永遠を繋ぐ
急に何を言われても覚悟ができているように、常に何かよくないことが起こった時のことを考えてしまう。いわゆるネガティブな性格の表れなのだろうが、藤崎はまさしくそんなタイプだったのだ。
考えてみれば、小説を書けるようになったきっかけも、普段からいろいろなことを考えていたからであって、その中には当然ネガティブなことも含まれていた。
何かあった時に自分がショックを受けないように、いろいろな場面を設定し、最悪の場面を思い浮かべることで、いざという時に備えている。それがまさか小説を書く上での翁発想の要素になるなど、想像もしていなかった。
「小説を書いてみたい」
とは子供の頃から考えていた。
しかし、どうしても書くことができない。話が続かないのだ。骨格になる発想が浮かんでくるわけでもないし、当然何もないところから書き始めて、話が続いていくわけもなかった。
そんな藤崎が書けるようになるまでには、かなりの苦労があった。
原稿用紙を前にしてマス目を埋めていこうと考えるが、埋めることはできなかった。一文字一文字が大きすぎて、考えていることをスムーズに書くことができない。しかも、マス目というのは、何かに縛り付けられているという思いを抱かせ、縛られた状態で、自由な発想など生まれるはずもなかったのだ。
「よく昔からの小説家の先生たちは、原稿用紙に書いてこられたな」
と感じた。
――やはり小説家になる人は、それだけ選ばれた人でなければいけないということなのか?
と感じたのだ。
原稿用紙を諦めて、次はノートに書くようにした。ノートであれば、少々汚い字でも、続けて書くことができる。何よりも大切なのは、
――思い立ったことを、そのままの文章で、いかに書きとめることができるか――
ということだった。
それができるようになってからは早かった。
家で机に向かって書いていたのだが、最初は図書館に赴いて書き始めたが、却って気が散ってしまった。
今度は、ファミレスで書いてみたが、これが意外と書けるものだ。人の往来や、窓から見える光景を描写する感覚になれれば、文章はおのずとついてきた。そのうちに馴染みの喫茶店を見つけて、そこで書くようになると、本当に自分が小説家になったような気分が沸いてきて、その時、生まれて初めて、自分の中に優越感を持つことができた。
優越感と言えば、普通はあまりいいように言われることはないが、藤崎がその時感じたのは、人に対しての卑下ではなく、自分が初めて人に優れるものを持てたという発想で、これがどれほど気持ちのいいものなのか、初めて感じることができたのだ。
自分で感じることのできた優越感が、それまでの自分と、それ以降の自分を変えたような気がした。それがいいことなのか悪いことなのかは分からない。しかし、人にはバイオリズムがあり、
「いいことと悪いことは交互にやってくるものだ」
と誰かが言っていたのを頭の中に記憶していた。
藤崎が小説を書けるようになったのは、離婚してからのことだった。それまでにも書きたいと思ったことは何度もあったが、なかなかうまく書くことができず、すぐに諦めていた。しかし、離婚してからというもの、すぐに諦めることがなくなった。それが自分の中にあった「幸せボケ」のせいだったということは分かっていた。ただ、それを認めることは、自分の気持ちに反することになると思い、あまり「幸せボケ」を意識することはなくなったのだ。
離婚を経験した時、
「今まで生きてきた中で感じていた溜まりに溜まった不幸を、今、一気に吐き出しているような気がする」
それまで、躁鬱症を感じたことはあったが、それまでの躁鬱症とは違うものだった。
「どこが違うんだ?」
と、自問自答をしてみるが、すぐにはその答えを教えてくれない。分かるようになったのは、離婚後初めて、
――記憶に残らない夢――
を見た時だった。
離婚してから、毎日のように夢を見ていた。それも、似たような夢で、楽しくデートしていた時のことを思い出させるものだった。
しかし、目が覚める瞬間に、いきなり現実に引き戻されるシチュエーションがあった。途中まではいつも同じような展開なのに、目が覚める瞬間の現実に引き戻されるシチュエーションは、いつも違っていた。
「どうせ、夢なのだから」
という言葉で片づけられるものではなかった。
毎回最後だけ違っていると、夢を見ている時にでも、
「これは夢の中なんだ」
という意識を持つことがあった。
そう感じると、目が覚める時のことを思い、
「このまま、夢から覚めないでほしい」
と感じた。
しかし、その思いを打ち消す自分もいた。
「このまま夢から目を覚ますことを欲していると、本当に夢から覚めないことになるが、それでもいいのか?」
誰かがそう語り掛ける。
そんなことを思ったこともなかった藤崎は、
「嫌だ。それは困る」
と反論した。どうしてそんな反論をしたのかというと、
――こんな不気味な夢の世界。これからどんな恐ろしいことが待ち構えているか分かったものではない――
と感じたからだった。
毎回、最後だけ夢の内容が違っていることが分かっているので、その感覚には信憑性があった。
――このまま逃れられないなんて嫌だ――
どんなに怖い夢であっても、怖い夢であれば、覚えているものだ。しかし、楽しい思いはなかなか覚えていない。それなのに覚えているというのは、その時の藤崎にとって、楽しい思い出というのは、怖い夢に匹敵するだけの意識があったのだ。
ほとんど毎日のように見るこの夢から目を覚ました時、うなされていた自分がそこにいたことを意識させた。額から流れる汗、身体中から湧き上がってくる悪寒を伴う汗は、種類こそ違えど、その元になっているものは決して違うものではない。
夢を覚えていないと感じたその時、藤崎はそれが怖い夢ではないと分かったつもりだったが、急に怖い夢を見なくなった自分が信じられなかった。
――一体、どうして?
この思いはしばらく続いたが、次第にそのことも忘れてしまっていた。
それを思い出したのは、
――俺は躁鬱症なのではないか?
と感じた時で、元々の躁鬱症の正体を知りもしないのに、なぜ分かったのかというと、
――忘れてしまった夢が、教えてくれてるんだ――
と、感じたからであった。
躁鬱症を感じた時、
――昼間と夜とでは、同じ世界なのに、違う世界のようだ――
と思ったのが最初だった。
昼間、特に夕方などは、身体に気だるさを感じ、汗も掻いていないのに身体が衣服にベッタリとくっついてしまい、全身に極度の重たさを感じていた。空気全体が黄色かかっていて、もやが立ち込めているかのようだった。
しかし、夜になると、身体に纏わりついた「穢れ」は解き放たれて、スッキリとして感じられるのだ。ネオンサインや信号機もくっきりと見え、信号機など、昼間は緑に見えた青信号が、夜になると、真っ青に感じられるから不思議だった。
昼と夜の違いが、そのまま精神的な躁状態と鬱状態の違いへと繋がっていくのだから面白い。
「俺は永遠の命を繋いでいる」