新しい世界への輪廻
「大学に入ってコーヒーを飲めるようになってから、それまで好きだった紅茶がさらに好きになったんだよ。なぜかというと、紅茶って思ったよりも種類が多いんだ。コーヒーを飲めることになったことで、自分の飲める範囲というのが広がったおかげで、いろいろな紅茶にも興味を示すようになって、今では、家に数十種類の紅茶をコレクションしているんだよ」
「すごいですね」
「ああ、紅茶だけではなく、紅茶を愛でるために必要なアイテムであるティーカップもたくさん集めたんだ。一つのことを好きになると、極めたいという気持ちになるのか、いろいろ揃えるのが楽しみになってくるんだよ」
と言っていたのを思い出した。
私は、さすがにそこまで紅茶への思い入れはないが、先輩の話を聞いて、紅茶専門店で紅茶を飲むことは時々あった。家で一人で飲むよりも、お店で本を読みながら過ごす時間が贅沢に感じられ、贅沢な時間が自分にとって大切であることを、少しずつではあるが感じるようになっていた。
――あの時の先輩がティーカップを集めていたと言っていたけど、こういうお店にもそういうのが置いてあるのかも知れないわ――
と感じた。
しかし、私がイメージしているアンティークショップというのは、少し違っている。まず最初に思い浮かぶのは、オルゴールだった。
あれは、九州に旅行に行った時、北九州の門司港というところに立ち寄った時だった。
「門司港レトロ」
という謳い文句で、観光スポットになっているのだが、そこから、関門海峡が一望でき、その向こうには下関の街が広がっていた。そこにあったのは、オルゴールのお店で、近代的な洒落た造りになっていて、アンティークショップとは正反対であったが、そこに置かれているオルゴールを手に持ってみると、アンティークな雰囲気を感じられるから不思議だった。
その音色はまさしく骨董であり、目を瞑ると、木造のコテージのような雰囲気が思い浮かばれた。
その時の旅行では温泉宿ばかりに宿泊したわけではなく、二泊ほどは、ペンションを利用した。そこではアンティークな雰囲気の造りになっていて、根を瞑ると浮かんできた光景は、その時のペンションそのものだった。
――そういえば、ペンションにもオルゴールが置いてあったわ――
聞いてみることはしなかったが、聞かなかったことを残念に思っていただけに、門司港でのオルゴール館は、残念な思いから復活させる気分にさせられた。
――店の雰囲気は、目を瞑れば補うことができる――
そう思って目を瞑ると、思った通り瞼の裏に浮かんできたのは、ペンションの造りだった。
――レトロとアンティーク、雰囲気は違っているけど、共通点は限りなく近いものがあるに違いない――
と考えていた。
店に入ってきた時に、
「いらっしゃい」
と声を掛けてくれたマスターは、中年男性だったが、口髭を生やしていて、いかにもアンティークショップの経営者の雰囲気を醸し出していた。
今までアンティークショップに入ったことなどないはずなのに、なぜかこの店に入ってきてからどこか懐かしさを感じる。どこから感じるのか最初は分からなかったが、
――マスターの顔を見た時からだったわ――
と感じたのは、コーヒーを一口飲んだ時だった。
コーヒーの味に懐かしさを感じた。大学の近くにある喫茶店には何度も行っているが、ここと同じ味のコーヒーを味わったことはなかった気がした。
何よりも懐かしいと感じたのは、大学に入ってからというほど近い過去ではなく、本当に昔と言ってもいいほどの過去に懐かしさを感じていたのだ。
過去への記憶というのは、昔であればあるほど色褪せて薄れていくものなのだろうが、懐かしさというのは、その反対に、どんどん深まっていくものではないだろうか。そう思うと、この時に感じた懐かしさは、中学時代、いや、小学生の頃の思い出の中にあるのかも知れなかった。
中学時代、高校時代と、今から考えればあっという間だったような気がするが、小学生時代というのは、かなりの長さを感じさせた。確かに、三年間と六年間の違いがあるが、小学一年生から六年生までの間の記憶は本当にまばらなくせに、その日一日一日は長かったような気がする。特に、三年生から四年生になる時は、その間に何かがあったのではないかという思いを抱かせた。
抱かせはしたが、具体的にどんな思いだったのか分からない。ひょっとすると、自分が一人で判断できるようになった最初が、その間にあったのかも知れない。
――小学生というのは、成長期でもないのに、流されていただけではないような気がする――
と感じた。
中学生になって感じた成長期は、明らかに成長期に振り回されていた気がした。小学生の頃というのは、いつも漠然としていたが、その時その時で考えていたことがハッキリしていて、ただ、思い出せないだけではないかと思えた。
――時系列だけで言い表せる時代ではない――
そんな思いが頭を巡った。
コーヒーの香りを嗅ぎながら、小学生の頃に思いを馳せていた私は、それがまるで、
「浦島太郎の玉手箱」
のような、
「パンドラの匣」
を開けてしまったような気がして、不思議な気持ちに陥っていた。
まずは運ばれてくるコーヒーを飲みたいと思った。
季節はまだ寒い時期ではあったが、冷たい風に煽られるように歩いてきて、暖房の入った木造の部屋に入ると、今度は汗が滲み出てくるような感じがした。
「汗が出てくるようだわ」
と、口にしたが、氷室は涼しい顔をして、何も答えなかった。
「どうぞ」
アルバイトなのか、同じくらいの女の子がコーヒーを運んでくれた。その衣装はまるでメイド服で、いかにも大正ロマンを感じさせる佇まいに似合っていた。
「ありがとう」
一口飲んだコーヒーの香りは、どこか懐かしさを感じさせた。
懐かしさと同時に何か記憶を探られているような気がしたのは気のせいだろうか。コーヒーは飲むと眠気覚ましになるはずなのに、次第に眠くなってくるように感じてきたのは、部屋の暖かさに慣れてきた証拠なのかも知れない。
店に入ってから、氷室は無口だった。元々無口なタイプに見えるが、ここまでは何とか会話を保たせようと気を遣ってくれていたのか、一人で喋っていた印象だった。しかし、彼が話を繋いでくれていればいるほど、私は自分の世界に入っていくのを感じていた。
家族のことを思い出したり、神戸に行った友達のこと、そして人と関わることの煩わしさを、いまさらながら感じてしまっていたのを感じさせられたのだった。
ゆっくりコーヒーを口に流し込んでいたので、何とか眠気を逸らすことができた。何となく落ち着いてきたのを感じると、そろそろアンティークな世界に陥りたい気分になっていた。
「氷室君。骨董を見せてほしいんだけど」
と言って、彼に水を向けると、彼もそれを待っていたかのように、
「いいよ。こっちだよ」
と言って、席を立って、私を隣の部屋に招きいれてくれた。
喫茶店の方は、どちらかというと落ち着いた感じの場所で、それほど日当たりがいいわけでもなさそうだった。日が差すとすれば西日の方で、隣の部屋は対照的に明るい佇まいを見せていて、