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永遠を繋ぐ

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 もし、同じ日を繰り返しているいわゆる「リピーター」の連中と話ができるとすれば、
「君はいつから同じ日を繰り返しているんだい?」
 と聞いてくるだろう。一番の関心事はそこにあるのではないだろうか?
 同じ日を繰り返している人の存在は、ある時点で何か突発的なことが起こり、どれだけの人間が繰り返しているのか分からないが、皆同じ時点からスタートしていると思いたいだろう。
 しかし、
――いつから繰り返している?
 という発想は、その日一日が終わり、新たに次の日に進めた人が感じることだ。確かに午前零時を回る瞬間に、もう一度前の日から始まっているのであれば、その日を一日と考えることができ、
「一週間前から」
 などと、七回繰り返していれば、そう答える。
 同じ日を繰り返していると言っても、まわりの環境が前の日と同じというだけで、その日を過ごしている自分はある程度自由だった。逆にいえば、自分だけが前の日と違った感覚と、行動する自由が与えられていると思えたのだ。
 そうなると、自分がリピートした日の他の人たちは、同じ日を繰り返しているのであれば、前の日とは違う人だということになる。そういう意味で、もし今日話をした人と日にちを繰り返した「次の日」に出会って話をしても、きっと昨日話したこと、いや、藤崎自身のことも記憶にないだろう。違う人間なのだから、当然のことだ。
「同じ日を繰り返している世界は、三次元の自分たちがいた世界に、さらに別の世界、パラレルワールドというキーワードを結びつけた、
――四次元の世界――
 ということになる。
 SFなどで言われている四次元の世界は、同じ時間に見えない別の世界が開けているという意味で、パラレルワールドの発想に近いものがある。もう一つの次元というのは時間という感覚で、点、線、面から立体が生まれて自分たちがいるはずの三次元の世界が形成されているが、藤崎が考えるところの四次元の世界というのは、リピートしている人がたくさんいるのだが、最初の日に話した相手と次の日では会うことができない。つまりはリピートを繰り返すごとに、同じ人間であっても、人が絡むことで違う人間同士になっている。それだけ厚みができる世界であり、それまで立体の概念とはまったく違った世界が無限に広がっているという発想だった。
 そのことに気づいている人がどれだけいるのだろう?
 誰もが暗黙の了解のように同じ日を繰り返していることを話さないのは、その世界では自分以外は前の日と同じ人間ではないことを無意識に悟っているからなのかも知れない。同じ日を繰り返すことで、同じ人と二度と同じ感情になることができないという思いを悟ったとすれば、それは実に悲しく、寂しさが込み上げてくることに違いない。
 その発想は、子供の頃に見たテレビドラマに由来するものがあった。
 屋台で会った人に、
「今日……だよね」
 と言われた主人公を見た時、ゾッとした感覚。あれは自分の身に置き換えてみてゾッとしたのだった。
 多感だった子供の頃、いくら感情移入が激しく、敏感に感情に響くとはいえ、テレビドラマの主人公に対し、そう簡単に自分に置き換えることなど、できるわけもないからだ。だが、それだけに気持ち悪さが残った。
――言い知れぬ不安感、底知れぬ失意――
 理由が分からないだけに、考えれば考えるほど、落ちていくものだった。
 あの時のドラマで見たラストはハッキリとは覚えていない。なぜ覚えていないのかというと、
「ラストシーンよりも印象的なシーンがあったから」
 に他ならない。
「今日……だよね」
 と言った男性、その人がそれからどうなったのか。
「この世界から抜けるには一つしかないのさ」
 そう言って、彼は屋台を出てから、ビルの建設現場にフラフラと歩いていく。
 屋台のおじさんも、お金も払わずフラフラ席を立った男に対して、咎めるようなことはしない。それよりも、ただ見つめているだけだった。
 その眼にはフラフラ歩き出した男を見守るように決して目線を逸らしたりはしない。歩き出した男も、自分の運命を分かっているかのように、歩いていく。
 屋台のおじさんが、
「同じ日を繰り返しているんだから、あそこで何が起こるのか、彼はちゃんと知っているんだよ」
 と、じっと見守っている。
「これで何人目だろうね」
 タバコを燻らせながら、屋台のおじさんはそう呟いて見つめている。男が笑ながらこちらに向かって手を振っている。まるで「さようなら」と言っているかのようだ。
「ガラガラ、グシャッ」
 あっけなく潰れてしまったその姿を、藤崎も目を逸らすことはできなかった。
――最初から分かっていた気がする――
 そう藤崎少年は感じていたが、次のおじさんのセリフも印象的だった。
「毎度ありがとうございます。またのご来店、お待ちしております」
 そう言って、何事もなかったかのように目を逸らした。
 そこから先はあまり記憶がない。死んだはずの男が、出てきたような気がした。
「死んでも、この世界から逃れられないんだ」
 これがドラマを見た藤崎少年の印象だった。
 脱出不可能な世界、まるでメビウスの輪を見ているようだ。
「抜けたと思っても、後ろにある鏡から、またここに戻ってきてしまう」
 これこそ運命。逃げることのできない運命。
 藤崎は、この思いを持ったまま年齢を重ねてきた。さすがにトラウマとまでは思わないが、この世界の存在を信じたまま年齢を重ねたことで、同じ日を繰り返す自分の運命に気づいてしまったようだ。
――気づかないなら、気づかないままの方がよかった――
 子供の頃のあの日、あんなテレビドラマなど見なければよかったのだと感じていた。
 藤崎は、もしこのドラマを思い出さなければ、自らの命を絶つことが、この世界から逃れる唯一の方法だと思ったことだろう。
 しかし、このドラマを思い出したことで、自殺を思いとどまることはできたが、今度はどうしても抜けることのできない世界が確定してしまったかのように思えたことは、後悔してもし足りなかった。
 藤崎は、同じ日を繰り返しているこの世界を、
――四次元の世界とリピート――
 によるものだと思っている。
 何かを繋いで、永遠の命が繋がっていると考えると、同じ日を繰り返しているという意識を持っている自分が、午前零時を境に、別人になっていると思えてならない。
 実際には、同じ日を繰り返しながら、繰り返している本人は生身の身体。確実に年を取っているのだ。
 年を取るということは、老いていくということ、老いてくれば永遠の命の発想も怪しいものだ。もし、永遠の命を繋いでいるのであれば、午前零時を過ぎて次の日になった時、自分とは別のもう一人の自分が、翌日にはいることになる。
 藤崎がもう一つ疑問に思っているのは、
「同じ日を繰り返している自分は、本当に自分だけなのだろうか?」
 と感じることだった。
 昨日には昨日の自分、明日には明日の自分が存在している。
「彼らも同じ日を繰り返しているのではないか?」
 と思うと、他の日の自分ももう一人の自分というより、自分そのものに近い存在に思えてきた。
作品名:永遠を繋ぐ 作家名:森本晃次