永遠を繋ぐ
確かに昔に記憶が遡るほど、時系列や、時間の長さの感覚など、おぼろげになってくるというものだ。それだけの長い年月を経て今に至っているということであり、毎日何かしらの進歩や身につけることがあったと思っているので、昔になればなるほど、意識がおぼろげになってくるのは当たり前のことである。
もしそうでないとすれば、今現在の時系列もめちゃくちゃになっていて、根本的な記憶は時系列を伴わないものとなり、
――本当に記憶と言えるのだろうか?
と思えるほどになってしまうことだろう。
子供の頃のことを思い出すと、
――昨日、夢で見たのかも知れない――
と感じる。
昔のことは、何かのきっかけがなければ、思い出さないようになっていた。それがいつ頃からだったのか定かではないが、少なくとも四十歳は過ぎていたような気がする。昔のことを思い出す時、
「戸惑っているのだろうか?」
と感じたからであり、
「四十にして惑わず」
という言葉を思い出していたからだと思っていた。
だから、昔のことを思い出すには、何かのきっかけが必要になった。それが昔の知り合いとの出会いだったり、部屋を整理していて出てきた昔の持ち物だったりするが、夢で見た時はストーリー仕立てなので、印象に深いだろう。
しかし、悲しいかな、見た夢を覚えていることはなかった。
「小学生時代の夢を見た」
という意識はあるが、
「どんな夢だったのか?」
という意識はないのだった。
小学生の頃は藤崎にとってブラックボックスであった。あまりいい思い出のある時代ではなく、覚えていることとすれば、いつも一人でテレビを見ていたという思い出だけだったのだ。
ただ、その中で彼女のことは異質だった。しばらくして彼女は転校していったが、転校したという事実だけの記憶があり、感情の記憶がない。
――また一人でテレビを見ている毎日に戻っただけだ――
という意識が藤崎に残っているだけだった。
ただ、会話の一つ一つはなぜか覚えている。藤崎がまだ小説家として本を出す前に書いた作品に、彼女のことをテーマにしたものがあった。藤崎自身、結構自信があった作品で、今でも自分の最高傑作だと思っているほどである。ただ、発想があまりにも突飛だったので、世間から受け入れられることはなかったのだろう。
舞台も話の内容もノンフィクションであった。話をしたという記憶を忠実に書いただけなのに、世間では突飛だと言われる。藤崎は少し違った考えを持っていた。
――本当は誰もが同じような発想を持っているけど、話をするとバカにされそうなので、黙っている――
というものである。
――確かに小学生の発想かも知れないが、単純な発想に思えて奥の深い発想は、小学生ならではなのかも知れない――
とも思ったのだ。
藤崎が小説家になろうと思ったきっかけの遠因に、彼女とのことがあったことに間違いないだろう。しかし、小学生の頃の発想は、次第に大人になるにつれ、自分の中で否定しているのにも気づいていた。
「大人がいつまでもそんな子供みたいな発想していてはいけない」
誰から言われたわけではないが、どこかから聞こえてきた。自分の中にある理性の声なのではないかと思った藤崎は、しばらく自分の中の理性と話のような錯覚に陥っていたが、気が付けば、理性と決別している自分を感じていた。
今でこそミステリー作家として執筆しているが、本を出すようになってからも、少しではあったが、SF小説を書いていた。発表したいと言っても出版社は認めてくれない。藤崎の小説家としての苦悩は、そこにあったのだ。
別にミステリーが嫌いというわけではないが、書きたいものがあるのに書けない。書いたとしても発表できないというのは、ストレスが溜まるばかりだ。だからスナックの女の子にSFチックな話をして気分転換を試みていた。
藤崎は、スナック「コスモス」のママに、子供の頃、不思議な話をしていた女の子おかぶせていたのかも知れない。藤崎に意識はなくとも、ママの方で、
――この人は私の後ろに誰か他の人を見ている――
と感じさせた。
それが却って藤崎の神秘性を醸し出し、ママのオンナとしての感性に火をつけたのかも知れない。
――そういえば、小学生の頃に、彼女に本を貸してあげたことがあったっけ?
急にそのことを思い出した。ママが小学生の頃にSF小説を借りたと言っていたが、まさかそれが藤崎ということはないだろう。ママがその本の内容を覚えていればハッキリするのだが、覚えていないと曖昧に終わってしまう。いろいろ曖昧なことが起こっているが、このことが曖昧になるのは、藤崎の本意ではなかった。
その女の子に貸した本は、藤崎が初めて「リピート」という発想を感じさせられたものだったような気がする。今から思えば、
――そのことで悩んでいる彼女に対して、何という本を貸してしまったのだろうか?
と思わずにはいられない。
繰り返していることが「リピート」という発想になるのだが、正確な意味とすれば、少し違っているような気がする。
――何かを繰り返しているという意味。これほど曖昧な言葉もないのかも知れないな――
と感じた藤崎だった。
――その時の彼女、あれが俺の初恋だったのかも知れない――
初恋がいつだったのかなど、今までに考えたこともなかった。
「初恋は甘く切ないもので、決して成就することはない」
という言葉を聞いたことがあったが、まさしくその通りだろう。もし、その時の女の子以外に初恋の人がいたとすれば、よほど陰の薄かった人ではないかと思えた。実際にそんな人はいなかったはずだ。今までに生きてきた人生の中で、初恋の相手が占めた割り合いがどれほどのものなのか、自分でも想像できない。
そういえば藤崎はスナック「コスモス」のママに、
「ママの初恋はいつだったんだい?」
と聞いたことがあった。聞いてからすぐ、
――こんなこと聞かなければよかった――
と思ったが、後の祭りである。
「初恋? 忘れたわ」
と、けんもほろろに一蹴されてしまったからだ。
「初恋なんて、言葉でいうと甘く切ないものだけど、本当はそんなにメルヘンチックなものじゃなく、リアルに感じるものなんじゃないかしら?」
と、ママは冷めた表情で言い放った。
そんなママのことが気になったのは、本当に偶然だった。
それは、小説のアイデアがなかなか浮かんでこなかった時のことだった。
小説のアイデアが浮かばないことなど、最近ではしょっちゅうのこと。さすがに最初の頃は、
「俺には才能がないのか?」
と悩んだりしたものだったが、最近では、自分の才能など考えることなく、気楽に書けるようになったことで、却ってそんな悩みを感じていた頃のことを懐かしく思うくらいだった。
藤崎が小説を書く時、最初にすべて揃えていることは稀だった。途中までをある程度青写真を描いておくことで、執筆を開始する。その方が途中で立ち止まっても、迷うことがないからだ。
下手に最初からすべてを用意してしまうと、途中でふと立ち止まった時、我に返ってしまうと、それまで考えていたことが頭から消えてしまうことがあったからだ。