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永遠を繋ぐ

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 その夢から覚めた時、藤崎は子供の頃に見た同じ日を繰り返しているというテレビドラマを思い出したのだ。本人はふいに思い出したように思っているが、実際には前兆があったに違いない。
 そうでなければ、悪夢から覚めるという夢を見るという理由を思いつかない。藤崎は目が覚めるにしたがって、次第にそのことを理解できたような気がしていたのだ。
 藤崎の小説は、同じ日を繰り返すというテーマを頭に思い浮かべた時、
――この話は難しすぎる――
 と感じた。
 そして、小説にするのを断念しようと思っていたのだが、
――執筆を可能にできるかも知れない――
 と感じさせたのが、悪夢から目が覚めるというこの夢を見たことだった。
 自分にとっての執筆は、まず頭に描いたことを言葉にできるかということから始まる。
 書きたいと思っていることであっても、頭に描いていることが言葉にできなければ、始まらない。文章にできるかどうかという以前の問題だった。
 藤崎は、言葉にしながら箇条書きにしてメモしていた。箇条書きなので、文章には程遠いものだが、箇条書きにすらできないことが多い中で、箇条書きにしてしまえば、逆に文章にすることはそれほど苦痛ではなかった。
 箇条書きにした文節を読みながら文章を書いていくと、書きながら次の言葉が思い浮かんでくる。それが繋がることが小説執筆に繋がるのだった。
 小説の執筆に姿勢などいらない。
 どんな格好であっても、文章になってしまえば、それは藤崎の小説だった。決して文章力がある方だとは思っていなかったが、文章力よりも、
「いかに人の心を捉えるか?」
 ということが大事だと思っていたのだ。
 それでも藤崎が書いた小説を編集者の人に見せると、あまりいい評価を受けることはなかった。
「どうも独りよがりな文章ですね」
 と言われてしまう。
 その意識はなかったわけではないが、それでも面と向かって言われると凹んでしまう。編集者の人と話をする時は、それなりの覚悟をしていなければいけないようだ。
 それでも編集者の人の言葉は真摯に受け止めていた。ただどこまで意識するかによって、心が折れてしまいそうになるので、なるべく、悪いことは忘れるようにしていた。
 それでも気持ちは正直で、悪夢として見てしまう。何度目が覚めた時、
「夢でよかった」
 と感じたことだろう。
 しかし、その時は本当に夢から覚めた状態だったので、それ以上何も意識しなかったが、以前に見た、
――悪夢から覚める夢――
 をある時思い出したのだ。
 それを新しい小説のネタにしようとは、すぐに思ったわけではなかった。しかし、一度思い出してしまうと、今度は忘れられなくなってしまう。
――都合の悪いことは忘れてしまえばいいんだ――
 という意識が崩れかけた瞬間だった。
 そのまま思い出した意識を封印してしまうようであれば、それ以上小説を書くことはできなかっただろう。ある程度まで自分の限界を意識していた藤崎にとって、自分が小説家として復活するために、
「何かのきっかけがほしい」
 と思っていた。
 それ以降も売れるか売れないかというのは二の次で、それ以前の、
「このまま執筆していけるかどうか」
 という基本的な発想から始まるのだった。
 その時は、それほど大事なことだという意識はなかったが、過ぎてしまうと、自分にとって運命的な出来事だったということに気が付くものだ。一つの分岐点と言ってもいいだろう。
 藤崎がパラレルワールドという発想を自分の小説に組み込んだのは、その頃からだった。もちろん、言葉も意味も知っていたし、
「テーマにしてみたい」
 という願望はあったが、あまりにも漠然としているため、纏めることが難しかった。他の人の小説でパラレルワールドの発想を読んでみたが、藤崎の目から見て、
「どれも似たようなものだな」
 という思いしか浮かんで来なかった。
 藤崎は人のマネや、二番煎じを極端に嫌っていた。人の敷いたレールの上を歩くのが嫌だという発想が強いのだった。
 藤崎が一番気になったのは、
「繰り返している」
 ということだ。
 それが時系列のような横軸だけでなく、
――同じ時間でも繰り返していることがあるのではないか?
 という思いを感じさせたからだった。
 たとえば、悪夢から覚める夢を見たというのも、一つの「繰り返し」だった。
――夢の中で、夢を見ている――
 最初にそのことを感じた時に思い浮かんだのは、箱の発想だった。
 子供の頃に見に行ったマジックショーの中で、ピエロの余興として、大きな箱を開けるとその中に箱があり、さらにその箱を開けると、さらにその中には箱が出てくる。
 箱はどんどん小さくなっていくのだが、消えてなくなりそうになりながら、それでも小さな箱はどんどんと出てくる。
 マジックのようでマジックなのではないのかも知れないが、それこそ、ピエロの術中ではないだろうか。
 マジシャンというのは、相手にいかにマジックのネタを悟らせないように、他の方向を向かせるかというのがミソだという話を聞いたことがあった。マジックでないように見えるからこそ、不思議な世界に誘われていく。
 見ている方も、
「マジシャンがやっているのだから、すべてのことに何らかの意味があるに違いない」
 という発想で見ている。そんな見物人の目や考えを逸らすのは難しいことではない。まったく意味のないことを、普通に演じればいいだけのことだった。
 それこそ、「ブービートラップ」というものであろう。
 藤崎は、小説を書きながら、自分がマジシャンになったかのように思いながら書いていた時期があった。ただ、そんな時は最初の発想は浮かんでくるのだが、発展性がなかった。それよりも、自分がピエロであるかのように見ると、結構発展性のある発想が思いついたものだ。
「ピエロの方がマジシャンを思い浮かべるよりも他人事のように思えるからなんだろうな」
 と感じるのだった。
 藤崎は、小説を書いている時は、自分の世界に入り込んでしまう。したがって、小説を書き始める前に思いついたことは、メモか何かに書き留めておかないと、忘れてしまうことが多かった。子供の頃から一つのことに集中してしまうと、他のことが目に入らないようになってしまうという思いを抱いていた。しかし、それが記憶できないということに結びついてくるなど、子供の頃に想像できるはずもなかったのだ。
「何事に取り掛かるにも、集中力が大切だ」
 ということを子供の頃から言い聞かされていたので、集中できることに何ら疑いを持つことはなかった。そのため、大人になっても、記憶力が低下してきている原因がどこにあるのか、ずっと分からないでいた。それに気が付くようになったのは、小説を書いている間の時間を感じさせないということを意識するようになってからだった。
 最初の頃は、小説を書いている間、時間を感じさせないなどと考えたこともなかった。集中することに神経を使っていたので、それ以外の弊害については、あまり意識しないようにしていた。そのため、小説を書いていて、時間が経ってから見た時に、
――あれ? これは何を思って書いたんだっけ?
作品名:永遠を繋ぐ 作家名:森本晃次