒美が貰える」
 という発想は、今も昔も変わりがない。
 ただ、他のお話であれば。ここがクライマックスであり、竜宮城へ案内されたことで、大団円を迎えるような結末を想像してしまう。
 しかし、この話はここからが始まりなのだ。
 苛められていたカメを助けたことで、竜宮城へ招かれた。考えてみれば、他のおとぎ話の類は、そういう別世界というものを、人間には見せないものであり、それを好奇心から見てしまった人間が不幸になるという話が多いではないか。
 人間には好奇心というものがあり、それが人間の成長を促したという事実に変わりはないが、それが逆に作用することもある。むしろ、そちらの方が物語になりやすく、戒めを感じさせるには絶好の題材であると言えるだろう。
 好奇心というものを、浦島太郎は感じさせない。カメを助けたことで、カメに対して興味を持つこともなければ、カメが連れて行ってくれた竜宮城で、乙姫様にもてなしを受けるが、乙姫様に対しての男としての感情が描かれているわけではない。完全に受け身である。
 おとぎ話の主人公としては、あまりにも消極的ではないか。
 ということは、それだけ物語はヒューマニズムがテーマではなく、物語自体に大きなテーマが隠されていると考えるのが普通だろう。
 ただ、おとぎ話から、人間性を切り離して考えることはできないと思っている藤崎は、浦島太郎の話をいろいろな側面から考えてみたことがあった。
 確かに、浦島太郎は終始ストーリーに翻弄される主人公を描いてきたが、最後の最後で玉手箱を開けるか開けないかという選択を迫られることになる。
 開けてしまった彼を誰が責めることができるだろうか。むしろ、開けてしまって老人になってしまったことで、何度も読み直しているうちに、安心感さえ芽生えてくる。
 もし、あのまま誰も知らない人の世界、物語的には未来なのだろうが、一体どうやって生きていけばいいのか、分かる人などいるはずもない。
 それでも生きろというのは、ある意味無理強いをしているのと同じではないだろうか。
「浦島太郎という人物は、本当は宇宙人であり、竜宮城へ行った浦島太郎と、竜宮城から帰ってきた浦島太郎とでは、本当は別人なのかも知れない」
 そんなことを話しているやつもいた。
 大学時代に浦島太郎についていろいろな意見を持っている連中と話に花を咲かせたことがあり、個人個人で様々な思い入れがあったようで、話題に尽きることはなかった。
「相対性理論の、高速では時間が経つのが遅いという発想からこの話に入ったのであれば、宇宙人説というのも、あながち突飛な発想でもない。考えてみれば、カメの背中に乗って海の底に行くということに違和感を感じないというのはおかしい。だって、呼吸ができないんだぞ。そう思うと、カメの背中に乗って竜宮城に行ったというよりも、ロケットに乗って、他の天体に行ったという方が発想としては、的を得ているような気がするな」
「確かに、浦島太郎の話はその時々で、辻褄が合っていないところがあるような気がするな。それというのも、主人公があまりにも優柔不断に感じるからで、カメを助けたから竜宮城に案内されるという発想からして、胡散臭さを感じないものなのだろうか?」
「独立した話が一つになって、浦島太郎という話を形成しているとすると、分かってくることも多いような気がする。ただ、相対性理論という大きな理論に裏付けられた話になるので、枝葉はそんなに目立たない。密かに仕組まれた話のような気がして、突き詰めればいくらでもいろいろな発想が浮かんでくるような気がする」
「玉手箱を開くところは、彼の意志が含まれている気がするけど、でも、本当に彼の意志で開けたのだろうか? まわりは知っている人もいない。何をどうしていいのか分からない状態で、目の前にある箱を開けることで、少しでも前に進めればいいという考えを持ったとするならば、その気持ちを促す何かの力が働いていると考えて、不思議はないのではないだろうか」
「何かの力が働いているというのは、他のおとぎ話と類似したところがあると思う。それも、『開けてはいけない』、あるいは『見てはいけない』と言われると、人間っていうのは、否定されることが気になってしまって、絶対に逆らってしまうという性を持っているような気がするんだ。だから浦島太郎が玉手箱を開けたのは、同じような心理があったんじゃないかな?」
「確かにそうだけど、浦島太郎の場合は、ある程度分かっていて開けたんじゃないかって思うんだ。いわゆる確信犯なんだろうけど、そこが他のおとぎ話と一番違うところなんじゃないかな?」
「じゃあ、自分が年を取ってしまうことを知っていたということかい?」
「俺はそう思っている。少なくとも、それを開けることが自分に対していいことでもあり悪いことでもあるという両方の意識を持っていたんじゃないかな? そうなると答えは一つ、自分が年を取ってしまうことになるんだよ」
 そこまで言える自分が怖かったが、そこで感じたことは、
「浦島太郎は、生きていて一番怖いことを孤独だと感じたんだろうな」
 ということだった。
「本当の孤独を知らない人間が、不老不死を望むんじゃないかな? 古代の人たちがそれでも不老不死を望んでいたのは、その頃の人間は、今の人間が感じる孤独というものとは違った印象があったのかも知れないな」
 そんな話をしているうちに、藤崎はおかしなことを考えるようになった。
 浦島太郎の話がいくつかのパートに別れているとすると、そこには、最初から、
「永遠の命を繋ぐ」
 という発想が根底にあり、
「命を繋いでいくという発想は、同じ人間がそれぞれ何度か人生を繰り返すことで成り立っている」
作品名:永遠を繋ぐ 作家名:森本晃次