短編集15(過去作品)
何となく眠気を感じてくる。心地よい睡魔が襲ってくるのだが、なぜかその日は複雑だった。せっかく誘ってくれたのに眠っては失礼だという思いよりも、
――この雰囲気のまま寝るのは勿体無い――
という思いと、
――こんなに気持ちいい思いは今までにはなかった。このまま睡魔に身体を任せたい――
という思いが私の中で葛藤を繰り返していた。
しかしそんな私の思いよりも睡魔は私が考えているより迅速に、そして確実に私の身体へと廻っていった。
悠里が声を掛けてくれるがそれに答えることもできない。ゆっくりとした気持ちはまるで天にも昇る気持ちだったが、それから何があったか私には分からない。覚えているのはそこまでなのだ。それ以降悠里の顔が私の目の前に鎮座することはなかった。
その日どうやって帰ってきたのかも分からない。というより、その日悠里と一緒だったことを思い出したのは数日経ってからのことだった。どうやら私は一定期間記憶喪失に陥っていたようで、しかもその時の悠里との記憶だけが飛んでいるのだ。したがって記憶の中にポッカリと穴が空いているにもかかわらず、それほど意識するものではない。
ポッカリと記憶に穴が空いていた間は一週間くらいのものだっただろう。徐々にその日にあったことを思い出してくる。あくまでもゆっくりだったことが私の中でさも不思議さを醸し出し、却って神秘的な記憶として残ってしまう。それだけに、すべてを思い出したいのも山々だったのだが、ここまでの記憶でも十分だと思わせる魔力のようなものがある。悠里の顔だけはハッキリと覚えていて、それだけでも満足だった。
もう一度会ってみたいとは何度も思ったのだが、もう二度と会うことはなかった。
――まるで夢のような時間――
まさしくその通りだった。
――眠ってしまわなければよかった――
と思わないでもないが、なぜか悠里とはまた会えそうな気がして仕方がない。あれから十年経ったにもかかわらず、きっと同じ顔でどこかにいそうな悠里の顔が目を瞑れば瞼の裏に浮かんでくるのだ。
悠里が救世主だと思い始めたのはいつ頃だっただろう?
私は瑞江との交際をその後もずっと続けていた。
相変わらず私に従順な瑞江に甘えながら、それでいて自分ではしっかりとしていると思い込んでいる私がいることも気付いていた。
私が大学生の頃には、すでに公認の仲になっていた。交際六年といえば、まわりに分からないはずもない。友達からは、
「長く続く秘訣って何ですか?」
この質問を飽きるほど浴びせられた。
大学に入って爆発的に友達を増やしたものだから、当然その質問をされる回数も爆発的に増えてきた。まんざらでもない質問なのだが、さすがに毎回されるとウンザリもしてくる。適当にいなしていたかも知れない。
友達の中では私は異色な方だったかも知れない。友達を増やすだけ増やすのだが、あまり付き合いのいい方ではなかった。頼ってくる友達にアドバイスをしたりすることはあっても、あまり深入りすることをせず、人によっては冷たく見えるかも知れない。自分としては、
――一匹狼――
と位置づけ、まわりの人と一線を画していたことは否めないだろう。あまりまわりに染まりたくないと思っていたことも事実で、友達をいっぱい作ったのも、
――いつも同じグループで行動したくない――
と思っていたからだ。
しかしそれでも親しいグループはいた。いわゆる「真面目グループ」と呼ばれる連中だった。講義でもいつも一番前の席にいてノートを取っているというそんな連中である。だが、彼らには真面目ではあるが、
――他の連中とは一線を画したい――
と一様に思っているのが私には分かった。きっとそれが私にとって彼らの魅力に思えたのだろう。
彼らはグループでまとまっているように見えるが、実はそうではない。自分たちの個性で勝手に動いているだけなのだ。
ではなぜそんな風に感じるのか?
それはきっと個性が個性を引き合い、見えないゴム糸のような弾力性により、表から見ているとまとまっているように思えるに違いない。私はそんな彼らの団結性の秘密をすぐに看破できたような気がして嬉しかった。
友達とはうまくやっていたのだが、それでも一番は瑞江だった。友達と何か約束をしていたとしても、瑞江に何かあれば必ず飛んでいった。それは友達皆に周知のことであると私は思い込んでいた。
瑞江もそのことは分かっていたようだ。最初の頃こそ私に気を遣ってくれていた瑞江だったが、そのうちに私を独占するようになっていた。瑞江に惚れていた私は盲目になっていたのだろうか、そんな瑞江の気持ちがハッキリとは分からなくて、見るもの触れるものすべてが可愛らしく感じられた。
「おい、実松。最近付き合い悪いぞ」
今まで何も言わなかった友達から言われ始めて、瑞江が私に抱いている気持ちが分かり始めたのだ。
「そうか、そんなこともないと思うんだが、それだったら申し訳ない」
サラリと答えたつもりだったが、それが少し相手をカチンとさせたのかも知れない。
「こんなことは言いたくないが、最近お前彼女に入り浸りすぎてるぞ。まるで魂の抜け殻に見える時がある」
さすがにドキリとした。
時々瑞江といてついつい考え事をしている自分に気付く時がある。考え事をしているといっても後から思い出そうとして覚えている内容ではない。
――あ、今何考えていたのだろう――
そう感じるのが関の山だ。
しかし、抜け殻になっているようにまわりから見えているとは思ってもみなかった。
「そんなに酷いか?」
「ああ、酷いなんてもんじゃないよ。声を掛けにくいどころか、近寄りがたいこともあるくらいだ」
そう言って笑っているが、表情は引きつっているように見える。さぞかし普通じゃないのだろう。友達の目になって、その場の自分を見てみたいものだ。
「瑞江さんって一体どんなタイプなんだ?」
友達に聞かれたことがある。
「どんなって、俺の行動パターンがよく分かるらしい。それでいて、従順なところがあるから、安心できる付き合いだな」
「俺たちから見ると、大人しめで、どちらかというと人見知りするタイプに見えるんだ。でも、君にだけは従順ということだが、いつもどんな話をするんだい?」
「話というか、あまり難しい話はしないよ。俺のくだらないギャグや、あとはテレビ番組や音楽の話題といった、ごく普通のカップルがするような会話だよ」
「そんなに行動パターンが分かるのかい?」
「ああ、俺の女性の好みまで分かってるくらいだからね。街を歩いていても、好みのタイプが近くにいたら、瑞江が教えてくれるくらいさ」
「おちおち浮気も出来ないじゃないか」
「ああ、でも端っから浮気なんてしないさ。俺が一途なのは知ってるだろう?」
「そうだな、当然瑞江さんにも分かっていることだろうからな」
「それだけに、お互いに安心して付き合えるんだよ」
そう「安心」、その言葉が私と瑞江の合言葉のようなものだ。
「だけど、却って危険かも知れないぞ」
「どういう意味だい」
「今でこそ君の一番の理解者なんだろうけど、君をもし信じられなくなった時はどうなると思う?」
「考えたこともないよ。どうなるんだい?」
作品名:短編集15(過去作品) 作家名:森本晃次