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短編集15(過去作品)

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 そういえば、最初に会った日も赤い服を着ていた。スナックでもホテルでも照明が暗いところで会ったので、今の彼女は眩しすぎて雰囲気がまるっきり違っている。
 目の前に鎮座した私を彼女はじっと見つめている。そこには言葉がいらないくらいで、吸い込まれそうな錯覚に陥りそうになった。
「ごめんね、いつも連絡もらっていたのに、返事を返せなくて」
「いいんですの、こうやってまた会ってくださってるから」
 彼女の魅力は上品な喋り方同様、すべてにおいて「お嬢さま」なところだった。里美はどうしても「押し付けられた」というイメージがあるため、薄幸で寂しそうな雰囲気であるが、何か不思議な魅力に包まれていた。しかし彼女はいつもオーペンで、性格も分かりやすく、落ち着いて付き合える仲であった。
――安心できる――
 まるで、母親に包まれているような、今までの自分の迷っていた気持ちをすべて払拭してくれそうな雰囲気がある。そう、母体の羊水に浸かっているような感じなのだろう。
 ホテルに行った時も嫌らしさなど一切感じなかった。浮気だったのだが、後ろめたさを感じないのはなぜか分からなかったが、今明るいところで彼女を見ることで、その理由が分かってきたように思えて仕方がなかった。
 店内では、軽音楽が流れている。ピアノを基調としたイージーリスニングは、その時の私の気持ちにピッタリだった。
 いろいろ聞きたいことはあったのだが、その日はほとんど会話をしなかったような気がしている。会話をしたのかも知れないが、軽い話で、彼女の魅力ばかりに気を取られていて、内容を覚えていないだけかも知れない。

「あなた、やけに長いお風呂でしたのね」
 いつになくのぼせたような気になってしまっていたと思ったら、長湯だったことに気がつかなかったようだ。
「そんなに長風呂だったのかい?」
「ええ、あなた自分で分かってないの? そんなに顔を真っ赤にして」
 言われて鏡を見ると、なるほど、自分で考えているより真っ赤な顔になっている。こんなことは初めてだ。
「ああ、分からなかったなぁ」
 曖昧に答えると、
「最近お仕事が忙しかったから、お疲れになってるのよ。今日は早めにお休みにならなければね」
「ああ、ありがとう。どうやら考え事をしていたようだ」
「気をつけてくださいましね」
 考え事をしていると言った時、私はハッとしてしまった。恐る恐る和代の顔を見ると、案の定不安そうな顔をしている。いつもであれば私の顔を覗き込んで、体調のことなどを心配してくれるのだが、
「考え事をしている」
 と言った瞬間に和代は目を逸らし、悲しそうな顔になるのだ。
 それは最初から分かっていたことだった。相変わらずのお嬢さん言葉であるが、そのトーンは明らかに下がっていて、露骨なまでに感情が出ている。きっとそのことを和代自身も分かっていないのだろう。
 和代は昔からそうだった。結婚して一緒に暮らし始めると、すぐに性格が顔や態度に出ることが分かるようになった。私にとってはありがたい。その都度問い詰めると、その原因について話をしてくれるからだ。実に分かりやすい性格の女である。
 しかし、今回のように私を見て露骨に目を逸らすような態度は、今までにあまり感じたことがない。問い詰めて話してくれる時と、
――これはダメだろう――
 と思う時は自ずと分かるようになっていた。
 和代ほど分かりやすい性格の人は今までに私のまわりにいたことがない。
「君のことは大体分かるよ」
 笑いながら話したことがあるが、そんな時は大抵、
「私もあなたのことは、大体分かるわ」
 と嘯いていた。それだけに私のその時の赤い顔を見て寂しそうな顔になるということは想像がついたような気がするのだ。
――和代は私が感じている後ろにいる人のことを薄々感じているのかも知れない――
 そこまで考えてしまう。
 私が和代との結婚を決心したのは、
「私をずっと愛して」
 という言葉を和代の口から聞いた時だ。待っていた言葉だったのだ。正直なところ、和代がその言葉を口にするとは思っていなかった。しかもその言葉を耳元で囁いてくれた時に、不謹慎ながら里美を思い出した。しかし、その時を最後に、私の頭から里美は消えてしまったのだ。長い間の呪縛から解放された瞬間だった。
 しかしどうやらそれは少し違っていたのかも知れない。里美のことは私の頭から離れたわけではなく、頭の奥深くに封印されていたのだ。何かの拍子にいつ現れるか分からない里美、そのことにずっと私は気付かないでいた。
 それを忘れさせてくれたのが、妻の和代だった。今から考えても、和代との結婚は本当に正解だったと思う。もちろん、衝動でした結婚ではないし、環境も整えてからのしっかりとした手順を踏んだ結婚であった。まわりから祝福され、どこからも文句の出ない、まさしくお似合いのカップルだったのだ。「順風満帆」とはこのことだった。
 結婚してからも和代は私には出来すぎと思えるほどの女房ぶりだった。そのことはまわりも認めているし、何よりも私が感じている。お礼の言葉も素直に言えるのは、きっと和代の明朗な性格の成せる業だろう。
「あの時、君は僕が連絡しなかったら、諦めていたかい?」
「あの時って?」
 分かっているくせにいつもはぐらかす。この話を今までに何度したことだろうか。
「ほら、駅前の喫茶店で会った時のことさ」
「ああ、あの時のことね」
 初めて気がついたようなふりをして、はにかんで見せる和代がいとおしい。
 そう、和代は元々里美と付き合っていた時に知り合った女性である。最初は同情だったのかも知れない。私の落ち込みようは他の人にないものだったはずだから、
「俺は落ち込んだら激しいからな」
 そういって話しかけると、いかにも、
「それは最初から分かっているわ」
 と言わんばかりにほくそえむ。
 お互いに隠し事もなく、過ごしてきたはずだ。和代の性格からして尽くすタイプであることは重々承知で、それは私にとってありがたいことであるが、裏切ることの罪深さを一番感じるであろう女である。
 もちろん裏切るなんてことがあろうはずもない。結婚してそろそろ五年が経とうとしているが、子供もなく、それが却って新鮮に感じたりする。
 和代は寂しいかも知れない。
 だが、昔から続けてきた「お花」だけは今も続けている。和代はわがままだと自分で言っているが、それくらいのことを許さないとストレスを溜められたら、たまったものではない。おかげさまで仕事が終わって帰ってきても、良妻でいてくれている。
――そういえば奇妙な一致かも知れない。里美もお花をやっていると言っていたな――
 どこでやっていたのか、流派が何なのか、お花を知らない私が聞いても分かるわけがなかった。その話題に触れることはなかったが、話によると、師範の免状をもらえるくらいの実力だと聞いていた。
 どことなく和代と里美に似たところがあると思っていたのは、お花をやっているということだと感じたのは、その時だった。水曜日になるとお花の稽古があると言ってデートすることがなかったのを覚えている。
――よりによって水曜日に里美の幻を見るなんて――
作品名:短編集15(過去作品) 作家名:森本晃次