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短編集15(過去作品)

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 学生時代に初体験は済ませている。初めてできた彼女と半年間付き合った時に済ませたのだ。それほどの感動はなかった、気がつけば終わっていたし、それまでの妄想がかなり自分の中にあったのかも知れない。それだけに刺激を求めたいという気持ちはそれからも持ち続けていて、余計に女性を欲する自分を感じるのである。
 女性は星の数ほどいるというが、私にとっての女性は、そんなにたくさんはいないはずである、それは皆同じだろうと分かっているのだが、無性に誰でもいいから暖めてほしくなる時がある。それこそが「男の性」なのだろうが、その気持ちが週末になれば襲ってくるのだ。
 そんな時に学生時代の「戦利品」を見ると、気分だけでも学生時代に戻れるのだ。旅行が好きでよく行った頃の自分。不安もあったが、希望に満ち溢れていた頃の自分。旅行に出て人に出会うと、そのことをよく感じさせられた。現地で友達になったやつと将来について、そしてそれぞれ自分のことについての話が尽きなかった。相手の話を聞くのも楽しく、時間など忘れてしまうほどだった。
 そんな頃の自分が実に懐かしく、一度働き出してからも旅行に出かけたことがあった。しかし、気分的にはかなり違うものだった。ひょっとして出かける前から自分でも分かっていたのかも知れない。だが、
――当時の自分に戻りたい――
 という思いが強く、本来感じていた気持ちを打ち消したに違いない。
――もう、そこには昔の自分はいないのだ――
 いくら昔に戻りたいと思って出かけた旅であっても、知り合う人たちは学生ばかり、所詮彼らと同じ感覚で話に入っていけるわけもない。分かっていたことである。いくら彼らが開放的な気持ちでいてくれようとも、私自身に受け入れられない何かがあるのに気付いてしまうのだ。学生と社会人、そこには越えられない何かがあるのだ。
 そんな気持ちで帰ってきた旅行、もう二度と出かけようとは思わない。気持ちに余裕を持ちたくてでかけた旅行も、きっと元々の気持ちに少しでも余裕がなければ、気持ちの余裕など見つけることすらできないのであろう。
 だが、最近はどこかに旅行に出かけてみたいと思うようになっていた。だが、学生時代の頃のような旅行ではなく、純粋に何か綺麗な景色を見たり、美味しいものを食べたりして、いわゆる「命の洗濯」をしてみたくなるのだ。まったく知らない土地で、一人のんびりできればいいと思う気持ち、これは学生時代に出かけた旅行とはまったく違うものなのだ。
 小さい頃、親と出かけた旅行などで、一時たりともじっとしていたくなかった頃が懐かしい。宿に着いてゆっくりとしたがっている親が信じられないくらいであった。宿の中を散策することから始まり、宿のまわりを散歩したりと、狭い世界しか知らない子供が一生懸命にまわりを知りたがっているということだった。好奇心旺盛だった子供の心を失いたくないと思うのは、私だけではないだろう。
 そう、金曜日の気持ちというのは、旅行から帰ってきた時の気分に似ている。部屋に帰れば何かが違うのだ。
 旅行に出た時に何かが違うと思う理由はハッキリとしている。目を瞑れば楽しかった光景が瞼の裏に浮かび、目を開ければ、現実に引き戻される。明るかった部屋を暗く感じるのも仕方のないことだし、何しろ今まで行ったことのないところから帰ってきたのだ。
――知らない土地で知り合ったたくさんの友達――
 新鮮以外の何ものでもない。
 では、金曜日の感覚の違いは何なのだろう?
 最近まで分からなかった。分からなかったというより、考えようとしなかったと言った方が正解かも知れない。だが、最近部屋の暗さが一つの原因であるということに気付いて、そのことを考えるようになったのだ。
 部屋の暗さはどこから来るのだろう?
 明るい時には影ができる。影ができるから部屋の中のものすべてが立体感を感じさせてくれるのだ。だが、少し感じ始めているこの暗さは、それほど私に影を感じさせない。影を感じないということは立体感を浮かび上がらせてくれることもなく、置いてあるものを漠然としてしか見ることができないのだ。
――まるで平面の部屋――
 これが最近の自分の部屋に対する印象なのかも知れない。
 そんなことにも気付かなかった私は、きっと分かる寸前まで来ていて、最後の扉を開くことができなかっただけのような気がする。
――何かが違う――
 と思うのは、目の前にある最後の扉を開けることができるかできないか、自分自身が私に問いかけているのではなかろうか。
 しかしここまで分かってくるともう一つ分かったような気がする。気にせいなのかも知れないが、私にはどうしても違っているような気がしてならないのだ。
――部屋の位置がどこか違っている――
 何がどう違うのか分からない。家具や置物がすべて数センチずれているような気もするし、どれかだけが少しずれているような気もする。もし何か一つだけがずれていたとしてもきっと分からないだろう。すべてが全体像としてしか目に焼きついていないため、一つのものはすべてを引き立てるオブジェの役目しかしていない。
 それにしても金曜日だけしか感じないというのも不思議なものである。
 確かに旅行から帰ってきて感じるおかしな気分も、部屋の中が少しでも変わっていたと考えれば納得がいく。それは「戦利品」を並べることで変わるからかも知れない。買って帰った「戦利品」にしても、旅先でのお土産屋にあってこそのイメージで買ってきたものだ、それが自分の部屋にくれば当然雰囲気も変わるというものである。だが、それが部屋全体の雰囲気を変えるということは、まだ自分が旅行気分から抜けていない証拠である。
 気分というものは大切だ。それがまわりの光景に多大な影響を与えるとしても、それは当然に思える。
 それにしても不可思議なことである。しかしそれを不思議だと思い、気持ち悪いと思っても、なぜか怖いという気にはならなかった。
――何か自分で納得しているところがある――
 そう思えて仕方がないのだ。

 世の中には男と女がいる。言い換えれば男と女しかいないのだ。結婚という言葉がそれぞれ異性を意識して初めて湧く実感であるように、相手を異性として意識し始めるのはごく自然なことである。
 人によっては始まる時期が違うだろう。意識の仕方にしても違う。
「ませた子供」
 と言われるように、小学生の低学年の頃から女の子を意識し始める人もいる。
 また中学生になっても異性としての意識を持とうとしないような人もいるようで、顔にたくさんのニキビを作りながら、絶えず真面目な顔をしているだろう。どちらがいいとは言いにくい。ませた子供であっても、純愛一筋の人もいれば、高校生くらいになっていきなり異性に目覚め、異性のことから頭が離れず、淫らな発想ばかりを思い浮かべ、一人悶々とした思春期を過ごしてる人もいるだろう。
 しかし、異性を感じることは、病気みたいなものだと言う人もいる。
「思春期に掛かる一過性の流行り病みたいなものだ」
作品名:短編集15(過去作品) 作家名:森本晃次